ここから本文です
Yahoo!ファイナンス
投稿一覧に戻る

(株)三越伊勢丹ホールディングス【3099】の掲示板 2017/10/23〜2018/03/07

「パルコ文化」の王道を歩んできた男が退職して迎えた転機 週刊FLASH2018年3月6日号

「ビジネス的にいえばパルコを辞めて伊勢丹に入ったとき、そして伊勢丹を辞めたときが転機になるのかな?」と語るのは柴田廣次さん(57)
「人生のいちばんの転機は、パルコに入社したことと、増田通二社長(1926〜2007)に出会ったこと。高校まで郡山で大学は茨城なので、渋谷パルコなんてまったく知らなかった。
 劇場もあるしいいなあと思い、記念に受けてみる気になった。それが人生を変えた。6次まであった試験の最後、社長面接も通った。それで、ゼミの先生に相談するとあっさり「パルコに行けばいいじゃないか」。
「1983年4月1日に入社し、SP部へ配属になった。セゾングループに、パルコという新しい専門店業態を作ったのが増田通二さん。セゾングループの堤清二代表(1927〜2013)が東大の同級生だった増田さんに声をかけてまかせた。
 僕が増田社長の下で働いたのは5年ほど。とてもかわいがっていただいた。その5年間で、仕事のやり方だとか考え方だとか、すべてを学んだ。三十数年たった今でもそれは変わらない」
 その考え方とは、主流があるなら常にサブやアンチ、オルタナティブの立場から、新しいものを求めること。世の中に反対する、逆らうという意味ではなく、常にユニークな考えを持てということ。
柴田さんは出世街道を歩く。渋谷パルコの執行役店長、局長、関連会社の社長。

しかし、かつてのパルコの姿とは違ってきた。2012年8月辞職。
20年来の友人で、伊勢丹のカリスマバイヤーだった藤巻幸大さん(1960〜2014)の推薦により、2013年4月、三越伊勢丹に入った。
「僕が移ったとき、マーケティングや新規事業の部門がなかった」 そこで2年かけてマーケティング戦略部を作り、部長として担当した。
一味違った催し物もおこなったが、なかなか次につながらなかった。大百貨店の伝統の壁は厚く高かった。
藤巻さんはすでに亡く、受け入れてくれた大西洋社長は2017年春のお家騒動で退任した。同年9月辞職。
https://smart-flash.jp/lifemoney/34617

PARCO出身の優秀な方も、伊勢丹百貨店に在籍してたのに、昨年退職してしまったなんて、大きな損失ですね、
杉江俊彦社長。