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(株)メドレックス【4586】の掲示板 2017/04/21〜2017/04/24

 今回の米国の威嚇戦略はケネディ対フルシチョフのような合理的な大物同士ではなく、トランプ氏対金正恩氏の対決だけに、柔軟、巧妙な妥協ができず「チキンレース」は正面衝突となりかねない。

 前回書いたように北朝鮮は1993年にNPT(核不拡散条約)脱退を宣言、のち留保したが査察に非協力的で、核兵器開発必至と見られた1994年、米国は寧辺(ヨンビョン)の原子炉などを航空攻撃しようとした。

 在韓米軍司令部は、航空攻撃を行えば、1953年から休戦となっていた朝鮮戦争の再開を招くと判断し、「最初の90日で米軍に5.2万人、韓国軍に49万人の死傷者が出て、民間人死者は100万人以上」との損害見積もりを提出、米国は攻撃を諦めた。

 もし今回、戦闘が始まれば、北朝鮮軍がソウル北方約40キロの停戦ライン付近の地下陣地から数百両のトラックに乗せた22連装の240ミリロケット砲(射程60キロ)などを発射、韓国の人口の3分の1が住むソウルを火の海にしうる状況は今日も同じだ。

 それを防ぐためにはまずその要塞地帯を制圧する必要があり、その間に米、韓国軍とソウル首都圏の住民に甚大な犠牲者が出る。

 最終的には滅亡必至の北朝鮮が自暴自棄となり、「死なばもろとも」と核ミサイルを在韓米軍、韓国軍の基地やソウルだけでなく、日本の米軍基地や東京などにも発射する可能性も十分ある。その場合日本でも数十万人の死者が出そうだから、米軍人は1994年の時と同様、北朝鮮攻撃には慎重だろう。

 だが、トランプ大統領にとっては、威嚇が無視されたり、仮に米朝直接会談を開いても相手が核廃棄に応じなければ、何もせずに引き下がるわけには行くまい。統合参謀本部議長ら軍のトップに「何か手はないのか」と詰め寄り、軍人は「あえて攻撃するならこうした策しかありません」と複数の作戦計画を提出し、大統領がそのひとつを選べば部隊はそれに従って行動する。

 1979年、イランでは米国大使館にデモ隊が乱入し、大使館員と家族ら53人が人質状態になった。その際、カーター大統領は救出作戦案を統合参謀本部に要求した。

 私は失敗に終わったこの作戦の計画決定の経緯を当事者から直接聞く機会を得たが、参謀将校らは当初からアラビア海の空母から1500キロも離れたテヘランはヘリコプターの行動半径のはるか外であり、救出作戦は無理と知りつつ、「やるかどうかは別として計画は考えてくれ」との上層部の指示に従い作戦計画を立案した。

 この計画は当時使用されていなかった砂漠地帯の飛行場に米陸軍特殊部隊を乗せた約60人乗りの大型ヘリRH53D8機を夜間着陸させ、そこに中型輸送機C130を降ろして給油し、ヘリはテヘラン郊外のサッカー場に着陸、特殊部隊は協力者が用意したトラックで大使館に突入、人質とともにヘリに戻って脱出、別の飛行場で輸送機に乗り替える、といういくつものリスクがある複雑な計画だった。

 起案した将校は「この計画は実行困難ですが、やるならこの方法しかありません」と説明して、統合幕僚会議議長に提出した。だが、政治家の機嫌取りに長じた統幕議長はそれをつかんで直ちにホワイトハウスに駆けつけ、カーター大統領は喜んで「よし、やってくれ」と言ったため、80年4月無謀な作戦が実施された。

 暗夜に無人の飛行場で給油しようとしたヘリと輸送機が衝突、火災が発生、8人が死亡して作戦は中止になった。第一段階で失敗したのはまだしもで、テヘランで失敗すればもっと酷い結果になるところだった。

このような記事を見かけました。