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願法堂奇談
アホルダー百物語

「南洋夜話」前編

第七十の男は語る

私は鱗翅類…蝶の収集が趣味でした
地方銀行を辞めて当時流行の、海外で活動する日本人を当てこんだ保険会社に移ったのもそのためです
欧米のマニアはバカ高い値で標本を買いますから、行く行くは趣味と実益を兼ねた昆虫三昧の生活と呑気な夢を見ていたのです

蘭印を巡ったときの話です
船はボル◯オ島に数日停泊する、その間にボートを出してもらって付近の小島へ向かったのです
同行の客は1人、商社員だそうですが、私が腰につけているのより何倍もある採集箱を担いている
「何のご趣味ですか? 私は蝶なんですが」
「いや、なに、何でもありませんよ」
無口な相手は要領を得ない返事で、それきりになりました

オールを漕ぐ現地人が手を止めて盛んに首をふる
島にある川の河口の砂州を目指していたのが、見れば轟々と泥水を噴き出し濁流が海を茶色く染めています
「スコールがあったのか?」
商社と私は顔を見合わせました
と、手前の岩場に人影が現れ、ロープを投げてボートを引き寄せてくれました
彼は日焼けした顔に歯の白い快活な青年で甘木くんといい、この島唯一の日本人、ゴム農園の監督だそうです
案内してもらうとジャングルの中、平地の一画を切り拓いた農園の向こうの端は例の川に面するところまであって、50人ほどの現地人が働いているのが見えました

立ち並ぶ人夫小屋に隣接する倉庫の一部が、事務所を兼ねた監督の住居でした
日本語を懐かしがってありったけの酒や缶詰をふるまってくれ、我々は一泊することになって、使いを出して伝言させてボートを帰しました
日暮れとともに現地人は次々と挨拶をして小屋に入って行く
「早いね、ここらの人は。ときに蝶をとるのにいい場所はありますか?」
甘木くんは意外にも顔を曇らせると、
「お勧めしませんね。蝶ならいることはいますが」
「なぜです?」
「実は…人が消えるんです。ときどき。たいてい夜中ですが」
「逃げたのかな?」
「そんな理由も方法もありませんよ。めったに船は来ないし」
すると住民が早々に閉じこもるのもその恐怖心からなのでしょう
「 虎か豹にでも襲われて…」
「猛獣はいません。ただ心当たりといえば、島の中央にあった1600フィートの山が5年前に豪雨で崩れて、蒸発事件はそれからです。時期的に一致する」

後編に続く

ほな

  • >>1008

    願法堂奇談
    アホルダー百物語

    「南洋夜話」後編

    私の灰色の脳細胞が活性化して、
    「それだ! 地殻変動で地下に閉じ込められていた太古の巨獣が地上へ出てきた。あるいは山奥の大蛇が激流で川下へ流されてきた」
    「想像力が豊かですね。漫画の読みすぎですか?」
    甘木くんは呆れた顔で、
    「山の鼠が麓に降りて風土病でも持ち込んだかと思ってるんです。熱病の突発的な劇症で熱さに川へ身投げするのかと。推測の域で、全て説明もできませんが。何にせよ、連中は迷信深いので夜は魔除けも兼ねて気休めに外にランプをかけておきます。このままだと人は居つかず集まらず、いずれ廃業ですね」
    窓外を見ると、農園の向こう端に遠くポツンと灯りがこぼれて見えます
    結論の出ないまま消灯して、各人、アンペラにくるまりました

    眠れぬ私はそっと抜け出しました
    ランプが誘蛾灯になっているはずです
    灯りを目当てに行くと轟々と鳴る川っぷち…奇妙な生き物が群れをなしていました
    狸でもない狐でもない、何万という数で列をなし右往左往、あちこちで渦を巻いて駆け回り、端から川へ飛び込んで行く
    あの渦巻きに催眠効果があったものか、私は歩を進めて捕虫網をかまえました
    が、振れないのです…誰かが抑えている
    「危険です。すぐに離れましょう」
    商社員でした、気付いて後を追ってきたんです
    引かれるまままず横合いの藪に逃げ込みました
    しばらく行ってようやく、
    「あれは何です? 知ってるんですか?」
    「願宝ですよ。こんなとことで出くわすとは。私は株のコレクターなのです。決してアレには手を出しません」
    「大化けしそうに見えました」
    「そう見せかけて化かすんですよ。捕っても塩漬けで用がない。朴訥な田舎者が全力で飛びついて、消息不明になる。ゴロゴロいます」
    「じゃ、人間消失の犯人は…」
    「違いない」
    「すぐに甘木くんに知らせないと」
    帰りは慣れぬ土地の夜道で迷って大回り、戻ると事務所は灯りがついてドアが開いています
    無人でした
    監督は後から気付いて慌てて探しに出たんでしょう
    もし川へ行ったとしたら…
    我々はもう出る元気もなく待つだけ、朝になっても彼は戻りませんでした

    日が昇ってから大騒ぎ、パニック状態で小屋から出ない者もいる
    我々二人はその日のうちに迎えのボートで島を去りましたから、それからどうなったかは知りません

    まあ、あれっきりでしょうね

    ほな