三菱ケミカルグループ(株)【4188】の掲示板 2021/04/03〜2021/05/12
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>>652
>よそ者ですが、
>Muse細胞発見ストーリー
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>Muse細胞の発見は偶然によるものだった
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>2007年のある日、京都大学准教授(当時)の出澤真理博士は幹細胞培養の実験中だった 同僚から一本の電話がかかってきた 「今から1時間後にワインの飲み会をする 来ないか」 新しい培地に交換したあと、博士は急いで飲み会に向かった
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>翌日実験室に来てみると、ピンク色であるはずの培地が黄色になっていた 驚いて顕微鏡で覗いたところ、何も見えなかった つまり、幹細胞はすべて消えていた、死んでしまっていたのだ 博士は気がついた 慌てていたため、培地ではなく、同じ色をした消化酵素の溶液を加えてしまっていたことに
>普通なら失敗液はここで捨ててしまう 博士はそうしなかった 培養皿を観察し続けた やはり何も見えなかった 30分以上経ったとき、液面に何かがぼんやりと浮いているように見えた ピントをこの浮遊物に合わせた 生きた細胞だった 栄養分のない飢餓状態の環境で1晩以上の長時間生き残ったこの細胞はどんな細胞なのか 博士はこの細胞を培養し、機能を調べた Muse細胞の発見である
>
>液を入れ間違えるという偶然と、失敗作を捨てずに丁寧に観察する研究者であったという“偶然”が重なり、iPS細胞、ES細胞に続く「第三の万能細胞」と呼ばれる細胞の発見に繋がった
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薬の世界では失敗と思われた事を諦めずに粘り強く取り組むことで、大きな成果に繋がることが多いです。
鶏にしか効かなかった成分を粘り強く研究して開発出来たメバロチン、速効性のインスリンを開発していたら偶然超効性の薬剤が出来たランタスなど。
イノベーションは、研究者のひたむきな努力に、神様が手助けをしてくれて起こるような事もあるのだなあと感じています。
ミューズが製剤化されたら、また伝説が1つ増えるんですね😀
critic_skii 2021年4月25日 14:30
>>610
よそ者ですが、
Muse細胞発見ストーリー
Muse細胞の発見は偶然によるものだった
2007年のある日、京都大学准教授(当時)の出澤真理博士は幹細胞培養の実験中だった 同僚から一本の電話がかかってきた 「今から1時間後にワインの飲み会をする 来ないか」 新しい培地に交換したあと、博士は急いで飲み会に向かった
翌日実験室に来てみると、ピンク色であるはずの培地が黄色になっていた 驚いて顕微鏡で覗いたところ、何も見えなかった つまり、幹細胞はすべて消えていた、死んでしまっていたのだ 博士は気がついた 慌てていたため、培地ではなく、同じ色をした消化酵素の溶液を加えてしまっていたことに
普通なら失敗液はここで捨ててしまう 博士はそうしなかった 培養皿を観察し続けた やはり何も見えなかった 30分以上経ったとき、液面に何かがぼんやりと浮いているように見えた ピントをこの浮遊物に合わせた 生きた細胞だった 栄養分のない飢餓状態の環境で1晩以上の長時間生き残ったこの細胞はどんな細胞なのか 博士はこの細胞を培養し、機能を調べた Muse細胞の発見である
液を入れ間違えるという偶然と、失敗作を捨てずに丁寧に観察する研究者であったという“偶然”が重なり、iPS細胞、ES細胞に続く「第三の万能細胞」と呼ばれる細胞の発見に繋がった
博士はこれより前、ES細胞に似た形をした細胞が発現しているのをたまたま観察する機会があった 「ひょっとしたらこの細胞は大物かも…」 これを再現しようとする研究を行った しかし、すべて失敗、4年が経っていた 半分諦め気分で他のプロジェクトも進めていた この他のプロジェクトの中で、加える液を間違うという偶然が起こり、Muse細胞が見つかった この細胞こそ、博士が求め続けていた「ES細胞に似た」細胞だった
Muse細胞の発見は偶然には違いないが、「ES細胞に似た」細胞を求める努力を続けていたことが背景にあった 単純にラッキーな発見だったのではない
Muse細胞の発見により、出澤博士はノーベル賞への登竜門と言われる米National Academy of Inventorsを受賞した(2017年)
株のことは別にして、出澤博士のMuse細胞発見は日本の誇りと言える