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(株)テレビ朝日ホールディングス【9409】の掲示板 2020/06/27〜2020/09/06

>>586

>今まで、香港市民は欧米型の自由と権利を十分に享受してきたはずなのに、中国共産党政府による香港支配が強まった途端に、香港の治安当局に従事する香港市民である公務員たちは、自分たちがこれまで享受して来た自由と権利を抑圧する側にあっという間に転じてしまったのです。

中国人も北朝鮮人も、実は、良く似ているのかもしれませんね。
つまり、権力者による抑圧や弾圧を怖れて、国民が拳を上げて立ち上がり政府に反旗を翻すことができないところです。

特に香港人は、これまで、自由と民主主義を享受してきた訳ですから、その大切さは十分に分かっているはずです。にも拘らず、香港に対する北京政府の支配力が強まった途端に、治安当局に努める香港人たちは、自分たちが享受して来た自由と民主主義を放棄して、今度は香港市民を抑圧、弾圧する側に回ってしまったのです。

これでは、中国人に自由と民主主義が齎されるはずがありません。

この点、日本人は違います。

日本では、明治時代初期に、自由民権運動と言う政治運動と社会運動が行われました。以下、自由民権運動の弾圧(NHK)より抜粋。

板垣退助がはじめた「自由民権運動」は士族だけではなく、農民や商人のあいだにも広がり、しだいにはげしさを増していきました。「国民の代表である議会が中心になった国づくり」を主張していた板垣に対して、伊藤博文たち政府は「政府中心の国づくり」を進めようとしていました。政府は、高まりを見せる自由民権運動に対して弾圧を加えていきました。この絵では、演説会を止めに入った警官に対して、民衆が激しく抗議しています。しかし、自由民権運動の火は消えることなく、全国へと広がっていきました。この勢いの中で1881年、明治14年ついに伊藤たち政府は、10年後に国会を開くことを約束したのです。(以上、抜粋)

江戸時代の武士には独特の習俗があり、腹切りで自害しました。罪に問われた場合や、幕政や藩政に対する抗議として行われることもありました。また、日本では、第二次大戦において戦局が苦しくなると、祖国(家族)を守るための神風特攻隊が誕生しました。今で言うところの自爆攻撃部隊です。

このように、日本人は、命を懸けて抗議したり、家族を守ったりしたのです。自由民権運動もまた弾圧に立ち向かった運動だったのです。こうした日本人の精神文化が自由民権運動を成功させたのです。