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国際のETF VIX短期先物指数【1552】の掲示板 2024/02/17〜

大島浩 父の旧制高校の日記に出てくる。駐ドイツ大使が文官の東郷茂徳から武官の大島浩に変わったニュースに、父は怒っている。

ネットで調べてみた。
興味深い記事があった。


■「私は失敗者、弁解しない」

◇大戦で動乱の国際情勢を回想

 明治大学名誉教授の三宅正樹さん(84)が茅ケ崎市の海岸近くに居を構えたのは半世紀近く前。国際政治や外交の歴史が専門で、日本が米国との戦争に踏み出す大きな契機となった日独伊三国同盟の研究に取り組んでいた。しばらくすると思いがけない人が近くに住んでいることに気付いた。

 大島浩。陸軍出身でナチス政権下のドイツに駐在武官や駐独大使として勤務した。政権の首脳と親交を結び、「ヒトラーは本大使にこう語った」というベルリン発の電報は日本の政策に大きな影響を及ぼした。A級戦犯として東京裁判に訴追され無期禁錮の判決を受けた。1955年に保釈され茅ケ崎に住んでいた。

 訪ねると話を聞かせてくれた。「私は失敗した人間だ。何を言っても弁解ととられる。だから私の語ったことは外に出さないでほしい」との条件がついた。通ううちに録音を認めてくれた。そうしたインタビューテープを三宅さんは大切に保管してきた。大島が亡くなった後、「お好きにして結構です」と夫人の了解を得ていたが、これまで発表したことはなかった。

そのテープを聞かせてもらった。73年の録音で十数時間分。大島は亡くなる2年前で87歳だった。

 興味深いのは独ソ戦だ。39年に不可侵条約を結びながら、41年にドイツはソ連に攻め込んだ。

 「ヒトラーはソ連の軍事力を低く見ていた。39年にフィンランドに攻め込んだソ連軍がさんざんな目に遭ったのを見て、その戦力はたいしたもんじゃないと見くびった」

 「開戦から間もなく前線を視察した。捕獲したソ連の大砲を試すと、命中精度が高い。兵もよく訓練されていた。私もソ連軍は弱いと考えていたから驚いた」

 独ソ戦を「ドイツが必ず負ける戦争だったのか」と振り返っている。純軍事的に戦力を集中しモスクワを攻めれば結果は違っていただろうとの見方だ。そうしなかったのはヒトラーの判断で、コーカサスの石油を手に入れる政治的思惑があったからと説明している。>