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(仮)メンタル編 個人投資家 Step up  スレ

(仮)メンタル編 個人投資家 Step up スレの掲示板

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  • 2020/05/26 08:33
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  • 「 また超えられなかった 何でなんだろう ? 」
     
    株式投資をしばらくしていると、総資産が100万、1000万、億 … と、
    順調に伸ばせていた時期もあるでしょう。  

    しかし、
    「また〇〇円の壁を越えられなかった」と言う経験を繰り返してはいませんか?
     
    その原因は、
    ファンダ分析力、チャート解析力、株式知識 テクニカル etc 
    それらが不足している訳ではありません。
     
    株式投資においては( 市場規模、銘柄規模を超えない限り )、
    100円を120円にするのも、500万を600万にするのもやることは同じなのです。
     
    ではなぜ、
    「 また超えられなかった 何でなんだろう ? 」が繰り返されるのか ?
     
    その答えは、
    越えられないのは「 金額の壁ではなくメンタルの壁 」だからです。
     
    「 メンタルの壁って何 ? 」

    「 ではどうすればいいの ? 」
     
    そんな声のヒントになる内容を随時UPしていきます。
     
    ( 世界の情勢や日本の政治経済のニュース、
      それらに対する個人的見解をUPする場合もあるかと思います。)
     
    海外投資家や機関、AIなどに翻弄されることのない
    個人投資家を目指してみませんか ?
     
    以下、勝手なお願いです。 

    ◎ こちらのスレはROM専でお願い致します。
          
    ◎ 後日、質疑応答スレを作成する予定ですので何かございましたら、
      そちらの方にお願い致します。
           
    (仮)スレに付き、ご不便をおかけすることも御座います。
     何卒ご了承ください。
     
    宜しくお願い申し上げます。

掲示板のコメントはすべて投稿者の個人的な判断を表すものであり、
当社が投資の勧誘を目的としているものではありません。

  • 【 情報 】
     
    緊急事態宣言が約1.5カ月ぶりに解除になり、
    市場では決算発表もひと段落して、気分的には少し落ち着きが出てくるかな ?
     
    とは言え、全てがコロナ発生前に戻ったわけではなく、
    新たなスタート地点に立ったと言うのが共通の認識でしょう。
     
    大企業を始め、中小、零細企業でも多くの倒産や閉鎖が相次いでいるようですが、
    『何かの終わりは、何かの始まり』である事は間違いのないことでしょう。
     
    さて、メディア、SNSなどでは、
    時間単位、秒単位で目まぐるしいほどの情報が流れています。
     
    より多くの情報を、より確かな情報を … と、そう思ってはいないでしょうか?
     
    情報の辞書的な意味は以下の通りになります。
     
    1. ある物事の事情についての知らせ。

    2. それを通して何らかの知識が得られるようなもの。
     
    多くの情報に惑わされたり、確かだと言われる情報に騙されたり、
    そのような事は、誰しも経験している事ではないでしょうか?
     
    何故、そのような事が起こるのでしょう ?
     
    それは『情報には必ず発信者と言う存在がある』からなのです。
     
    つまり、発信者とは『意思ある者』です。
     
    何らかの情報を発信した(された) … 
     
    そこに「隠された意思(意図)は何か?」を見つけることが出来なければ、
    情報は無価値と言っても過言ではありません。
     
    意図にはまってしまえば、無価値どころかマイナスでもあるのです。
     
    ヤフーファイナンス掲示板でも、『様々な情報』が刻々と更新されています。
     
    もしそれらを『鵜呑み』するようなら … 
    その結果は、もう皆さんご存じのはずですね。
     
    新聞だから、公共放送だから、国営メディアだから …
    いえいえ、そのようなものこそ「意思・意図」を慎重に見抜かねばなりません。
     
    情報弱者とは、情報を持たないものではありません。

    本当の情報弱者とは、
    「情報の中の意思・意図に見事にコントロールされる者である」事を、
    お忘れなきように … 。
     
    では、今回はここまでです。

  • 【 (無料)SNSの正体 】
     
    平成時代の方も、令和になってからも、
    SNS(掲示板を含む)は『無くてはならないツール』
    となってしまっている事だろう。
     
    以前、某スレ某氏にそれを説いたことがあるが … 
    それはそれとして、『SNSが無くては生きてゆけない』そう感じている、
    そんな方も相当数いるだろうという事に対して、異存は無いだろうと思う。
     
    SNSの正体 … 表向きは『経済の更なる活性化』の為に、
    無料で普及させた訳だが、では、
    『経済が最も活性化する状態』とはどんな状態か ?
     
    そのヒントは、SNSの発祥はどこの国か?という事になるだろう。
     
    一足飛びに結論を言えば、『SNSは新たな戦争を起こす、起させるため』に、
    無料で全世界に広められた。という事を知っておかなければいけない。
     
    話の展開がこのような物言いでは、見えない方もいらっしゃるのではなかろうか?
     
    まず後半部分の、「戦争が経済を最も活性化させる」という事について話そう。
     
    これについては一般的な用語として『戦争特需』なる熟語まであるので、
    そう難しいことは無く理解できると思う。
     
    『のほほ~んとした平和』では、そこに危機感などは全く無く、
    競争意識もそれほどかき立てられることも無い為、
    経済は横ばいどころか、甘んじて緩やかな下降線を受け入れてしまう事になる。
     
    資本主義社会、自由主義社会ではやはり『競争』が、
    社会の根本エネルギーになっていると言っても、過言ではないのだ。
     
    では次に前半部分の『SNSは新たな戦争を起こす、起させるため』について、
    説明していきたいと思う。
     
    皆さんは普段、SNSと言うツールで何をしているだろうか?
     
    そしてその相手は誰(自分との関係性はどんな方)だろうか。
     
    これらは簡単に答えが出て、
    「友達や仲間と共通の話をしている」となるのではなかろうか。
     
    ではここで視点を変えて、「SNSで話さない、接点を持たない方」とは、
    自分にとって一体どんな方々だろうか ?
     
    その答えは、「何ら(自分と)共通部分を持たない(と思っている)相手」
    となるのではなかろうか?
     
    つまりここで『友達(仲間)とそうでない相手(複数)』とに分けられただろう。
     
    実はこの『グループ化した対立(意見や価値観を異にする)する存在』が、
    自分及び自分の仲間(友達、グループ)と、常に対立してしまうのが、
    『SNSの正体』という事になるのだ。
     
    対立する存在同士の『境界線上』には、
    必ず、『葛藤・混乱・争い』が生じてしまうのが人の世の常なのだ。
     
    逆に『葛藤・混乱・争い』が無いなら、そこに『境界線がない』と言う事なのだ。
     
    そしてSNSの問題点のもう一つは「依存」と言うものも挙げられるだろう。
     
    この依存はと言う問題は、初期の段階では全く気付かない事が多いが、
    ある時期に差し掛かると、『自分自身の中で葛藤』をもたらす。
     
    適切ではないが、『薬物依存』と言う状態を思い出してもらいたい。
     
    始めは興味本位、しかし「このままではダメだ」と言う状態を誰しもが経験し、
    ここが分岐点になり、依存から脱却できる方と、
    どうしようもなくなる方に分かれてしまう。
     
    SNSも同じことが言える。
     
    SNSの場合の「このままではダメだ」と言う状態とは、
    『リアルの日常生活に支障をきたし始めている』状態と言えるのではなかろうか。
     
    長くなってきてしまったので、少し結論を急ぐことにする。
     
    SNSとは個人を依存状態にし、
    グループや個人の対立から起こる混乱を誘発させ、
    強いては社会的混乱や戦乱を引き起こすのとが目的でリリースされたのである。
     
    誤解の無い様に付け加えておくが、
    『毒も適量であれば薬になる』し、
    『刃物もオペで使えば命を救い、私怨で使えば命を絶つ』様に、
    SNSも使い方次第であることは間違いない。
     
    しかし、『SNSの特性と使い方』をきちんと理解している方はごく少数であって、
    大多数の方は「興味本位→楽しい」からスタートしているのではなかろうか?
     
    それでは、今回はここまでとします。😽

  • 【 ひとりごと 】
     
    ハンス・アスペルガー(Hans Asperger)医師、オーストリア・ウィーン生まれ
     
    1944年、彼は4人の少年を被験者とし、
    「共感能力の欠如、友人関係を築き上げる能力の欠如、
    一方的な会話、特定の興味における極めて強い没頭、
    およびぎこちない動作を含む行動および能力のパターン」を同定した。
     
    彼はアスペルガー症候群(AS)の最初の定義を著した。(以上引用元:wiki)
     
    日本人の20人に1人は「隠れアスペ」と言うデーターがある。
     
    「隠れアスペ」はなぜ気づかれないのか?
    〜隠れアスペルガーという才能について〜( KKベストセラーズ )
     
    もし「隠れアスペ」と言う事実・存在を知らなかったら、
    そういわれる方も、またそういわれる方と接する方も、
    共に生き辛さを感じている事だろうと思う。
     
    しかし、この本の著者(吉濱ツトム氏)は、
    「彼らは、実は才能あふれる素晴らしい人材でもある」とも言っている。 
     
    (引用元検索):KKベストセラーズ・「隠れアスペ」はなぜ気づかれないのか?

    もし、本人も周囲の方々もアスペルガーについて理解できたとしたら、
    互いの生き辛さは消えるとまではいかないまでも、相当軽減できると感じる。
     
    20人に1人という事は、向こう三軒両隣に1人と言う確率になる。
     
    それ以前に、自分さえその可能性はあるという事になるのではなかろうか ?
     
    上手くまとまらないが、【 ひとりごと 】という事でお許しいただこう。
     
    えっ !? 
    「トレードと関係ないじゃないかっ!」ですって …。
     
    いいえ~ … 関係ありますよ。今回は関連銘柄で如何ですか ?
     
    2471:エスプール 6187:リタリコ 6556:ウェルビー
     
    以上3銘柄が関連銘柄です。
    興味があればご自身でお調べになって下さいね。
     
    それでは、ここまでです。

  • 【 ロジカルシンキング (logical thinking) 】

    仲良しの家族のお話しです。
    お父さんとお母さん、二卵性双生児の男の子と女の子で暮らしていました。
     
    しかし、そんな仲良し家族にもコロナウィルスの魔の手は伸びていました。
     
    父(電話口):「今日で仕事が一段落したので、明日帰ろうと思っていたんだけど、どぉ~も3日前からだるくて熱もあるみたいなんだ。」
     
    母(電話口):「それは大変、私が迎えに行くわ。」
     
    父:「ありがとう、でも、もしかしたらコロナの可能性もある。明日相談センターに連絡してどぉ~するか決めようと思うけど … 」
     
    母:「そうなの、解かったわ。でも何かあったら直ぐに連絡してね。」
     
    父:「うん、そうするよ。子供たちによろしくな。おやすみ。」
     
    母:「はい、子供達にはきちんと説明しておくわ。おやすみなさい。」
     
    … … …
     
    ( PCR検査の結果、お父さんはコロナ陽性が判明し、
    湖に小さな小島が浮かぶ湖畔の医療施設で隔離生活が始まりました。)
     
    女の子:「お父さん、大丈夫かな~。心配だなぁ~。」
     
    男の子:「大丈夫だよ、ぼく達のお父さんだもん。すぐに元気になるよ。」 
     
    母:「あなたたちも学校がお休みで、
    生活のリズムが変わってしまって大変でしょうけど、
    みんなで協力して、お父さんが帰ってくるまでしっかり頑張りましょうね。」
     
    子ら:「はぁ~い。」
     
    … ( 数日後:お父さんの経過は良好、PCR検査も陰性に変わった。)
     
    女の子:「お父さん、もう一回PCR検査で陰性なら帰って来られるのね。」
     
    母:「そうね、LINEの感じだと体はもう大丈夫だって。湖上の小島を見て
    一日過ごしているらしいけど、退屈でかなわないって言ってたわ。」
     
    男の子:「ねぇねぇ、お父さんに小島からエール送ろうよ!」
     
    女の子:「それはいいわぁ。そうしましょう。ねっお母さん。」
     
    母:「いいわねぇ、でもどうやってあの小島に行くの ?」
     
    男の子:「大丈夫っ!去年のキャンプで使ったゴムボートがあるから。」
     
    女の子:「あのボートなら小島まで行けるわね。」
     
    母:「あのゴムボート? あれって積載量85㎏だけど大丈夫なの?」
     
    女の子:「あたし 40㎏ … 」
     
    男の子:「ボクも 40㎏ …。お母さんは ? 」
     
    母:「お母さんはちょっと太っちゃったから50㎏くらいかしら …」
     
    母子:「 … … … 」
     
    ( そして10日後:みんなの家 )
     
    父:「いやぁ~みんなありがとう。ホント心配かけちゃったな。
    でもうれしかったなぁ~、3人揃っての小島からのサプライズプレゼント。
    Lineで連絡もらって、楽しみにしていたけど
    【小島と湖岸の間を○○往復】もして、みんな本当にありがとう。」
     
    女の子:「みんなで考えたの。どうやって小島に渡るかが一番問題だったわ。」
     
    男の子:「3人揃っては無理かと思ったけど、チャ~ンと出来たね。」
     
    母:「そうね。これからはお父さんも加わってまた4人ね。
    きっとどんなことでも乗り越えていけそうな気がするわ。」
     
    父:「そうだな。みんな、ヨロシクなっ !」
     
    一同:「は~い」
     
    … … …

    Q:小島でのサプライズプレゼントが完結するまでに、
      ゴムボートは湖岸と小島の間を何往復したでしょうか ?
     
    … … …
     
    ロジカルシンキング (logical thinking)とは、
    「物事を体系立てて整理するための思考法」のことです。
     
    社会や企業でのプレゼンはもちろん、
    トレードにおけるファンダメンタルズを分析し考察するにあたっても必須ですね。
     
    では今回はここまでです。

  • 【 一生 … その時間 】
     
    時間って何 ? 
    そう聞かれたらどう答えますか ?
     
    おそらく多くの方は、
    「時間と言う概念・時間についての概念」を答えられるでしょう。

    そう答えるという事は既に、
    「時間と言う存在を認めている」という事になりますよね。
     
    ところが …
    『時間は存在しない』ときっぱり言い切っている方がいらっしゃいます。
    そう言うのは、カルロ・ロヴェッリ氏、理論物理学者です。
     
    興味がある方はこちらをどぉ~ぞ。
    『時間は存在しない』
    作者:カルロ・ロヴェッリ 翻訳:冨永 星 出版社:NHK出版
    発売日:2019-08-29
     
    奇しくも同じNHKで「70才、初めて産みます 〜セブンティウイザン〜」が
    放送を開始したようです。(4月5日(日)午後10時放送スタート)
     
    残念ながら書籍も目を通した訳ではありませんし、
    放送も観ていない事を先にお断りしておきます。
     
    さて本題に戻りますが、
    「どんな命も平等に一生がある」という事は間違いないと思います。
     
    『 いいや、そんな事は無い。平等なんて嘘っ八だっ ! 』
    当然そんな言葉も聞こえてくるでしょう。
     
    そんな言葉に対しての返答は、
    「概念で縛られてるンじゃないですか?」になるでしょうね。
     
    長生きした、短命だったという「時間と言う概念」、
    裕福だ、貧乏だという「貧富の概念」、
    確からしさのない概念と言う物差しで何かを計ってしまえば、
    「いのちの一生」など何も輝くことは無くなってしまう事でしょう。
     
    桜の花が散り、菜の花が咲き、庭先では牡丹の花が揺れています。
     
    少なくなったと言われる二ホンミツバチがレンゲの蜜を集め、
    今年も南からはるばるやってきたツバメたちは巣作りに大忙しです。
     
    小さなアマガエルがアジサイの新葉に居たかと思えば、
    その根元にはカナヘビさんが首をかしげて木洩れ日を浴びています。
     
    そんなそれぞれ「一生」は、己を他者を決して何かで計ろうとはしません。
     
    日時を気にするなんてことも全く無いでしょう。
     
    つまりそんな命には「時間は存在しない」のです。
     
    「一生(その流れの)」中で、
    概念などと言うものには何も縛られることなく天寿を全うしている最中、
    「ただ在る」だけなのです。
     
    概念にがんじがらめにされた思考がそれを許さない現代人に、
    それを見て見習えと言うのは酷かもしれません。
     
    しかし、概念が当たり前のように通用しないしていた日常が、
    そうでなくなった「非日常的な今」こそ、
    概念の呪縛を解き放つチャンスのような気がします。
     
    えっ! 株の話はどぉ~したって ?
     
    ちゃんと言いましたよ …
    「非日常的な今」チャンスってね。
     
    売りだの買いだの、ノーポジだの「日常」はどぉ~だったのですか ?
     
    「非日常的な今」、そのままですか ? どぉ~します ?
     
    それでは、今回はここまでです。

  • 【 条件付け・条件反射 】
     
    「オペラント条件付け」や「パブロフの犬(条件反射)」と言う言葉を
    一度や二度は聞いたことがあると思う。
     
    オペラント条件づけとは、報酬や嫌悪刺激(罰)に適応して、
    自発的にある行動を行うように学習することで、
    行動主義心理学の基本的な理論でもある。
     
    条件反射とは訓練や経験によって後天的に獲得される反射行動のことである。
     
    前者は学習する事とある様に自分の意思が反映されている部分もあるが、
    後者はパブロフの犬に代表されるように生理的反応の意味合いが強い。
     
    何れにせよ、「特定の何か」に対して、
    ある固定的な反応(行動)をするという点では同じなので、
    今回ここでは明確な区別を避けることにする。
     
    株取引に限る事ではないが、同じような間違いを繰り返してしまう場合がある。
     
    そのような場合、
    そのトリガー(引き金)になったものは、何かを自身で見つけなければならない。
     
    そのトリガーこそが条件そのものであることは疑う余地は無いはずだ。
     
    その「条件」が見つかったら、
    今度は「なぜそのように条件づけられた」かを見つけてみよう。
     
    実はこれは意外と難しい場合も多い。
     
    幼少時代の躾の結果であったり、時にはトラウマに起因する場合もあるからだ。
    ( ※注:専門医のカウンセリングが必要な場合もある。)
     
    本人が気付かず、不便も不自由も感じないならそれに越したことはないが、
    そうでない場合は時間をかけて対峙することが大切である。
     
    「 おっ ! お気に入りのあの銘柄がIRだ。
      ナニナニ…上方修正!? よぉ~し … 。」
     
    「 あっ、あの人がつぶやいた。 それなら … 」
     
    こんなご自身の心の声がしたら要注意です。
     
    『 次に取ろうとしている行動 』が条件反射になってませんか?
     

    それでは、今回はここまでです。
     


    『欲が絡んだ条件反射』は痛い目に合う

  • 【 信仰 】
     
    信仰 ?  株の話と関係ないんじゃないの ? 
     
    まぁ、そんなことは言わないで …
    信仰の意味を知ると株にもちゃ~んと関係あるって解かりますからね。
     
    信仰と言うと宗教を思い浮かべる方が多いことでしょう。
     
    およそ景気が良くなると出てくるのが新興宗教、
    そして景気が悪く沈んでくると、古典宗教の亜種がその対象になりやすいかな?
     
    ではまず、信仰の辞書的意味を …
     
    神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)
    信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。
     
    このように書かれていますね。
     
    以前、「知る」という事と、「信じる」という事について書きました。
     
    ヒトの脳は生理学的に「知らないものは信じることが出来ない」と言うものと、
    「知る」という事は全てを知って初めて、「知っている」となると言うものです。
     
    よく、「わたしは~~を信じています。」と言う言い方を聞きますね。
    そうです。もうこれは信仰そのものです。
     
    辞書的意味の所にあった、神や仏 … 。
     
    神って何ですか? 仏とは一体どういうものですか?
     
    神や仏と言っても、それらは「概念」に他なりません。
    ですから、どのような知識をもってしても、
    神や仏とは言い表せない存在のはずです。
     
    つまり、神や仏を信じていると言っても、
    「知らない、未知の部分がある」のに、信じているという事になります。
     
    これは、前出の「知る・信じる」と言う図式と矛盾しますね。
     
    つまりどぉ~言う事かと言うと、
    信じているではなく「信じたい」という事なのです。
     
    「わたしは~~を信じています。」ではなく「わたしは~~を信じたいのです。」
     
    ~~したい、つまりこれは「欲望」です。
     
    信仰の正体とは「信じたいという欲望」の事だったのです。
     
    ~~したい。そして~~している。
    それらが継続している間は、それは満足感を味わえるはずです。
     
    ですから、「信じる者(信じ続けたい者)は救われる」のです。
     
    さて、では株の話に … 。
     
    有る銘柄をしっかりガチホされてる方もいらっしゃるでしょう。
    それはそれで個人のスタイルですから、是非もありません。
     
    では何故、その銘柄をガチホし続けるのか …
    その銘柄の「全てを知り尽くしている方など居やしません」よね。
     
    それはつまり、その銘柄を「信じ(続け)たい」のでしょう。
    その銘柄を絶対視して「信仰」しているという事です。
     
    どんなに綺麗事を言っても、
    何れにせよ株式市場は、「欲望の満ち溢れたところ」でしょう。
     
    「信じ(続け)たい」のなら、それはそれでいいと思います。
     
    しかし、個別スレでは「この銘柄に裏切られた」と言う書き込みを見かけます。
     
    その言い草は「責任転嫁」もいいところです。
    本人がただ単に、「信じ(続け)られななくなってしまった」だけなのです。
     
    もともと「全てを知らないにも関わらず」、
    信じたいという欲望に走った結果、「新たな知らなかった事実の発覚」で、
    信じたいという欲望が萎えてしまっただけ、と言うのが結論です。
     
    少々話は変わりますが … 、

    「何があってもどんな時でも信じ続けていたい」 …
    それは、親や子供、生涯の伴侶(など)と言う身近な存在に向くのが、
    一番のようですね。
     
    それでは、今回はここまでです。

  • 『 マズい・ヤバい 取り返しがつかなくなったら … 』
     
    ( スレずれではあるが、この状況下では致し方ないので )
     
    どうなのだろう「私は大丈夫!」と思っておられる方がまだいるだろうか?
    多かれ少なかれ世界の状況を目に、耳にしていれば、
    それなりの危機感を持ち始めているのではなかろうか?
     
    人類初体験のコロナウィルス、未知のウィルス、
    それがもうすぐそこにまで迫ってきている。
    ( 当然それと同時に、社会、経済、金融不安も日々大きくなっている。)
     
    個人の、国民の危機感と、政府、官邸の危機感に温度差があるように感じる。
    ( 私の住んでいる地方は感染者は未だ0だが、自治体は対応が始まっている。)
     
    中国国家主席の国賓来日予定があったから、オリンピック開催予定があったから、
    そして現政権の経済的実績が無になってしまうから …
    本来なら出来たであろう対策が後手後手になった、なっているのではないか?
     
    人同士、国同士の戦争ではなく、未知のウィルスとの戦いなのだから、
    「過剰防衛」と言われるくらいの政策を先手でうっても、
    大した非難は起きないと思うのだが … 。
     
    被害、実害は日々明らかに大きくなっている今、
    決して負けてはならないウィルスとの戦いは既に土俵際まで来ている様に思う。
     
    より具体的な施策、次の一手を、と強く思う。
     
    国も、政府も、自治体も、そして一人一人が、
    「やらない後悔」より「やった後悔」を選択する時期になったと感じる。
     
    そう、出来ることを出来るだけ、それだけでいいのだから。

  • 『 集まること 』
     
    コロナ三密とは、『密閉・密集・密接』の事を言うらしい。
    そしてそれらを避ける事をNO三密とか …
     
    このような言葉の使い方を政府関係者や首長などが率先して使っている。
    これから先の世代は、三密を密閉・密集・密接と理解するに違いない。
     
    本来、三密とは仏教用語。
    主に密教でいわれ、身密、口密、意密の総称である。
     
    簡単に言えば、身体、言葉、こころの三つを表している。
     
    コロナウィルスが猛威を振るっている現況、多くの方々が
    本来の三密(身体、言葉、こころ)に支障をきたしていることと思う。
     
    コロナウィルスに起因して、各地で様々なヘイトスピーチが起こっている。
    ヘイトスピーチは正しく三密(身体、言葉、こころ)の乱れそのものと感じる。
     
    お題を『 集まること 』としたのは、
    『 集まること 』によって更なる悲劇が引き起こされる可能性が高まるからだ。
     
    コロナ三密『密閉・密集・密接』は、当然集まっている状態だ。
     
    しかし、この『密閉・密集・密接』以外に、
    「集まっている(集まる)状態がある」と言ったら、何を思い起こすだろうか。
     
    この掲示板を含む、各種SNSがそれにあたるだろう。
     
    個人が特定できるSNSならまだしも、掲示板のような匿名性の高いものは特に、
    本来の三密(身体、言葉、こころ)の乱れが、必要以上に大きく反映されてしまう可能性が高いだろう。
     
    人ひとりが何を言っても、何かを誰かを攻撃しても、さほどの事は無いだろうが、
    複数の人々がそれを行えば、それは途轍もない脅威となってしまう。
     
    どこにも出かけられないから(肉体的ストレス)、
    話し相手が居ないから(さみしさ:感情的ストレス)、
    何か不安だから(心的ストレス)、掲示板を含めたSNSにすがり、
    「その集団から仲間外れにされることが怖くて烏合の衆となってしまう」
    と言う状態が起こる。
     
    そのような状態では、「仲間こそが正義」と言う心理状態になる為、
    物事を判断する事さえ人任せになり、自身の責任は棚上げしてしまうわけだ。
     
    先ほど、烏合の衆と言う言い方をしたが、
    株式市場では「イナゴ」がそれにあたるだろう。
     
    コロナウィルス騒動は、
    『 集まること 』によるメリット、デメリットを、
    これからの人類に問いかけているのかも知れない。
     
    せっかくの、「コロナNO三密(密閉・密集・密接)」なのだから、
    「本来の三密(身体、言葉、こころ)」にしっかり向き合ってみてはどうだろう。
     
    ICUに隔離され、人工呼吸器をされてしまってからそれをしても、
    それでは遅すぎるのはご理解いただけるだろう。
     
    それでは、今回はここまで。

  • 『 志村けん さん … 』

    70才ですってね。
    コロナが無ければ … 「ればたら」は虚しいだけですね。
     
    「 知る 」と言う視点からでは、コロナウィルスに関しては未だに、
    「ほとんど何もわかっていない」と言った方が良いのかもしれません。
     
    そんな中でも、ハッキリと解かっている事は、
    「どんなに手を尽くしても死に至る可能性がある」という事、それと、
    「人から人へ感染する」という事、「感染しても無症状の人が居る」という事。
     
    そんなわずかな情報からでも、出来る事、やれる事はあるようだ。
     
    それは「自分自身が感染しない事」に尽きると思う。
     
    その最大の理由は、自分が死なないためにではなく、
    例え、未必の故意であっても「自分以外の人を殺さないため」に、
    全力を注がなくてはならないと思う。
     
    まだまだ生きられる誰かを殺すことにならない様に、
    自分自身が感染しないよう、徹底したい … というより、 
    人として、そうすべきであろうし、そうしなければいけないと強く思う。
     
    末筆ながら、志村けんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌🙏

  • 【 One Team ( 外側の一番身近な境界線・枠 ) 】
     
    ラグビーW杯で日本代表がスローガンにしていた「 One Team 」…
    日本語に意訳すると「一丸(いちがん)」と言う単語が最適かもしれない。
     
    わたしが居て、あなたが居て、あなた方(彼ら)が居て、
    そして一体になり、一丸になる。
     
    どうだろう、とても耳障りの良い言葉のように思えるが … 。
     
    さて、今回の副題「外側の一番身近な境界線・枠」に話を移そう。
     
    「外側の」と表現したが、「内側と外側の境界線・枠」と言った方が正確だろう。
     
    その枠とは、何を隠そう「わたし(と言う枠)」のことだ。
     
    誰でも「私と言う存在」があって、
    「私以外(あらゆる存在・事象)との関係性の中」で生きているはずだ。
     
    もうお気づきの事と思うが、「私と私以外には明確な境界線」がある訳にだ。
     
    様々な問題と言うのは、(※ 私の心の中で起こる場合もあるが)
    私と私以外と言う境界線を前線として起こっているのだ。
     
    (※ 私の心の中で起こる場合についてはまたいずれ説明します。)
     
    もしも、この「私と言う境界線が無かったら」 … 、
    そう、全てはうまくゆくのかもしれないが、
    それは、現代と言う世の中では絵空事と言われてしまうかもしれない。
     
    しかし、「滅私奉公」などと言う言葉があるように、
    実際そのような生き方をされた方が、している方が、
    居たのかも、居るのかもしれない。
     
    およそそのような方々は、「何の問題もなかった」と想像できる。
     
    そのような聖人まがいの事は何れにせよ、身近な「わたしとあなた」、
    そこにある「問題」に日々注意するくらいはできるだろう。
     
    その問題が起こらない、または消えた時、
    新しい何かが見えてくるようなそんな気する。
     
    ではまた次回 … 。

  • 【 枠 ( わく=線引きにより区切られたもの )】
     
    今回の主題は少々抽象的だが、
    これまでに書いた項目やこれから書くであろう項目に、
    多かれ少なかれ関係しているという事をまずお伝えしておきたいと思う。
     
    『 東京都と言う「枠」では収まらないので … 』
    このような発言が都知事の方から昨夜あった。
     
    「枠に収めるとか、収まらないとか」このような発想こそ、
    実は人類にとってコロナウィルスよりも恐ろしいという事を説明したい。
     
    まずは、小学生の疑問のような話から …
    「 地図や地球儀にある国境や色んな境の「線」って一体どこにあるの ? 」
     
    その素朴な疑問にあなたならどう答えますか?
     
    そんな小学生がやがて成人となり、家庭をもち、家族の増えたある日 …
    「 よしっ、一戸建てを購入しよう 」と一念発起、
    まだ更地の分譲地を見に行くと …
    「 この杭が隣地との境界ですね。そしてここに近い将来わが家が … 」と。
     
    隣地境界線(枠)で区切られた所有地 …
    もちろんそこだけで「生きるという事が完結する訳などない」のに、
    後々は誰に相続するだの、近隣が迷惑だの、様々な問題が生じるように … 。
     
    そのような問題の根源はと言うと、
    実在など決してしない「枠( わく=線引きにより区切られたもの )」を
    設定してしまったからに他ならないことは明白だろう。
     
    今回は取っ掛かりの序文として記してみたが、
    「 線引き・枠・境界 」については、
    実在はしない(思考の産物)なのに、人類を様々な危機に陥れるという事を、
    折あるごとにお話しできたらいいかなと思っています。
     
    ではまた。

  • 『 東証・市場再編 (2022年4月)』(私観)
     
    一カ月ほど前(2020年2月20日)東京証券取引所の
    市場再編のニュースがありました。
     
    現在の東証は、
    「1部」「2部」「ジャスダック」「マザーズ」の4市場となっていますが、
    再編後は「プライム(プレミアム)」「スタンダード」「グロース(エントリー)」の3市場になるとの事です。
     
    (詳細については「東証再編」で検索なさって下さいね。)
     
    東証が再編される大きな理由は2つあるようです。 
    〇 東証1部の銘柄数が多い
    〇 市場の特徴が明確でない
     
    それら表向きの理由に対しての本音は、
    「 外国人投資家のお金を更に多く日本に呼び込みたいがため 」らしいです。
     
    如何でしょうか …
     
    東証再編が国内個人投資家を更に不利な立場に追い込むことになるのでは…と、
    心配される方も多いのではないかと感じます。
     
    日銀が買い支えをして、外資が持ってゆく …
    言い換えれば、日本国民の血税が合法的に海外資本家の手に渡る。
     
    そんな色合いが、さらに濃くなる可能性が大きいのではと首を傾げたくなります。
     
    アメリカや中国の市場のに目を向けると、
    同じ銘柄であっても、議決権の有無の区別があるものや、
    A:国内投資家向け、B:外国人投資家向けのような区別があるものがあります。
     
    なぜそのような区別をしているか …
    一つの大きな理由は、外資の敵対的買収を避けるためと考えられます。
     
    今回発表された東証再編を
    「投資のチャンス」と煽っているアナリストを見かけます。
     
    本当にそうでしょうか ?
      
    市場が活況であることは、経済の大きな潤滑油になることは事実でしょうが、
    もし市場が暴走してしまえば、良くも悪くも国家のデフォルトに繋がるのでは
    ないでしょうか。
     
    ギャンブルや賭場は必ず胴元が儲かる仕組みになっていることは、
    皆さん周知の事と思います。
     
    株式市場が賭場と化してしまっては、企業も投資家も終わりです。
     
    そんな兆候が見え隠れする今 …
    国内企業や国内投資家の為の真の市場再編が求められているような気がします。
     
    それがまた国益にもなるはずなのですから … 。
     
    ( 以上、個人的見解 で・し・た )

  • 【 わたしにも(あなたにも)責任がある 】
     
    コロナウィルスがついに世界規模となり、その猛威はさらに増している。
    おどろおどろしい一文であるが、現実はそうである。
     
    『 その責任は あなたにもある ! 』と言われた時、
    多くの方はこう答えるだろう。
     
    「 何故だ、そんなことは決してないはずだ。言いがかりにもほどがある。」と。
      
    実は、こう答えることが許されるのは、
    『この世に現存しない方のみ』と言ったら、また反論を受けるだろうか?
     
    少々遠回りをしたが、
    『 その責任は あなたにもある ! 』について、説明したいと思う。
     
    私たちは誰一人の例外なく、この地球に暮らし、この社会に属している。
     
    今、そのことを完全否定できる方はいない。
     
    社会に属しているという事は、
    その社会で起こっているすべての事に対して「何らかの関係がある」という事だ。
     
    あらゆることに対して何らかの関係があるという事は、
    それらに対して「あなたは無力ではない」ということなのだ。
     
    あなたがもし無力なら、責任の負い様は無いだろうが、
    「無力ではない」のだから、何らかの責任を負うことが出来る立場である。
     
    コロナウィルスを含む「この社会のあらゆる出来事」は、
    この社会に属している誰もが責任を負う。
     
    つまり、あらゆる出来事に対して、
    「わたしにも(あなたにも)責任がある」という事は理解いただけると思う。
     
    昨今の乱れた金融市場 …
    その責任は、わたしにも(あなたにも)あるという事なのだ。
     
    自分に何ができるか … 
    それを考え実行することが「社会人の務め」と、忘れないでいただきたい。

  • 【 偏見 (正しいとは言えない見方・見え方)】
     
    まずは「偏見」について、辞書の意味を参照してみよう。
     
    「かたよった見方。
     ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、
     特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、
     またそれにともなう感情。」となっている。
     
    如何だろうか ?
    何か気付くことは無いだろうか?
     
    では、辞書に書かれた意味に「ツッコミ」を入れてみるとしよう。
     
    ゆがめられた考え方・知識 …
     
    ゆがめられたとあるが、ゆがんでいるかそうでないか、
    誰が何をもってはかれると言うのであろう ? 
    (何を持ってしても、如何なる権威であろうとそれをはかることは無理である。)
     
    考え方や知識などと言うものも、それらが「完璧」であった試しは無く、
    何らかの落ち度(欠点)があることが常である。

    客観的根拠 … 
     
    客観的とは、主観的ではないと言う事は理解に容易い。
    つまり客観(的)と言うものは「誰かの主観」であってはならない訳だ。
     
    もう少し突っ込んだ言い方をすると、
    『客観とは、あなたの見方(見え方)でもなく、わたしの見方(見え方)でも、
    誰の見方(見え方)でもない見方(見え方)』となる。
     
    こういう言い方をしてしまうと、
    「客観的」と言う単語は使えないじゃないか、というお叱りを受けるだろう。
     
    現在使われている「客観的」と言う単語は
    「自身の見方を取り入れない見方」と言う程度となるだろう。
     
    辞書的意味についてのツッコミはこの位にして、主題の「偏見」に戻るとしよう。
     
    もうお解かりの事と思うが、
    如何なる見方も考え方も「(あるひとつの)偏見でしかない」という事なのだ。
     
    どんな権威ある専門家が説こうが、それは「偏見の一つ」であって、
    そこには『何らかの瑕疵がある』と覚えておいた方がいいだろう。
     
    ましてや、自分自身の意見などと言うものは、
    偏見以外の何物でもないという事を知っておけば、
    傲慢にふるまうことなど無く、常に謙虚で居られるということになる。
     
    謙虚な証券アナリスト、傲慢な証券アナリスト …
    そのどちらの意見も「あるひとつの偏見」として捉えておけば、
    自分の投資スタイルを邪魔されることは無いだろう。

  • 【 コントロール ( 支配 )】
     
    市場では株価操作と言う言葉を聞くことがある。
     
    本当に株価をコントロール出来るの ? 
    その答えはNO … 出来やしない。
     
    いかなるものに対して、どのような強大な力であっても、
    人為によってコントロールなど出来やしないのだ。
     
    このような書き方をすると、いくつかの反論も出てくるであろう。
     
    では、何故「人為によってコントロールできるものは無いもない」と、
    言い切れるのか説明していこう。
     
    まず、何かをコントロールするとは、
    「ある想定(計画)通りに事を収める」と言う事ではなかろうか。
     
    人知による想定とは、経験、知識に基ずく思考の範疇でのみ行うことができる。
     
    つまり「過去の経験」の延長線上に未来を設定してしまうのだ。
     
    一見それは、間違いではない様に思えるかも知れない。
     
    しかしそれは人間の傲慢がもたらすトラップでしかない事は明白だろう。
     
    ここ最近、猛威を振るうコロナウィルスに対してを例としてみよう。
     
    人類史の過去の経験にコロナウィルスが登場したことはこれまで無かった。
    それはつまり「想定外の代物」が突然登場したという事になる。 
     
    おそらく、数カ月、数年でワクチンや特効薬を人類は作る事が出来るであろう。
    コロナウィルスを撃退する手段として人類は躊躇なくそれを選択する。
     
    「コロナウィルスを撃退する」と言う想定をし、ワクチンや薬を開発する。
     
    仮にだ、それが成功してそのようになったとしよう。
     
    ワクチン、医薬品などと言うものは、作用と同時に副作用が必ずあるのだ。
     
    作用を想定し、副作用も想定できたから医薬品は承認されるのでは … ?
     
    その通りと言いたいが、そうではないだろう。
     
    未知のコロナウィルスに、既知のモノを作用させても既知とはならず、
    未知の何か(ケミストリー)をまた生み出してしまうのだ。
     
    つまり、想定内では収まらない想定外が常にあるという事なのだ。
     
    少し脱線するが、簡単なイメージとして、
    「想定内と言う”部分”を〇で囲ってみる」と、
    その〇の外側は想定外という事になる。
     
    その〇はそれ単独で存在しているのではなく、
    〇を含む何かがあるから存在しうるという事に気付くであろう。
     
    つまり、何かを想定内に収めたと思っても、
    その外側(想定外)については、人知が及ぶことは無いという事なのだ。
     
    おかしな言い方だが、「想定外を想定内に収めることなど無理」と言うことは、
    子どもでも理解できるだろう。
     
    想定できない部分がある、
    つまり想定通りには収まらない部分があるという事になるのだから、
    「コントロール出来なかった」と言う結論に至るしかないという事なのだ。
     
    福島楢葉町から復興聖火ランナーが … と予定ではそうなっているが、
    『福島の原発事故問題は何も解決していない』のが実情ではないか。
     
    もうそろそろ人類は傲慢さを心底反省し、謙虚にならないと …
    自ら✘✘の道を加速度的に転がり落ちるだけではなかろうか ???

  • 【 概念 と 実際( 具象・具現 ) 】

    まずは、こんな問いを …
    『 〇〇を知っていますか ? 』
    ○○には、どんな名詞(単語)を入れて頂いても構いません。
     
    えっ、いいですよ、とある株式銘柄を入れられても … 。
     
    では、本題に移ります。
     
    概念とは『 物事に対する共通の思考内容、またそれを言葉にしたもの 』です。
     
    実際とは『 単に頭の中で考えるのでなく、
    私達の生活する場に臨んでのもの、つまり現実・実体験 』です。
     
    ここで例文をひとつ …
    『 いやぁ~マイッタ。ここでもぎたてのイチゴを食べたら、
      イチゴの概念がすっかり変わってしまったよ。』
     
    『 概念が変わる 』 … これはごく普通に起こることです。
     
    例文の方は、『イチゴは甘酸っぱい(そして赤い)』と言う概念があった。
    ところが『(赤くない)甘味だけが非常に強いイチゴ』と出会った。
     
    この方は『イチゴは赤くて甘酸っぱいもの』 … 
    別の言い方をすると、イチゴとは赤くて甘酸っぱく”あるべきだ”と言う概念に
    縛られていたと言うことになります。
     
    概念と言うものは、「共通認識」と捉えられていますが、
    実際( 具象・具現 )とは必ず差異があるのです。
     
    なぜなら、認識を共にするためには言語を用いなければならず、
    その言語はどこまで行っても概念でしかなく、
    『実際( 具象・具現 )』とは違うのです。
     
    男性は”~~あるべき”、女性は”~~あるべき”、犬は、ネコは、…
    あの銘柄は”~~あるべき” … これらは『概念による呪縛』です。
     
    この世の 実際( 具象・具現 )には、
    『~~あるべき』と言えるものは何一つありません。
     
    ~~あるべき、などと言うのは、エゴイズムでしかないのです。
     
    どんなに多くの人が、『○○とはこういうものだ』と言ったとしても、
    それは実際( 具象・具現 )ではありません。
     
    概念とはつまり「思い込み」と言うことです。
     
    概念と同じような言葉に、「固定観念」という言葉があります。
    これも同様に思い込みなのですが、概念が変化を伴うのに、
    「固定観念」は固定と付いている様に変わらない思い込みの事になります。
     
    「頭でっかち」とか、「頭が固い」と言う言い回しがありますが、
    それらは”実際生きている”にもかかわらず、
    概念(思考の範疇)でしか物事をとらえられなくなっている方々の事です。
     
    せっかく、生(命)を受けてこの世に存在するというのに、
    『概念の呪縛にとらわれている』なんて、勿体ないというより残念なことです。
     
    因みに、人間以外の動物たちは『概念など持ち合わせていない』でしょう。
    何故なら、『言語を通した共通認識がない』のですから。
     
    概念の呪縛によって生きながらにして死んでいる文明人が
    この世を支配しようとしている。これは究極のホラーですね。
     
    どうぞ皆さま方も、
    「ゾンビにはならないように」気をつけましょうね。
     
    それでは、今回はここまでです。

  • 【 勝つひと 負けるひと 】
     
    買うのではなく買わされて、売るのではなく売らされる。
     
    買ったのか、買わされたのか。
    売ったのか、売らされたのか。

    同じ売り買いの繰り返しでも、結果は全く違ってくる。
     
    株は自己責任と言われるが、
    「買わされて、売らされた」のでは責任を負ったとは言えない。
     
    他者に惑わされない自分の意思のみの「売り買い」が、
    株取引の基本中の基本であることは言うまでもない。
     
    簡単なことなのだが、実は一番の肝なのかもしれませんね。

  • 【 自由と束縛 】
     
    ではまた、辞書を引用するところから始めましょう。
     
    自由とは …
    他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。
     
    束縛とは …
    動き・働きの自由に制限を加えること。
     
    すごぉ~くシンプルでツッコミどころがないですね。
     
    では、終了 … とはいきませんね。
     
    この自由と束縛、一見、相反するように見えますが、
    実は「非常に仲の良いお友達」のような関係なのです。
     
    と、言うより、
    多くの方は「自由と束縛の微妙なバランス関係」を望んでいるとい言った方が、
    的を得ているかもしれません。
     
    自由とは、何モノからも束縛を受けていない状態の事です。
     
    つまり、
    一切の物事や他者との関係性から離れている。
    一切の肉体の要請・欲求(〜したい)から離れている。
    一切の心の要請・欲求(〜したい)から離れている。 と言うことです。
     
    えっ、小難しいですって … じゃぁ簡単な例をあげましょう。
     
    ここはアフリカ大陸のサバンナです。
    あなたは素っ裸で何も持ってはいません。さぁ、あなたは自由です。
    どぉ~ぞ、好きになさって下さい。
     
    困るって、何でですか? 自由なんですよ。素晴らしいじゃないですか?
    食い殺されちゃう ? 餓死しちゃう ?
     
    それでいいんじゃないですか?
    自由とは、言い方を変えると、限りなく死と言う状態に近い状態だからです。
     
    何事にも囚われず、何も持たず、何に対しても執着しない …
    それこそが自由なのです。
     
    自由と束縛の絶妙なバランスを、ひとは求めていると言いましたよね。
     
    そうなんです。
    衣服を纏うことは肉体の束縛です。
    親兄弟に心を遣い、子を心配し、配偶者をいとおしいと思う …
    これらは依存であって、その依存とは束縛の事なのです。
     
    ただここで、一つ注意しなければいけないのは、
    いかなる依存対象もいつかは消える時が来るということです。
     
    あまり深い話になると、
    まだまだ小難しくなりますので、この辺にしときますが、
    要は「制限(束縛)された自由にこそ安心がある」のです。 
     
    えっ、解からない?ですか …
    じゃぁ、もう一回アフリカのサバンナに戻りますか?
     
    家があって家族がいて、何時からは何をする …
    こんな束縛こそが、実は平和(安心)だったりするンですね。
     
    今度は何ですか?
    株の話と関係ないじゃないかって ?
     
    そうでしょうか、
    取引時間が決まっていたり、値幅制限があったり、信用制限があったり …
    だから、安心して株取引ができるのでは … ?
     
    それでは、今回はここまでです。

  • 【 考える を 考える 】
     
    まずは、辞書にどう書かれているのか見てみましょう。
     
    1. あれやこれやと思いをめぐらす。
      その事について、心を知的に使って判断する。
     
    2. 新たなものをくふうする。考案する。

    さて、どうでしょう … まぁ辞書的にはこれでOKでしょうね。
     
    では、「あれやこれや」って ? 「知的に」って ? 「判断」? …
    「新たなもの」? 「くふう」? など、紐解いていきましょう。
     
    「あれやこれや」 … これは【記憶】から呼び出さないといけませんね。

    「知的に」 … 言い換えれば「知っていることを合理的に」ですね。
    んっ!「知っている?」…これは少なくとも未来ではありませんね。【過去】
    つまり、知る・知っているとは … 経験上のもの、まぁ【経験】ですね。
     
    「判断」 … これは選択・決定です。
      
    「新たなもの」 … 「これまでになかったもの」でいいかな。
     
    「くふう」 … 判断した結果良いと思われる方法となるかな。
     
    では、本題に行きますね。
     
    前述の、【記憶】【過去】【経験】が 何もないとしたらどうなるでしょう。
     
    その答えは『考える(と言う行為)などできない』となりませんか。
     
    つまり、考える(思考する)為には、
    考える為の材料(思考材料)が、絶対に必要不可欠なのです。
     
    ではここで、
    「あの人とはどんなに話しても、何を考えてるかわからない。」…
    「ボクだったら、あんなこと絶対にしない」…
    こんな場面を少なからず経験していませんか。
     
    これって実はごく自然な当たり前の事ナンです。
     
    何でって、それは … 
    全く同じ【記憶】【過去】【経験】を持つ方など、存在しないからです。
     
    言い換えれば、異なった思考材料を持つものは、
    同じ考えになり様がないからです。
     
    「そんなことないよっ!ボクたちはいつも同じ考えで仲がいいんだ。」…
    そんな声が聞こえてきそうですね。
     
    それは「互いに気遣い」があるから、仲がいいだけではありませんか?
     
    ここで一度結論を出しますよ。
     
    思考とは、【記憶】【過去】【経験】に基づくもの … です。

    ちょっとここで、脱線しちゃいましょう。

    「みんなちがって、みんないい」
    これは 金子みすゞさんがが詩に託した思いです。
     
    そうですよね。
    自分と違う過去を持ち、自分とは違う経験体験をした、
    自分とは違う考え方のひと、だ・か・ら『尊敬に値する』ンです。
     
    あなたがしたことがないことをしている。
    あなたが出会ったことのないモノと出会ってきている。
    あなたが考えたことも無いようなことを考えている。
     
    如何でしょうか。
     
    あなたの傍に何気なくいる存在、TV や Net の中でしか見たことのないあの方、
    みんな、みんな、自分とは違う。
     
    だから、尊い存在なのです。 

    では今回は、ここまでとします。

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