投稿一覧に戻る (仮)メンタル編 個人投資家 Step up スレの掲示板 33 Thanks 2020年4月20日 11:09 【 一生 … その時間 】 時間って何 ? そう聞かれたらどう答えますか ? おそらく多くの方は、 「時間と言う概念・時間についての概念」を答えられるでしょう。 そう答えるという事は既に、 「時間と言う存在を認めている」という事になりますよね。 ところが … 『時間は存在しない』ときっぱり言い切っている方がいらっしゃいます。 そう言うのは、カルロ・ロヴェッリ氏、理論物理学者です。 興味がある方はこちらをどぉ~ぞ。 『時間は存在しない』 作者:カルロ・ロヴェッリ 翻訳:冨永 星 出版社:NHK出版 発売日:2019-08-29 奇しくも同じNHKで「70才、初めて産みます 〜セブンティウイザン〜」が 放送を開始したようです。(4月5日(日)午後10時放送スタート) 残念ながら書籍も目を通した訳ではありませんし、 放送も観ていない事を先にお断りしておきます。 さて本題に戻りますが、 「どんな命も平等に一生がある」という事は間違いないと思います。 『 いいや、そんな事は無い。平等なんて嘘っ八だっ ! 』 当然そんな言葉も聞こえてくるでしょう。 そんな言葉に対しての返答は、 「概念で縛られてるンじゃないですか?」になるでしょうね。 長生きした、短命だったという「時間と言う概念」、 裕福だ、貧乏だという「貧富の概念」、 確からしさのない概念と言う物差しで何かを計ってしまえば、 「いのちの一生」など何も輝くことは無くなってしまう事でしょう。 桜の花が散り、菜の花が咲き、庭先では牡丹の花が揺れています。 少なくなったと言われる二ホンミツバチがレンゲの蜜を集め、 今年も南からはるばるやってきたツバメたちは巣作りに大忙しです。 小さなアマガエルがアジサイの新葉に居たかと思えば、 その根元にはカナヘビさんが首をかしげて木洩れ日を浴びています。 そんなそれぞれ「一生」は、己を他者を決して何かで計ろうとはしません。 日時を気にするなんてことも全く無いでしょう。 つまりそんな命には「時間は存在しない」のです。 「一生(その流れの)」中で、 概念などと言うものには何も縛られることなく天寿を全うしている最中、 「ただ在る」だけなのです。 概念にがんじがらめにされた思考がそれを許さない現代人に、 それを見て見習えと言うのは酷かもしれません。 しかし、概念が当たり前のように通用しないしていた日常が、 そうでなくなった「非日常的な今」こそ、 概念の呪縛を解き放つチャンスのような気がします。 えっ! 株の話はどぉ~したって ? ちゃんと言いましたよ … 「非日常的な今」チャンスってね。 売りだの買いだの、ノーポジだの「日常」はどぉ~だったのですか ? 「非日常的な今」、そのままですか ? どぉ~します ? それでは、今回はここまでです。 返信する そう思う2 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
Thanks 2020年4月20日 11:09
【 一生 … その時間 】
時間って何 ?
そう聞かれたらどう答えますか ?
おそらく多くの方は、
「時間と言う概念・時間についての概念」を答えられるでしょう。
そう答えるという事は既に、
「時間と言う存在を認めている」という事になりますよね。
ところが …
『時間は存在しない』ときっぱり言い切っている方がいらっしゃいます。
そう言うのは、カルロ・ロヴェッリ氏、理論物理学者です。
興味がある方はこちらをどぉ~ぞ。
『時間は存在しない』
作者:カルロ・ロヴェッリ 翻訳:冨永 星 出版社:NHK出版
発売日:2019-08-29
奇しくも同じNHKで「70才、初めて産みます 〜セブンティウイザン〜」が
放送を開始したようです。(4月5日(日)午後10時放送スタート)
残念ながら書籍も目を通した訳ではありませんし、
放送も観ていない事を先にお断りしておきます。
さて本題に戻りますが、
「どんな命も平等に一生がある」という事は間違いないと思います。
『 いいや、そんな事は無い。平等なんて嘘っ八だっ ! 』
当然そんな言葉も聞こえてくるでしょう。
そんな言葉に対しての返答は、
「概念で縛られてるンじゃないですか?」になるでしょうね。
長生きした、短命だったという「時間と言う概念」、
裕福だ、貧乏だという「貧富の概念」、
確からしさのない概念と言う物差しで何かを計ってしまえば、
「いのちの一生」など何も輝くことは無くなってしまう事でしょう。
桜の花が散り、菜の花が咲き、庭先では牡丹の花が揺れています。
少なくなったと言われる二ホンミツバチがレンゲの蜜を集め、
今年も南からはるばるやってきたツバメたちは巣作りに大忙しです。
小さなアマガエルがアジサイの新葉に居たかと思えば、
その根元にはカナヘビさんが首をかしげて木洩れ日を浴びています。
そんなそれぞれ「一生」は、己を他者を決して何かで計ろうとはしません。
日時を気にするなんてことも全く無いでしょう。
つまりそんな命には「時間は存在しない」のです。
「一生(その流れの)」中で、
概念などと言うものには何も縛られることなく天寿を全うしている最中、
「ただ在る」だけなのです。
概念にがんじがらめにされた思考がそれを許さない現代人に、
それを見て見習えと言うのは酷かもしれません。
しかし、概念が当たり前のように通用しないしていた日常が、
そうでなくなった「非日常的な今」こそ、
概念の呪縛を解き放つチャンスのような気がします。
えっ! 株の話はどぉ~したって ?
ちゃんと言いましたよ …
「非日常的な今」チャンスってね。
売りだの買いだの、ノーポジだの「日常」はどぉ~だったのですか ?
「非日常的な今」、そのままですか ? どぉ~します ?
それでは、今回はここまでです。