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小野薬品工業(株)【4528】の掲示板 2020/06/17〜2020/07/02

3159円で売れました!👍
残りは幾らで指値しましょうか?
それとも3500円まで待つのが良い?
日経に逆行高、何か強そう!

  • >>67

    【コロナ禍の戯言】

    > 3159円で売れました!👍
    > 残りは幾らで指値しましょうか?
    > それとも3500円まで待つのが良い?
    > 日経に逆行高、何か強そう!

    ★日経逆相関銘柄;小野薬品の年初来高値更新 3,164円(10:04)
     おめでとうございます。♬ 祝い (^^♪

    ★> それとも3500円まで待つのが良い?…午前中が核心的時間帯【株主総会】
     次第、相良 新経営陣態勢が整うか、否かと存じます。

    ★例え、本庶提訴・期中の薬価引下があろうとも、創業三百余年(1717年創 
     業)、「伏見屋市兵衛商店」は、生き抜いてきた。創業家 小野功雄 常務も
     健在と、最後の砦も温存している。ワールドトレンドはコロナ禍、変貌を
     余儀なくされている。規模は違えどT薬品とは一線を隔す。

    ★【Blog紹介/暮らしの中にみつけた江戸時代の窓】
     引用:2014-12-06 k‐soo指付き靴下大好き日記/うさりーぬ氏
     ⇒ ttps://ameblo.jp/kaongsoo/entry-11961157314.html

    最近、江戸時代における薬種(外国産・国産)の流れを追っていました。
    調べていくと、大阪にある「道修町」という地区に薬種の輸入業者、薬種の仲買、薬種を使って一般の人が飲む薬を作る合薬屋などが集まっているような構図がみえてきました(もちろん消費という観点からすると江戸の存在感が大きいのですけどね)。「道修町」から遠くないところには、医学などに通じている杉田玄白の門下の医者などもいて、最新の薬・医学情報が行き来していたんだろうと想像できます。薬の町、道修町の活気にあふれる様子を、奇しくも風邪をひきかけ、耳鼻咽喉科にいきました。そこで咳止めとして処方された、 小野薬品。住所は「大阪市中央区道修町」。創業は享保2年(1717)で創業者は「伏見屋市兵衛」(写真参照)。享保年間といえば徳川吉宗の時代です。財政難を解消するためにいくつかの施策がとられました。当時、主な輸入品目であった外国産の薬種の輸入を抑えるために、国産の薬種の生産に力が入れられ、薬種の流通についてもいろいろな施策が打ち出されました。口にした薬が、享保の頃の薬種仲買問屋・伏見屋につながる。生活の中に江戸時代との接点をみつけ、思わず心が震えました。

    【年初来高値更新】ココは応援しかない ^^)v

    小野薬品工業(株)【4528】 【コロナ禍の戯言】  > 3159円で売れました!👍 > 残りは幾らで指値しましょうか? > それとも3500円まで待つのが良い? > 日経に逆行高、何か強そう!  ★日経逆相関銘柄;小野薬品の年初来高値更新 3,164円(10:04)  おめでとうございます。♬ 祝い (^^♪  ★> それとも3500円まで待つのが良い?…午前中が核心的時間帯【株主総会】  次第、相良 新経営陣態勢が整うか、否かと存じます。  ★例え、本庶提訴・期中の薬価引下があろうとも、創業三百余年(1717年創   業)、「伏見屋市兵衛商店」は、生き抜いてきた。創業家 小野功雄 常務も  健在と、最後の砦も温存している。ワールドトレンドはコロナ禍、変貌を  余儀なくされている。規模は違えどT薬品とは一線を隔す。  ★【Blog紹介/暮らしの中にみつけた江戸時代の窓】  引用:2014-12-06 k‐soo指付き靴下大好き日記/うさりーぬ氏  ⇒ ttps://ameblo.jp/kaongsoo/entry-11961157314.html  最近、江戸時代における薬種(外国産・国産)の流れを追っていました。  調べていくと、大阪にある「道修町」という地区に薬種の輸入業者、薬種の仲買、薬種を使って一般の人が飲む薬を作る合薬屋などが集まっているような構図がみえてきました(もちろん消費という観点からすると江戸の存在感が大きいのですけどね)。「道修町」から遠くないところには、医学などに通じている杉田玄白の門下の医者などもいて、最新の薬・医学情報が行き来していたんだろうと想像できます。薬の町、道修町の活気にあふれる様子を、奇しくも風邪をひきかけ、耳鼻咽喉科にいきました。そこで咳止めとして処方された、 小野薬品。住所は「大阪市中央区道修町」。創業は享保2年(1717)で創業者は「伏見屋市兵衛」(写真参照)。享保年間といえば徳川吉宗の時代です。財政難を解消するためにいくつかの施策がとられました。当時、主な輸入品目であった外国産の薬種の輸入を抑えるために、国産の薬種の生産に力が入れられ、薬種の流通についてもいろいろな施策が打ち出されました。口にした薬が、享保の頃の薬種仲買問屋・伏見屋につながる。生活の中に江戸時代との接点をみつけ、思わず心が震えました。  【年初来高値更新】ココは応援しかない ^^)v