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(株)農業総合研究所【3541】の掲示板 2019/03/15〜2019/11/08

  • >>11

    奈良時代から戦国時代にかけて存在した中央貴族や寺社による私的大土地所有の形態。また、その私有地。個人が開墾したり、他人からの寄進により大きくなった。鎌倉末期以後、武士に侵害されて衰え、応仁の乱および太閤検地で消滅。荘。
    寄進地系荘園
    開発領主が国司の収奪から逃れるため、その所有地を中央の権門勢家や寺社に寄進することによって成立した荘園。11世紀ごろから多くなり、寄進者はそのまま現地の支配権を認められ、寄進を受けた者は国から不輸・不入の特権を得た。
    自墾地系荘園/墾田地系荘園
    天平15年(743)の墾田永世私財法により、中央貴族や寺社などが、未墾地を自力で開墾して私有地とすることによって成立した荘園。

  • >>11

    中世、ヨーロッパに一般的に現れた、封建的領主権の性格をもつ土地所有形態および領主支配の単位。領主直営地、および領主がある種の特権をもって賦役を課する農民保有地からなる。

  • >>11

    アメリカ大農場

    Plantationとは、辞書を引いてみると大農園、栽培場というものを指すことがわかった。昔のアメリカにはカウボーイ、牧場があっただけでなく、大農園も存在していた。大農園は一般的に広い土地を持ち、一つの経済作物を生産する。アメリカでは作物はおもに綿花と砂糖であった。1600年のちょっと前に初めての大農園が今のバージニア州に現れた。その時、主に米、たばこや綿花を生産するのである。土地の拡大化につれて、大農園というのもミシシッピ川の南部に伸びていった。そこで数多くの綿花と砂糖が開発されて、ついに19世紀初にミシシッピを中心に一つの巨大な綿花王国が形成してきた。
    当時では一つの家庭が自分で大農園を管理するのは普遍であったが、労働力の不足のためみんな黒人奴隷と彼らの子孫をつかうことで、大農園を維持していた。農園の持ち主は彼らの土地から産出した作物を輸出して、大金を儲けた一方で、奴隷たちは狭いところに住み、たった基本的な食べ物を得て、さらに、怠けているとみられたらまだ旦那の叱りと殴打に耐えざるを得ない。彼らは旦那の目のなかに人間ではなく、ただ人間のように働ける動物であった。