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☆せんちめんたる・じゃーにー☆の掲示板

「鎌田十六(かまだ・とむ)106歳」

 以前「ゲンキの時間」という番組に、当時100歳(現102歳)の越山久(こしやま・ひさ)さんが出られ、ここでも書いたが、8/17(土)放送の報道特集で、鎌田十六さんを見た。こちらは何と現在106歳。久さんのように、しっかり話されるのでホントに驚いた。

 十六さんは「500人のお母さん」と呼ばれ、戦争孤児の面倒を親身になってみてこられた人。「おしん」の再放送では今、関東大震災で焼け出されたおしん家族が、夫の実家に世話になっているが、恐ろしい姑に、おしんがいじめられるシーンが始まった。

「第二次大戦」に巻き込まれた十六(とむ)さん、おしんの「関東大震災」、戦後っ子の私には、どれがどの時代か今いち分からず、ウィキで知った。久さんも十六さんも、とても素敵なおばあさんで、画面を通してだが、心が明るくなる。

●鎌田十六
 昭和20年の、第二次大戦の東京の空襲当時32歳。浅草の蔵前2丁目に住み、生後7ヶ月の娘(早苗)さんと十六さんの母と夫の四人暮らし。空襲時、十六さんは娘さんを背に、大火と火の粉や煙で目も開けていられず、足を滑らせ川の中へ転落。冷たい水が刃物のように体を刺した。「助けて!子どもだけでも」と叫ぶと、誰かが荷台の上に引っ張り上げてくれた。夫を呼ぶ声も出せず意識が遠のいた。翌朝、人の声で気付き避難所へたどりついて、背中の娘の様子を看護婦に尋ねると、すでに亡くなっていた。

 一週間後に夫の遺体が川から見つかり、娘と一緒に火葬。母の死亡は焼跡の灰の中から身に付けていたもので確認。十六さんは、自分が助かったのは「背中が濡れなかったから。娘に助けられた」と今も思い続けている。

 空襲から1年後、上野公園の駅前にはたくさんの戦災孤児が溢れ、国の犠牲になった子を、どうして国は面倒を見ないのだろうとやるせない気持ちなった。わが子に代わって面倒を見てやりたいと、昭和21年から板橋の都立の児童養育院で大勢の子の「母」となって、70歳まで働き続けた。何度か再婚の話が持ち込まれたが、「わが子さえ守ってやれず、悲惨な死に方をした家族にも申し訳ない」とすべて断った。そして、親代わりに育てた子どもは500人以上にのぼり、今なお「お母さん」と慕われている。
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