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投稿コメント一覧 (1039コメント)

  • 「5人死亡のユッケ食中毒から10年」

     経営者が不起訴?そんな馬鹿な~!そこの店の生肉が原因で、死亡者や病人が出たことは間違いない。私は元々、生肉や生卵が大嫌いで、外では食べない。家で作るときは、しっかり火を通すので「真っ黒やん!」と思うぐらい(笑)ラーメン店で「こってりラーメン」を食べた人が、「お腹が痛くなった」と聞いた時は、店でラーメンを食べるのもやめた。信用できるのは自分で作ること。

     だいたい裁判官たちは、自分の身内のことやないので、法律がどうとか通り一遍で、サラ~ッと済ましてしまう。これが自分の家族の事やったら、もっと細部にわたって調べると思う。

    「光市母子殺人事件」の弁護士団長は、自分の妻が殺人事件で殺された。そしたら「今まで弁護を仕事として、ただやっていたが、自分の身内となったら、力を入れてやった」とハッキリ言っていたのを覚えている。世の中そんなもんよ。裁判官といえど人間で、人のことはたいして力を入れてない。

    ●5人死亡のユッケ食中毒から10年、遺族「誰も謝罪にも墓参りにも来ない」
    読売新聞 4/27(火)

     2011年に5人が死亡した焼き肉チェーンの「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件は、27日で発覚から10年となる。富山地検が昨年10月、運営会社の元社長ら2人を再び不起訴として捜査は終結。遺族は「10年たっても事件を忘れることはできない」と、苦しみは癒えていない。

     「この10年、誰も謝罪にも墓参りにも来ず、起訴もされなかった」妻(当時43歳)と義母(同70歳)を失った富山県砺波市の小西政弘さん(58)は自宅の仏壇前でつぶやいた。写真の息子の笑顔に、私たち家族の時間はあの時で止まっている」
     
     ◆「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件=2011年4月27日、富山県が「焼肉酒家えびす」砺波店でユッケによる食中毒被害が発生と発表。富山、福井、石川、神奈川の4県の6店舗で計181人が発症、5人が死亡。富山地検は16年5月、業務上過失致死傷容疑で書類送検された運営会社元社長ら2人を不起訴(嫌疑不十分)とした。これに対し富山検察審査会は「不起訴不当」と議決したが、地検は20年10月、再び不起訴とした。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/361fa468bda554ce3e8f49107d9f6b7c7b14e096

  • 「男性に覆いかぶさるクマ発見」

     今度は秋田県で、また熊の出没事故。動物カメラマンで、ツキノワグマを30年撮り続けている横田博さんは、慎重にカメラを向けてるが、目ざとく見つけた熊が、近寄ってくることがあるそうな。独特の野太い声で「ウォ~」というと、熊が一目散に逃げていく。熊も異物の人間が怖いのである。だから声か、何か音を出すのが一番よいが、いきなり襲われてしまうと、どうなるのか。

     私はシロクマが大好きなので、赤ちゃんを見つけようものなら、無意識に寄っていくかもしれないと、危険を意識している。子ザルでもそうだが、可愛いので、つい触りたくなるが、絶対親が近くで見てるので危険。

     どこからか熊のオスが出て来て、発情をするとメス熊が子育て中でも、おかまいなく、その子を殺してまで、自分の子孫を残そうと迫る。母熊は必死に抵抗するが、我が子を殺されてしまう。子熊を殺したしつこく迫る殺人犯のオス熊と、いつの間にか引っ付いて、次の子熊を生んでいた。ここらが人間とは少し違うかも。

     しかし映画にもドラマにもなった「八日目の蝉」のように、日野不倫殺人事件の北村有紀恵に子供2人を焼き殺されながら、この浮気夫と別れもせず、次の子どもを産んでいる女もいるけどね。無期懲役の北村も27年収監され、早ければ、あと3~5年で出てくるかも。

    ●悲鳴聞いて山林見上げたら…男性に覆いかぶさるクマ発見、大声上げたら逃げる
    読売新聞 2021/04/21

     20日正午頃、秋田県大館市比内町独鈷の山林で、山菜採りをしていた同市内の無職男性(75)がクマに襲われ、右頬を骨折する重傷を負った。

     大館署の発表によると、一緒にいた友人の男性が悲鳴を聞いて山林を見上げると、男性にクマが覆いかぶさっていた。クマは体長約1メートルで成獣とみられる。友人男性が大声を上げるとクマは逃げたという。

     現場は集落の民家から約300メートル。県自然保護課によると、クマによる人身被害は今年初めて。今年は気温が高く雪解けが進み、クマの行動も早まっているという。

  • 「星出さん、野口さんと宇宙で合流」

     野口さんは時々Youtubeで見てるので親近感がある。家族によく電話をしてるとのことで、「なんちゅう時代になったんやろ?」と毎回不思議に思う。最初の打ち上げの頃の服装を見ると、エスキモーが着るようなモコモコの大きな服だったが、今や地上でも着ている普通のポロシャツに、ズボン姿でリラックスな感じ。

     星出さんと野口さんとの出会いの動画を見たが、戦う戦士の意気込みを見た。何人もが次々と抱き合う笑顔満面のシーン。中にはフワフワと浮きながら天井付近で抱き合ったり、逆立ちで抱き合ったり笑えた。かつては世界で一社だった、宇宙ゴミの回収社「アストロスケール」だが、今や次々と回収をするベンチャーが名乗りを上げてるというニュースも見た。科学技術の進歩は本当に目覚ましい。私の脳では文字を追っても、とても理解できない(笑)

    ●クルードラゴンがISSとドッキング
    毎日新聞 4/24(土)

     星出彰彦宇宙飛行士(52)ら4人を乗せた米スペースX社の宇宙船「クルードラゴン」が日本時間24日午後6時過ぎ、国際宇宙ステーション(ISS)へのドッキングに成功した。星出さんは約1日の飛行を終え、ISSに滞在中の野口聡一飛行士(56)と合流、約半年間の長期滞在を始めた。日本人飛行士がISSに同時滞在するのは2010年の野口さんと山崎直子さん(50)以来、11年ぶり。

     星出さんの宇宙飛行は3回目で、今回は日本人2人目となるISS船長を務める。滞在中の飛行士を指揮する立場で、科学実験やISSの補修作業などを地上と調整しながら進める。

     ISSには野口さんを含め7人の飛行士が滞在中で、星出さんら4人の合流で計11人になった。星出さんはISS到着後、「11人のチームのメンバーでスクラムを組み、一丸となってミッションを果たしたい」と語った。

     野口さんは今月29日未明(日本時間)、昨年11月からISSに係留中の別のクルードラゴンに乗って米フロリダ半島沖に帰還する予定。星出さんが搭乗したクルードラゴンと打ち上げロケットの一部は、昨年の有人飛行で使われた機体が再使用された。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/19584096e030290907d01b92f556643a6636bf6d/images/000

  • 「火野正平の こころ旅」

     4/22(木)では、出発前に、目の前にある急坂を、スタッフが自転車で駆け上がっていた。65歳のスタッフもスイスイとあがった。日頃、自転車に乗って長距離を走ってるお蔭かな?正平さんは下で見ていた。

     最近サッカーの前園 真聖(まえぞの まさきよ)さんが、同じように自転車で走るようになったのか、先日初めて見た。正平さんは視聴者から来た手紙で、思い出の場所を尋ねるが、前園さんはインスタ映えのするところを、やはり視聴者に送ってもらって、その場所を尋ねるようである。正平さんは71歳で、伴走のスタッフは映る人だけで5人。前園さんは47歳と若いので伴走のスタッフは3人。

     番組上、次々と新しいものが出来るのは仕方ない。正平さんの方が人気はあるけど、いつまで続くかやなぁ。ちょっと坂があると「ハァ~ハァ~」言ってるもんね(笑)しかしテレビを見ている、年寄りには元気を与え続けている。

    ●スタッフが上っていた坂
    https://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/100/447562.html#more

  • 「新人警察官の研修?」

     何でもない四辻に警察官が3人。向かいに1人。「ん?なんか事件でも?」と思ったが、急いではいない様子。よく見ると2人の警察官の制服が真新しい。「あぁ~新人研修か」と思った。向かいの1人が、カモを捕まえるのかなと思いながら、「あたしゃ関係ない、くわばら~くわばら~と、そそくさと通り過ぎた(笑)

     昨日の「新・必殺仕事人」で、田中様(山内としお)が、中村主水(なかむらもんど=藤田まこと)に、いつも、おねぇのように腕を後ろに組んで、首をかしげて「中村さん!このところ検挙数が全くなしですね」というと、主水が「と言うことは、世の中が平穏無事ということですな」と返すと、田中様が「検挙件数が低いと、私の成績にひびくんです。たとえ万引きでもいいから、足を使って検挙してきなさい!」というセリフがある。結局、上に上がるためには、検挙率しか考えてない。

     白バイが「ウ~ウ~」と鳴らしながら、日に何回か見ると「検挙数が足らんのかな?」と私など思ってしまう(笑)先日も堀川通りで、女子の白バイがバイクを止めていた。信号待ちの私は「あ~ぁ1点取られて7千円ぐらいかなぁ~かわいそうに!」と、ついつぶやいた(笑)

  • 「水俣病(みなまたびょう)」

     俳優のジョニー・デップ(57)で「水俣病」がアメリカ映画になると、昨日もテレビで言っていた。「え?水俣病って日本独自の症状やないの?」と思った。

     偶然だが、このニュースの前に「水俣病」を思い出していた。朝から500円の商品券が出てきて、かつてバイト先で棚卸を手伝って500円の商品券をもらったことがある。私が「500円ぐらい貰っても、たいしたもん買えへんわ」と言ったら、ペアーを組んでいた男の子が「100円均一なら5個買えますわ」と言ったので「あんた、えらいなぁ」と話したことを思い出していた。

     ペアーを組んだ男の子は母親も一緒に働いていた。この男の子は穏やかで優しい子だったが「みつくち(口唇裂=こうしんれつ」で、言葉が今いち分かりにくい。三人兄弟の末っ子で、真ん中の男の子は肢体不自由で寝たきり。長男だけ普通の子だった。この母親が15年ほど前の話だが、「真ん中の子は水俣病で、その話し合いがある」と言っていたことがある。「へぇ?水俣病って大昔の話やないの」と私など思っていた。

     母親はガタイの大きい人で、万引き男を張り倒すような、口も気も荒い人だった(笑)はっきりは分からないが、胎児水俣病ではなさそう。母親は鹿児島出身だったが、水俣病は熊本県水俣湾周辺らしいので、そこに住んでいたかは、今となっては分からない。

    ●主演ジョニー・デップさん 「水俣病」題材の映画に
    テレビ朝日系 4/22(木)

     四大公害病の一つで、現在まで補償などの問題が続く「水俣病」。その存在を世界に知らしめた写真家が映画になります。アメリカの報道写真家、ユージン・スミスさんを演じるのはハリウッド俳優のジョニー・デップさん(57)。

     1975年に発表された写真集「MINAMATA」に影響を受けたデップさん自身の強い思いで映画化が実現しました。ジョニー・デップさん:「水俣に関する記事を読み、知識を深めていくうちに実際にそれが起こったという事実に衝撃を受けました。この歴史は語り継がなければならないと思いました」

     共演するのは真田広之さんや浅野忠信さんなど日本を代表する豪華俳優陣。映画「MINAMATA」の日本公開は9月。

  • 「吉本新喜劇 チャーリー浜さん死去 78歳」

     チャーリーさんは大酒飲みと何かで聞いたことがあるので、それが原因じゃないかな?チャーリーさんは少し大村崑さんに似てる。「ごめんくさい、あ~くさ!」とか、おもしろいギャグがあった。

    「京都花月劇場」が、新京極通(しんきょうごくどおり)にあった。自分の稼いだお金で、気兼ねなく見に行けるわと喜んでいたら、劇場が閉鎖された。まだ2回しか見に行ってなかった。あの頃のお笑いはホントにおもしろかった。芸人も大人だった。

     劇場の裏に出て、出演者の人がタバコ吸ったり時間をつぶしていた。ちょうど船場太郎さんがいて、話しかけたら「コーヒー飲みに行こう」と気さくに誘ってくれた。何の話をしたか覚えてないが楽しかった。あの頃、船場さんは背が高くてイケメンだった。その後、船場さんは大阪市会議員に立候補して、長いこと議員をしていた。残念ながら昨年亡くなったが81歳と知ってビックリした。若いイメージしかない。

     八坂神社の斜め前に「祇園よしもと」ができたが、女の子たちがたむろしていた。「祇園よしもと」ができる前は映画館だった。入れ替えがないし映画好きな私は弁当2個持って1日いた。1日に2本しかないので、同じものを2回見た。今は入れ替え制でおもしろくない。

     「祇園よしもと」の隣が「マハラジャ」だった時がある。裸に近い薄い服を着た女の子が、羽の付いた扇子で踊っていた。私はテレビでしか見たことがない。ものすごくはやってたらしいが、アッというまに閉店になったような気がする。京都は夜遊ぶとこがない。

    ●チャーリー浜さん死去 「…じゃあ~りませんか」ギャグ
    4/21(水)

     吉本新喜劇座員・チャーリー浜(本名:西岡正雄)さんが4月18日に、呼吸不全、誤嚥性肺炎のため、大阪市内の病院で逝去した。78歳。葬儀はすでに近親者のみで執り行われた。

     チャーリー浜さんは1962年、吉本新喜劇に入団。新喜劇を中心に、テレビCMや舞台などでも活躍。代表的なギャグ「…じゃあ~りませんか」は、1991年の『新語・流行語大賞』の年間大賞に選ばれ、1992年には『上方お笑い大賞』金賞を受賞。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/af63d9000a1d82e574f65fc1c3bd6500cb8bbfc8/images/000

  • 「下半身不随 高校生チア元部員」

     松本清張ドラマ「黒い画集〜証言」で石野貞一郎( 谷原章介)の娘が、高校でチアガール部員。娘にせがまれ演技を見に行く。貞一郎は医師で寄付が多く、女校長が揉み手で近づいてくるのがおもしろかった。

     3月初旬番組の中で「田村けんじの学校に行こう」が終わるので、かって訪問した女学校のチア部員が、子どものいる年齢だが内緒で集まって、当日田村にチアダンスを見せた。みんな揃って綺麗だった。田村は感激して涙を流していた。

     今から50年前、中学校の体育教師だった星野 富弘(ほしのとみひろ)さんは、授業中に「とび箱」で首から落ち、脊髄損傷で寝たきりになった。入院中、他の患者の見舞いに来た孫を連れたじいさんが「大学を出てもあれではなぁ」と言ってるのが聞こえ、腹が立ったと書いていた。星野さんは努力して、口に筆を加え、綺麗な詩や野花を描いた。書店で売られた、本、詩集、絵葉書、カレンダーなど、たくさん買った。どれも綺麗。今は74歳になられ存命。自身の富弘美術館も出来、安泰で暮らしておられると思う。

    ●「習熟度合わぬ練習で下半身不随」 チア元部員、高校を賠償提訴
    毎日新聞 2021/4/19

     岡崎城西高校(愛知県岡崎市)のチアリーディング部の練習中に下半身不随の大けがをしたのは、安全対策が不十分なまま、習熟度に見合わない危険性の高い練習をさせられたため、元女子部員(18)が同校を運営する学校法人を相手取り、介護費など約1億8300万円の損害賠償を求め名古屋地裁に提訴。元女子部員は入部4カ月目で、部の顧問ら監督者の不在中に大技の練習をして事故に遭った。

     提訴は2月15日付。元女子部員は1年生だった2018年7月、低い場所での宙返りも完全に習得できていないにもかかわらず、高度な技術が必要な、2人の先輩に両足を握られて肩の高さまで持ち上げられた状態から前方宙返りをして飛び降りる練習を体育館でした際、前方のマットに首から落ち、脊髄(せきずい)損傷などで下半身が動かなくなり、排せつも自力でできなくなる後遺症が残った。

     元女子部員の両親は「学校側からきちんとした説明がなく、事の重大さを分かっているのか疑問。残念でならない」学校法人の担当者は「責任を痛感し反省している。裁判所に公正な判断を仰ぎたい」と答え、第1回口頭弁論が21日に開かれる。

  • 「エージェント契約」

    「エージェント契約」と「マネージメント契約」?私にはよく分からないが、日本では、まだまだ給料制だと思っていた。ハリウッドなら有りかと思うが、給料体制が全然違う。かつては島田洋七が揉めていた。洋七の祖母を書いた「がばい婆ちゃんが大ヒット、吉本が一手に取りこもうとしたため、洋七は吉本を離れた。洋七の懐には少ししか実入りがないから。

     吉本は元々芝居小屋から出発している。「エージェント契約」はピンとこない。「友近」は水谷八重子という、架空の人物になりきり、稼いだから「エージェント契約」にしたのか?近藤春菜なんて、ろくに実力もない身の程知らず。

     吉本興業創始者「吉本せい」の自伝を読んでいたら、せいの本心は、貧乏人には「恩を売り、出る杭は打つ」というやり方だった。老婆になってからの、あのタバコを吸う顔、小柄ながら勝ち誇った顔をしている(笑)

     吉本せい夫婦を「南田洋子夫婦」が演じたと読んだ。見てみたいがもうフィルムはないかなぁ。南田洋子が一番、せいの感じに似てる。演技もうまいし。

    ●横堀川 (1966) 吉本興業の祖、吉本せいの半生がモデル

     この物語のヒロインである多加が昆布商の老舗「浪速屋」の「いとはん」(お嬢さんを表す大阪弁)であったという設定は原作者山崎豊子の自伝的要素を盛り込んでいる。

    「横堀川」はNHKの連続ドラマとして1966年4月から一年間放映されて、好評を博した。同じ年に公開された映画化されたのがこの作品。NHKドラマで多加を演じたのは、南田洋子であり、旦那役は夫君の長門裕之。映画は倍賞千恵子、中村扇雀(四代目坂田藤十郎)。

     多加(倍賞千恵子)は昆布商の老舗「浪速屋」のいとはん、呉服商「河島屋」の若旦那、吉三郎(中村扇雀)に嫁ぐ。吉三郎は道楽者で、商売には顔をそむけ続ける。多加は夫の代わりに商才を傾けていく。「河島屋」は株取引で大穴をあけ看板を下ろす。多加は吉三郎の道楽好きを逆手にとり、寄席を稼業とし小屋を開いて、小屋を一軒、一軒と増やしていく。

     夫は夫、妻は妻という雰囲気で、吉三郎が急死する場面など、妻の哀しみが心底哀しんでいるように見えない。元々が、独りで生きる女ではないか。浪速千栄子の「金貸し」婆さんは、浪速女の気概と人情を象徴する名演。落語の桂小米を名のっていた桂枝雀が、落語を演じているのは面白い。

  • 「ミズバショウはカラー」

    「趣味の園芸」という番組の3/31(日)分を、たまたま録画してあったが、見ていなくて、今日、何気に見たら、花の「カラー」を栽培してる農家が映った。「え?これやん!」私が小学生の頃、学校帰りに毎日眺めていた白い花は、今は「カラー」と言うのだった。子供ながら、ずっと思っていた「テッポウユリ」は、ある日、全然違うことが分かった。ほんまは、「ミズバショウとも似てるけど、違うかなぁ~」と思いながら、他に分からないので、ミズバショウと人にも話していた。しかし今は「カラー」と言って、これが一番形としてシックリする。もちろん当時は「カラー」という言葉などなかった。

     花は「綺麗やなぁ」といつも思うが、品種改良ばっかりして、あまりにも名前が多くて分からないことが多い。昨今のような西洋かぶれ(古ッ)の名前が多いと、もう言葉に発するのも難しいし覚えきれない。いつものように「ほらあれ、あれやん!」で済ませてしまう(笑)

     今朝8時半からの「趣味の園芸」に、新しく歌手の氷川きよし君が「月1」で出て、1年間、園芸指導を受けるそう。氷川君も日増しに「おねぇ」化してる。辞めた付き人に「どんな下着つけてる?」としつこく聞いていたと読んだが、裏では『そっちの気(け)』が出てたんやなぁ(笑)今は髪を”おかっぱ”にして、化粧を少し濃くして、徐々に世間に解放している。美川さん風で、私も個人的には美川さん好きだし、いいんやないの?

     氷川君はお年寄りの女性に一番好かれている。番組的に盛り上がるかも。番組のナビゲーターも新しくなり、スェーデン出身の「村雨 辰剛(むらさめ たつまさ)」君32歳らしい。帰化の名前も、庭師という職業も古風で笑える。私は初めて見るが、テレビにはタレントとしてもチョコチョコ出てるらしい。偶然「村雨」と知って、また「村雲」を思い出すわぁ(笑)

    ●趣味の園芸 氷川君
    https://www.oricon.co.jp/news/2187260/full/

  • 花「テッポウユリ」

     4/14のネットニュースに、奄美大島の自分の敷地に、自生するテッポウユリを朝夕眺めるのは楽しい、と目を細める松元さんというお爺さんの写真が載っていた。家のぐるりに花が咲くっていいなぁと思う。それも自生で何も世話をしなくてもいいんだから。

     今ごろの季節の小学校の帰り道、お屋敷みたいな大きな家の塀の外に、大きな「ミズバショウ」の白い花が、綺麗な水の中にまっすぐ2本咲いていた。私は毎日眺めていて「ほしいなぁ~ほしいなぁ~」と思っていた。でもそれを取ったら、花泥棒だし、毎日学校の帰りに見る楽しみがなくなる。と、子どもなりに葛藤していた。

     長いこと「テッポウユリ」と覚えていたが、のちに図書館で見て「ミズバショウ」と分かった。尾瀬のミズバショウはこじんまりと小さいが、お屋敷のは背が高く真っ白で茎もしっかりして、気持ちのいい気高い花だった。あれからン十年。毎年ミズバショウの咲くころになると、あのお屋敷のミズバショウを思い出す。今はあの家もどうなったか何もわからない。松元さんの毎日眺められるテッポウユリがうらやましい。

    ●海を眺めるテッポウユリ 「夕日浴びると一層きれい」 笠利町外金久の松元さん敷地 奄美新聞4/14(水)

     奄美群島の各地で見ごろを迎えているテッポウユリ。春風にそよそよと揺れながら道路わきに自生する姿は、つい車を停めて写真を撮りたくなる美しさ。なかでも、奄美市笠利町外金久の松元哲也さん(74)の敷地に自生する群生は、ひときわ目を引く圧巻の眺望だ。

    「ここは夕日スポット。夕日に照らされた姿が、昼とは違った表情できれい」と目を細める松元さん。「手入れすればもう少し見栄えがいいかも」と笑うが、毎年安定して多くの花を咲かせるという。通りすがりの人や、近隣の宿泊施設を利用する観光客にも喜ばれているそう。

     道路わきの斜面のほか、自宅裏の畑に続く道も見事な植生ぶり。しかしこちらは現在立ち入り禁止なので注意が必要。付近の安全な場所に停車し、笠利の透き通った海、または夕日を眺めるように花開く姿を楽しんでみてはいかがだろうか。

    松元さんとテッポウユリ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/20eaecd6a264e291ee8fda4bc1825f4fc549ab36/images/000

  • 「天台宗の僧侶 栢木 寛照(かやき かんしょう)」

     農機具の「春日の歴史」を載せてるのは、滋賀県の「伴谷(ばんたに)自治振興会」というところらしい。この「伴谷」で思い出したのが、「伴谷」出身の、天台宗僧侶の栢木 寛照(かやき かんしょう)さん。ミヤコ蝶々さんが生きていたころは、一緒にテレビに出て、人の悩みを聞いて解決したりしていた。あの頃の番組の方が、のんびりとして良かったわ。今や吉本の下手なタレントばっかりが、あっちこっち日替わりで出て、ガチャガチャとやかましい。

     さて栢木和尚を見るのは久しぶり。番組が終わったころから、その後は全然知らなかったので、久しぶりにネットで見た。以前は青少年育成に力を注いで、毎年希望者をサイパンに連れて行って交流をはかっていた。今も元気そうで、コロナで行けないだけで、サイパンとの交流は続いている様子。

     和尚は希望する少年に一応、本人の目的など作文を書かせるそうだが、ただ「行きたい、行きたい」と100回書いてる子も、全~部連れて行った!」と話していた。和尚は、風体(ふうてい)も大きいが、心も大きい。蝶々さんが本番中に「和尚さんは帽子をかぶって、よう祇園に遊びに行ってなはる」と言っていたのを思いだす(笑)

     和尚は今も、滋賀県大津市、比叡山麓「三宝莚(さんぽうえん)」の住職。

    ●和尚の顔
    https://www.sanpoen.jp/aboutus/chairman/

    ●比叡山麓「三宝莚」
    https://www.sanpoen.jp/columns/

  • 「魂のタキ火 癒しの炎」

     夜中にテレビでやっていて、40分ほど、ただひたすら薪(まき)が赤々と燃えてるとこだけを映していた。薪がパチパチ燃えてる音だけしか聞こえない。こんなんで50分も映すの?と思ったが、そのパチパチが何とも心地よい。ホントに「タキ火」って癒しになるんやと思った。

     子どもの頃は、風呂焚きにも、おくどさんにも「薪」を使っていた。兄は気難し
    くて怖かったが、ものすごく几帳面で、薪にする割り木が、市松模様のようにきれいにキチンと並べて積んであった。子ども心にも壊すのに気が引けた。

     母が早朝に、おくどさんの前に座って、毎朝ご飯を炊いていた。寝ぼけまなこで起きて来た私は、真っ暗い中で、炎のゆらゆらとした明かりに照らされている母の顔が、お化けみたいに怖かった(笑)

     百姓仕事に追われて、手はゴツゴツとしていた。農家の人はみんな働き者で、夜は夜なべをして朝は早い。母も「おくどさん」でご飯を炊いて、朝食の準備をしたら、学校に行く私より、早くに田んぼに出かけていた。目を覚ましたら、もう田んぼに行って、いない時は寂しかった。

     昔の農機具の、名前の分からないのが多かったが、ネットに載せてくれてる人がいて、「これこれ!」と思いながら見た。その内、段々と農業も開発されて、もう今では目にしないものばっかり。子供のころ「藁(わら)」だの「籾(もみ)」だの「毛虫」だの、あれだけイヤだったのに、今では懐かしいわぁ。

    ●滋賀県「春日の歴史」
    http://bantani-jichi.com/history/kasuga06.htm

  • 「横浜 桜木町駅とみなとみらいを結ぶロープウェイ」

     日本でも街や海の空中をゴンドラが通るのかと感慨深い。やっと日本でもできるようになった。私はシンガポールで、セントーサ島に渡るのに、もう20数年前に乗ったことがある。足がすくむほどの高い位置で、とても怖くて下が見られなかった。少しでも揺れようものなら、そのたびに心臓がドキドキした。あの思いは二度とイヤだなぁと思うが懐かしい(笑)日本はシンガポールにでも、だいぶ遅れをとっているのかと改めて思うが、距離は短くても画期的な事業のように思う。

     写真ではゴンドラの位置が低いように思うが大丈夫なのかな?山田洋次監督の映画「息子」で、田中邦衛がトラックの運転席の上まで来る長い金属を乗せていて、相手先の工場のゲートが高さすれすれで「中途半端な高さだな~」と文句を言うシーンがあって笑えた。

     橋幸夫の歌に「シンガポールの夜は更けて」という歌と映画があった。Youtubeに同じ題名で山内惠介が歌っていて「惠ちゃんがカバーを歌ってるの?」と思ったら、タイトルは一緒だけど曲が違う。実は橋さんの歌もほとんど知らないので「こんな歌だったかなぁ」という程度。でもシンガポールに行こうと思った時は、このタイトルを思い出していた。シンガポールは「エキゾチックな街」という印象がしている。ネットで見ると、街はずいぶん変わっているように思う。

    ●【4/22開業】横浜 桜木町駅とみなとみらいを結ぶロープウェイ!料金は1000円[YOKOHAMA AIR CABIN]

     横浜都心臨海部において、移動自体が楽しく感じられる多彩な交通サービスの導入を進めていくため、民間事業者から募集したさまざまな提案を選定し、まとめた。モノレールやら、連節バス「ベイサイドブルー」やら、AI運行バスやら…そんな数ある新しい交通手段の1つに、桜木町~ワールドポーターズを結ぶロープウェイの設置というものがあった。

    ゴンドラの写真
    https://1201.yokohama/ropeway-news190214/

  • 「小室圭さん解決金渡す意向」

     あったりまえや!圭ちゃんの母親も、この弁護士も「ド・アホ!」私なんか金銭問題が表に出た3年前から書いてるわ。母親が「ド・厚かましい」。早くに返していたら、2人の結婚はもっと早かったと思う。真子ちゃんは窮屈な皇室から出たがっている。大学生時代に、数人の男女とのコンペの写真、楽しそうに写ってる。

     私の職場でも話していたけど、自分の息子が可愛かったら、400万ぐらい借り歩いてでも用意して「ありがとうございました」と、相手の男に返すのが普通。それこそ弁護士を入れて、一筆書いてもらったら済むこと。相手も貸したと思っているから、返せというわけ。それこそグダグダと引き延ばしてるのは母親。しぶといおばさんやわ。相手は自分の生活費だから返してくれ、返してくれたら二度と言わない、と言っていた。早く解決して早く2人を結婚させてやれ!結婚してしまえば、祝福する人が多くなる。他人の意見なんて適当でいい。絶対つぶそうと茶々を入れる奴がいる。

    ●“金銭問題 小室圭さんが解決金渡す意向” 代理人弁護士
    2021年4月12日

     秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんの代理人が、12日、報道陣の取材に応じ、母親と元婚約者の男性の金銭問題について、小室さんが解決金を渡す意向があると明らかにした。

     眞子さまと小室さんは、4年前、婚約が内定していた、週刊誌などが「小室さんの母親が元婚約者の男性と金銭トラブルになっている」などと相次いで報じ、その後、宮内庁が結婚に向けた行事の延期を発表した。

     小室さんは、今月8日、母親と元婚約者の男性の金銭問題について詳しく説明する文書を公表した。12日は、小室さんの代理人の上芝直史弁護士が取材に応じ、文書について、「これまでの対応を見える化するということと、経緯の説明と訂正を目的にしていて、金銭トラブルをクリアするためのものではない」と説明した。

     基本方針としていた十分な話し合いによる解決は難しいとする一方で、元婚約者の男性に支援を受けたことは間違いなく、小室さんも母親も一貫して感謝の気持ちを持っていると述べた。

    「今の時点では、話し合いというよりも、小室さんが元婚約者の男性に解決金を渡す形で解決する意向がある」と明らかにし、小室さんがこの点についても眞子さまと相談していると話した。

  • 「4/12はパンの日」

    「パンの日」とも何も知らないで、韓国ドラマ「製パン王 キム・タック」というのをたまたま見ていた。「キムタック」というのが、日本の「キムタク(木村 拓哉)」に似て覚えやすい。「キムタック」の子役「オ・ジェム」の坊主頭が可愛いい 。現在放送は7回目に入るが、まだ2回しか見ていない。ネットで見たら10年前のドラマらしく、子役の「オ・ジェム」が22歳になっている。他の俳優たちもみんな年齢が高い。

     ストーリーとしては、もうすぐ子役が大人に変わるのかな?と思う。大人役のユン・シユンも可愛いい顔をしている。全員、名前も顔も全く知らない人たちなので、役名か本名か何回も確認したりして(笑)

     今、日本のBSでは何故か韓国ドラマが増えている。日本のドラマに慣れているので、なかなか韓国ドラマを見ようとは思わない。日本でいう時代劇のようなドラマの時は、中国ともよく似ていて、どちらがどちらか分からない。私はパンが大好きで、京都にはパン屋がたくさんあり人気がある。このドラマは最後まで見たいと思う。

    ●「製パン王キム・タック」
    コソン食品の会長ク・イルチュン(チョン・グァンリョル)の妻インスク(チョン・インファ)は後継者となる息子を産むことができず、姑から冷遇されていた。そんな中、コソン家の使用人のミスン(チョン・ミソン)がイルチュンの子供を身ごもる。激怒したインスクは予言者の「夫との間に息子は授からない」との言葉を受けて秘書のハン・スンジェ(チョン・ソンモ)と関係を持ち、念願の男児を身ごもる。ミスンはインスクから危害を加えられることを恐れて身を隠し、密かに息子のタック(ユン・シユン)を出産する。やがて小学生に成長したタックは母から自分の素性について明かされ、コソン家に引き取られるが、その直後、母は何者かに拉致されてしまう。

     12年後、コソン家を飛び出して母を捜し続けるタックは、手掛かりを求める中でパルボンのパン屋に流れ着く。一方、コソン家の後継者として成長したインスクの息子マジュン(チュウォン)は技術を得るためにパルボンに弟子入りする。奇しくも同じ師匠の元に身を寄せた異母兄弟は、パンの技術、恋、そして後継者争いでも火花を散らすことになる。

    ●オ・ジェム
    http://hdata.seesaa.net/article/237893737.html

  • 「クイズ アタック25 シャズナのイザム」

     4枚の写真が出て、「共通するある植物の名前は?」というのが出題だった。答えは「スミレ」で、4枚目の写真にシャズナが歌った「スミレセッテンバ」のイザムが女装したジャケットが出た。偶然に今日のネットニュースに、吉川ひなのが第三子妊娠中で、ハワイライフを楽しんでいるような記事が載った。

     イザムはどうしてるのかな?と時々思い出していた。本物の女の子より、ずっとずっと可愛くて綺麗だった。ひなのは19歳で、姉妹の姉のような感覚でいたイザムの大きなチンチンを見て、びっくりしたんやないの?(笑)

     ひなのとのママゴト婚が破局して、イザムの人気もガタ落ちになった。イザムもどうやって生きていくか迷走していたようである。ごく最近のニュースなのか?新たなメンバーを加え「シャズナ」としてやっていくと載っていた。イザムにとっては、ビジュアル系の女装して生きるのが、一番自然で楽なのだと思う。それでいいと思う。趣味趣向は本人のもの。微力ながら応援してあげたい。

    ●イザム
    http://shazna20.com/
    http://acecrew.co.jp/artist/shazna.html

    ●ひなのの今日の記事
    https://news.yahoo.co.jp/articles/65636dba146e28df10686ac0dd89713bc537508c

  • 「熊に襲われる被害」

     今年は暖かい日が早く来てるので、熊も冬眠から早く目覚めるようである。今日、北海道で山菜取りに行った60代の男性が、熊に頭をかまれ亡くなったとニュースが載っていた。日本では一般的に、北海道に一番熊が多そうに思うので、普段から気をつけなければいけない

     近頃ポツンと一軒家の真似で、更に奥地の人を求め、テレビ局のスタッフが山に入る。麓の場所を聞かれた人が気を使って、熊よけの鈴を貸したりしている。みんな無防備すぎる。熊は冬眠から覚めたら、絶対お腹が空いているので襲われる確率が高い。

     私なんか「大文字山」のような低い山でも、登るときは、独り言を言ったり歌を歌ったり、カタコト音を出したりしていた。毎日運動のように登ってるおばさんは、タオル1枚に薄着と知って驚いた。ちょっと油断のしすぎだと思う。最低限の口に入れるものや、熊よけなどは必要と思う。大文字山にも、鹿、猪、猿はいる。油断は禁物。

    ●「悲鳴聞こえた」妻から通報…クマにかまれたか "山菜採り"で入山 60代男性死亡。2021年4月10日

     4月10日午前11時前、北海道東部の厚岸町の山林に、山菜採りのため入山中の60代の男性がクマに襲われ、その後死亡しました。事故があったのは、北海道東部の厚岸町の山林です。4月10日午前11時前、山菜採りのために入山中の男性と、一緒にいた妻から「旦那の悲鳴が聞こえた。クマとお見合い状態になっているのを見た」などと110番通報がありました。

     消防によりますと、男性は午前10時ごろから入山していました。襲われたのは釧路市に住む60代の男性で、頭をクマにかまれたとみられ、午後1時30分すぎに現場で死亡が確認されました。春の訪れとともに、北海道では各地でクマの出没が相次いでいて、警察が注意を呼びかけています。

  • 落語「桂 春団治 (4代目)」

     早朝に落語をやっていて、時々見ることがある。今朝は、現・桂春団治(かつら・はるだんじ)」で、その前は「桂春之助(かつら・はるのすけ)」と名乗っていた。いつだったか大事故に遭って、もう生きていないと思っていたので「え?生きてたん?」と思った(笑)落語は上手とは思わないで、バラエティとして、今の吉本みたいに、飛んだり跳ねたりして笑わしていたような、かすかな記憶しかない。

     私が好きだったのは、1にも2にも桂枝雀(かつら・しじゃく)。その次は桂吉朝(かつら・きっちょう)。素人の私でも2人は落語がうまいと思った。「京都府立文化芸術会館」では落語会がよくあって、2人を何回も見た。ここは舞台の裾から、すぐ裏口に出られたので、そこに立っていれば至近距離で見られた。「こんにちは」ぐらいは気さくに声をかけることができた。

     枝雀さんは頭が禿げているので、いつも毛糸で編んだ、春用や冬用の帽子をかぶっていた。割と小柄な人だった。いつだったか一度、枝雀さんに手紙を出したら、奥さんが「てぬぐいと扇子」を送ってきてくれた。めちゃめちゃ嬉しくて、一層のファンになった。今はどうか知らないが、落語家には気さくに声をかけられたし、落語家も答えてくれた。

     御大の桂米朝(かつらべいちょう)さんに「昔の道具が分からない。いかけやって何?」と聞いたら、その日の落語の時、舞台で話の中に入れて教えてくれた。今みたいにスマホでポンポンというわけにはいかないとき。

     大阪でたった1つ「村」が付くのが、「千早赤阪村(ちはやあかさかむら)」知り合いは誰もいないが、この地名が大好きで、金剛山に登りがてら1回行ったことがある。乗り合わせたバスの客が「落語家、桂南光の生まれたとこで、村一番の貧乏やった」と言っていた(笑)金剛山にはロープウェイがあり楽に登れる。

    ●米朝事務所
    http://www.beicho.co.jp/profile0

  • 「まんぷくメシ」

     梅沢冨美男と東野幸治が日本中を回っている。今朝は鹿児島・指宿で、「そらまめ」の収穫と調理をしていた。うちの実家も百姓で、子供のころは「豆もぎ」がイヤでイヤでたまらんかった。豆をもぐだけではなく、続けて皮むきがある。取り立てをむいた方が新鮮なので、早くやらなければならない。豆の皮は牛の餌になるので、タッタタッタと進めるが、半端ない量なのでたいへん。やらないと兄が怖かった。

     今は、ただただ懐かしい。やろうと思えば今でも畑があるが、百姓のやり方は全く知らない。実家を貸し家にしてるので、畑は別でも、やっぱり入りにくい。別のとこにも田んぼはあるが、近所の人に「今ごろ何してんの、気ぃでも狂ったん?」という目で見られるわ(笑)

     豆は青臭いので「かき揚げ」が一番おいしいかも。煮るのもおいしいけど、昔は料理のレパートリーも少ないし、毎日同じものを食べさせられて、文句ばっかり言っていたなぁ。 

     マツタケのシーズンには、マツタケを七輪で焼いて、子どもが普通にシイタケのようにパクパクと食べていた。昨年「松茸ハンター長野の藤原さん」をテレビで見ていたが、ものすごく努力して松茸を作っている。「チコちゃんに叱られる」でも取り上げていた。昔は普通に何もしなくても豊富に出ていたのに、今はなんでかな?と思う。

     そういえば、松茸山と言われるとこは、大きな「赤松」が多かったのを記憶している。松葉は風呂焚きに使うので、籠を背負って近所の子たちも皆で持ち帰っていた。それが雑菌の掃除になっていたのかも。今は開発されて山すら無くなった。懐かしい思い出。

    ●まんぷくメシ
    https://www.nhk.jp/p/manpuku/ts/L27W5XX25G/

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