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(株)ウェッジホールディングス【2388】の掲示板 2016/09/24〜2016/10/11

▼▼英字紙、プミポン国王亡き後のタイを悲観①▼▼


プミポン国王が王位に就くと、徐々に王室が再び力を誇示し始めた。
彼は軍の権力者と結託することで君主の政治力を再構築し、
一方で民主政治が力を持てないよう画策した。
政治家が君主への脅威となったら、軍によるクーデターで倒せばいいという考えである。

そのため、タイ君主が語る自らの憲法上位置づけはいつも虚偽的である。
実際は、プミポン国王は政治に積極的に関与していた。
同時に王室系保守派は、彼を神と同等レベルの象徴に祭り立てあげることに成功した。
プミポン国王による政治介入は定期的に行われ規範になった。
いつしかそれは政治的衝突に対する解決手段として定着したのである。
そういった意味で、プミポンと日本の天皇の位置づけは大きく異なる。

プミポン国王はタイ国民から強力に崇拝されているため、
生前退位は非常にセンシティブなトピックである。この話題を語るうえで、
彼がすでに国王として機能していない事実に触れることは避けれないが、
それは不敬罪に見なされる恐れがある。
国民にとってプミポンは神とほぼ同等であり、
たとえベッドで寝たきりであっても、永遠に完璧な存在であるのだ。

だが、王室系保守派にとってより深刻な問題は、
次期国王となるワチラーロンコーン王子に対する公衆の懸念である。
父であるプミポン国王とは正反対に、ワチラーロンコーンは国民から嫌われている。
彼は突拍子もない奇怪な行動を取るうえ、君主に求められるカリスマ性が全くない。
王室関係者は、彼が国王になると今まで自分が手にした利益が保護されなくなるのではないか、
と懸念している。
これまで築かれた王室の安定性及びその関係者の利益が、
次期国王によって破壊されるかもしれない。

ワチラーロンコーンの人生を理解するのはある意味わかりやすい。
彼はこれまで政治や王室事情にほとんど関心を見せてこなかった。
彼の存在感は長い間プミポン国王の陰に隠れてきた。
1946年から始まったプミポンの長きに渡る統治は、
結果的に政治の世界ではワチラーロンコーンを隅に追いやってきた。
さらに重要なことは、その流れは権力が彼の側に集まることを妨げ、
王室ネットワークの支持獲得に失敗したことである。

一方で、ワチラーロンコーンの政治観や王室に対するビジョンはほとんど見えてこない。
リーダーとしての資質が欠如しているため、
国王としての能力やパフォーマンスの見せ方を知らないし、
彼を分析する側の人間も王位継承後の世界をイメージできないでいる。

この不透明さをうまく利用し、王室関係者は生前退位以外の選択肢(=まっとうな王位継承)を
何とか進めようとしたようだ。
父の威光には到底敵わないにしても、
ワチラーロンコーンに相応の好イメージを植付ける努力を行なった。
王室アドバイザーは、懇親的な王子と家庭的な男、という二つの人物像を定着させようと努力した。
しかし、2014年の3度目の離婚でその努力も泡と化した。

さらに今年7月、ドイツのタブロイド紙が、
ミュンヘン空港におけるワチラーロンコーンの衝撃的な写真を披露した。
上半身はピチピチの女物タンクトップを着ているうえ、
背中いっぱいにヤクザ風の刺青シールが張られている姿だ。
公に彼のゴシップ話をするのは不敬罪になるが、
誰もがこの写真のことは話をせずにいられなかった。
国の将来への不安は隠し切れないほど大きく広がった。
2014年に軍がクーデターで実権を握った理由の一部はここにある。
誰かが王位継承をコントロールしなければならないからだ。

日本とは対照的に、タイ君主はプミポン時代の終焉を正しく受け入れることを拒否してきた。
その結果、次期国王擁立に対する準備がいつまでも整わず、さらに破壊的な状況となりつつある。
不幸なことに、タイ君主は輝かしい過去を送った一方で、
国の自身の将来を全く見据えずにここまで来てしまったのだ。


■プミポン国王が崩御すれば、クーデターなどを懸念して、タイ株は大暴落する危険性大■

(株)ウェッジホールディングス【2388】 ▼▼英字紙、プミポン国王亡き後のタイを悲観①▼▼   プミポン国王が王位に就くと、徐々に王室が再び力を誇示し始めた。 彼は軍の権力者と結託することで君主の政治力を再構築し、 一方で民主政治が力を持てないよう画策した。 政治家が君主への脅威となったら、軍によるクーデターで倒せばいいという考えである。  そのため、タイ君主が語る自らの憲法上位置づけはいつも虚偽的である。 実際は、プミポン国王は政治に積極的に関与していた。 同時に王室系保守派は、彼を神と同等レベルの象徴に祭り立てあげることに成功した。 プミポン国王による政治介入は定期的に行われ規範になった。 いつしかそれは政治的衝突に対する解決手段として定着したのである。 そういった意味で、プミポンと日本の天皇の位置づけは大きく異なる。  プミポン国王はタイ国民から強力に崇拝されているため、 生前退位は非常にセンシティブなトピックである。この話題を語るうえで、 彼がすでに国王として機能していない事実に触れることは避けれないが、 それは不敬罪に見なされる恐れがある。 国民にとってプミポンは神とほぼ同等であり、 たとえベッドで寝たきりであっても、永遠に完璧な存在であるのだ。  だが、王室系保守派にとってより深刻な問題は、 次期国王となるワチラーロンコーン王子に対する公衆の懸念である。 父であるプミポン国王とは正反対に、ワチラーロンコーンは国民から嫌われている。 彼は突拍子もない奇怪な行動を取るうえ、君主に求められるカリスマ性が全くない。 王室関係者は、彼が国王になると今まで自分が手にした利益が保護されなくなるのではないか、 と懸念している。 これまで築かれた王室の安定性及びその関係者の利益が、 次期国王によって破壊されるかもしれない。  ワチラーロンコーンの人生を理解するのはある意味わかりやすい。 彼はこれまで政治や王室事情にほとんど関心を見せてこなかった。 彼の存在感は長い間プミポン国王の陰に隠れてきた。 1946年から始まったプミポンの長きに渡る統治は、 結果的に政治の世界ではワチラーロンコーンを隅に追いやってきた。 さらに重要なことは、その流れは権力が彼の側に集まることを妨げ、 王室ネットワークの支持獲得に失敗したことである。  一方で、ワチラーロンコーンの政治観や王室に対するビジョンはほとんど見えてこない。 リーダーとしての資質が欠如しているため、 国王としての能力やパフォーマンスの見せ方を知らないし、 彼を分析する側の人間も王位継承後の世界をイメージできないでいる。  この不透明さをうまく利用し、王室関係者は生前退位以外の選択肢(=まっとうな王位継承)を 何とか進めようとしたようだ。 父の威光には到底敵わないにしても、 ワチラーロンコーンに相応の好イメージを植付ける努力を行なった。 王室アドバイザーは、懇親的な王子と家庭的な男、という二つの人物像を定着させようと努力した。 しかし、2014年の3度目の離婚でその努力も泡と化した。  さらに今年7月、ドイツのタブロイド紙が、 ミュンヘン空港におけるワチラーロンコーンの衝撃的な写真を披露した。 上半身はピチピチの女物タンクトップを着ているうえ、 背中いっぱいにヤクザ風の刺青シールが張られている姿だ。 公に彼のゴシップ話をするのは不敬罪になるが、 誰もがこの写真のことは話をせずにいられなかった。 国の将来への不安は隠し切れないほど大きく広がった。 2014年に軍がクーデターで実権を握った理由の一部はここにある。 誰かが王位継承をコントロールしなければならないからだ。  日本とは対照的に、タイ君主はプミポン時代の終焉を正しく受け入れることを拒否してきた。 その結果、次期国王擁立に対する準備がいつまでも整わず、さらに破壊的な状況となりつつある。 不幸なことに、タイ君主は輝かしい過去を送った一方で、 国の自身の将来を全く見据えずにここまで来てしまったのだ。   ■プミポン国王が崩御すれば、クーデターなどを懸念して、タイ株は大暴落する危険性大■