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NEXT NOTES 韓国KOSPI・ベアETN【2034】の掲示板 2020/07/11〜2020/09/23
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>>496
>徴用工の実態がよくわかる話です
こういう「実態」もあります。
旧日本製鐵徴用工裁判で日本の裁判所が認めた事実です。
「ところで、前記認定のとおり、日本製鐵の経営する大阪製鉄所に付属する本件寮における原告らの居住状況と大阪製鉄所での労働内容は、技術を習得させるという日本製鐵の事前説明から予想されるものとは全く異なる劣悪なものであって、原告らは、一部賃金の支払を受けたものの、具体的な賃金額も知らされないまま、残額は強制的に貯金させられ、多少の行動の自由が認められた時期もあったものの、常時、日本製鐵の監視下に置かれて、労務からの離脱もままならず、食事も充分には与えられず、劣悪な住環境の下、過酷で危険極まりのない作業に半ば自由を奪われた状態で相当期間にわたって従事させられ、清津においても、短期間とはいえ、一日のうち一二時間も土木工事に携わるというさらに過酷な労働に従事させられ、賃金の支払は全くなされていないことが認められ、右は実質的にみて、強制労働に該当し、違法といわざるをえない。」
>都合の悪いことは、答えない、教えない、見ない、聞かない
あなたのことですね。自分に都合のいいものばかり集めてきてはいけない。あなたのような人を日本では恥知らずというのです。
金興光(キム・フンガン)氏の叔父が語る徴用工だった時の話を転載します
徴用工の実態がよくわかる話です
1944年、中学卒業後に両親を手伝って農業を営んでいた叔父は、当時の生活に息苦しさを感じていた。徴用工募集はそんな叔父にとってまたとないチャンスだったのだ。日本に行って頑張れば大金を手にでき、日本の高校や大学にも行けるという噂を聞き、当時の朝鮮の青年たちはこぞって一旗揚げるために日本に渡った。
およそ70人の青年たちと一緒に叔父が船に乗って行った先は北海道の炭鉱だった。仕事はきつく、両親を思い出すこともあったが、故郷を離れるときに立てた立身出世の志を心の支えにして耐え、一生懸命働いた。特に給料は故郷では考えられないほどの大金で嬉しかったという
金興光(キム・フンガン)
北朝鮮の平壌金策工業総合大学電子工学卒業後、咸興共産大学で博士号を取得。2003年に韓国へ脱北し、2006年には韓国政府内の統一部北朝鮮離脱住民後援会課長を経て現在、(社)NK知識人連帯の代表を務めながら韓国内で対北専門家としてTV、新聞、YouTubeなどで活躍中
韓国人の主張が正しければ
こんな証言は絶対でてこないはずなんだが・・・
お前たちがどんな屁理屈で反論してくるか 楽しみだ
たぶん、スルーして 話題を変えてくると思うけどね
都合の悪いことは、答えない、教えない、見ない、聞かないが
国技だもんなー