ここから本文です
Yahoo!ファイナンス
投稿一覧に戻る

NEXT NOTES 韓国KOSPI・ベアETN【2034】の掲示板 2019/11/01〜2020/01/10

古川論文はインターネットには出ていないようですが、この就学率推算を引用した井上薫(かおり)氏の論文 『日本統治下末期の朝鮮における日本語普及・強制政策 :徴兵制度導入に至るまでの日本語常用・全解運動への動員』(1997)のはネットで閲覧できます。

 一方で、上に上げた書堂をはじめ、1930年前後には朝鮮日報社の生活改新運動や東亜日報社のヴ・ナロード運動など民間の識字運動が展開されるなど、学校外での文字教育の場もありました。家庭も文字教育の場であったことは論を待ちません。


 1944年5月1日、戦時動員で人員の枯渇が進みいわゆる強制連行もむき出しに手荒になってきた時分、朝鮮総督府は残された人的資源(!)を知るため、極秘で全朝鮮に「今いる人」の人口調査を行っています。
 このデータはインターネットでは公開されていませんが、国会図書館で入手できます。

 この時、識字率は調査されませんでしたが、学歴の回答を求めています。その結果が右のグラフ。 元データ

 就学率ではなく学歴です。強制連行などで動員され朝鮮に居なかった人の分など、誤差を多少大きく見込む必要がありますが、このデータで初等学校中退、書堂含め何らかの修学をした15歳以上の人を計算すると20%にしかなりません。


 就学率が低いまま長年放置された。それなりに改善した30年代末には、朝鮮語を正課から外し、授業でも使わなくしてしまった。
 一方、学制外での民間の文字教育がそれなりに展開されていた。

 この点を確認して、次に中等教育を見てみます。


 概ね日本の旧制中学にあたる「高等普通学校」は1921年まで4年制、1922年からは5年制でした。
 男女別学で、女子には女子高等普通学校がありました。

 これら普通科とは別に、実業学校がありました。

 人口データが揃っている1930年で入学者と13歳人口を比べると、左の通りになります。
 総進学率は1.9%になりますが、うち私立の(男女)高等普通学校に0.6%、私立実業学校に若干を依存していました。

 そして、進学者全員が卒業したのではありません。
 1911-32年度の(男女)高等普通学校入学者が71,205人なのに対して、1914-36年度の卒業者が33,808人、47%しか卒業していないので、普通科中等学校に入学し、かつ卒業までこぎつけた人は1%を大きく割っていたのです。
1930年の朝鮮人教育状況
人数 概算
進学率 人数データ出典
13歳人口 466,563 1930年朝鮮国勢調査
結果表 P96
公立
中等学校
入学者数 高等普通学校 1,949 朝鮮総督府統計年報
1936年版 P304-305
中学校(日本人向け) 87
女子高等普通学校 505 同上 P308
高等女学校(日本人向け) 215 同上 P306
公立普通科中等学校計 2,756 0.6%
公立実業学校 2,101 同上 P310
公立中等学校計 4,857 1.0%
私立
中等学校
入学者数 高等普通学校 1,730 同上 P306
女子高等普通学校 1,041 同上 P309
私立普通科中等学校計 2,771 0.6%
私立実業学校 702 同上 P313
官立
中等学校 官立師範学校 628 同上 P318
官立実業学校 18 同上 P309
中等学校入学者計 8,976 1.9%


 最後に高等教育を見てみます。