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(株)Casa【7196】の掲示板 2020/12/03

「当時、地方で支店部門の責任者をしていましたが、本社から呼び戻され、現場の立て直しに奔走していました。そんな中、会社が資金ショートしてしまい、支払い遅延を起こしました。顧客からのクレーム電話が鳴り止まず、急きょ会議室にコールセンターを作って、部下とともに朝から晩まで対応に追われました。

 役職員の数も少なくなる中で、残ったメンバーで自分たちにできる限りの誠実な対応をしようと、電話の相手に必死で頭を下げ続けたのを覚えています。最終的に会社の継続ができなくなりましたが、家賃債務保証事業を承継する形で新たな会社を作ることになりました」

 こうして2008年10月、新会社「レントゴー保証株式会社」を設立した。宮地さんは、新会社の経営に携わるつもりは全くなかったが、スポンサーや部下などから請われる形で社長に就任した。賃貸住宅の家賃保証事業として再スタートしたが、倒産によって損ねられた信用はすぐには戻らず、初月の売上はほんのわずか。

 なかなか取引に結びつかず、宮地さんは毎月の資金繰りに奔走する地獄のような日々を送ったという。しかし断られても諦めずに何度でも1社1社足を運び、契約を交わす地道な努力が少しずつ実を結び、だんだんと取引が増え始めた。2009年には同業3社の株式をM&Aにより子会社化し、グループ全体の業容を拡大。事業を軌道に乗せることができた。

会社の長期的なビジョンを提示し、理念を共有

 2009年11月、宮地さんは一般社団法人賃貸保証機構を立ち上げて代表に就任した。当時、保証会社が乱立し、悪質な会社もあり業界の評判を下げるばかりでなく、むやみな競争で倒産も相次いでいた。

 また、失職などで生活が不安定になった入居者を締め出す動きも見られていた。宮地さんは「業界の透明化と質の向上」「社会的弱者の保護」を図るために、国への働きかけが絶対に必要だと感じ、機構代表として関係省庁に法整備を強く訴えるため、議員会館にも足しげく通い、2010年の法律の立案に強く働きかけた。

 宮地さんが業界の健全化のために奮闘する一方で、会社では社員が一人、また一人と会社を去っていき、当時の離職率は40%に達していた。その主な理由は、現場の社員はひたすら目の前の業務に追われるばかりで、会社の長期的なビジョンが見えず疲弊してしまっていた。