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(株)みずほフィナンシャルグループ【8411】の掲示板 2018/08/07〜2018/08/12

オザル首相は「心配するな」と言ってくれたが、その後トルコ政府からも、トルコ航空からも連絡が来ない。森永さんは心配になってきた。このままでは、サダム・フセイン声明の設定した期限が過ぎてしまう。

数時間後、やっとオザル首相自身から電話があった。どきどきして森永さんは首相の言葉を待った。首相は落ち着いた声で、「ハイレッティム(全てアレンジした)。心配するな。親友モリナーガさん」と言ってくれた。

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日本人救援のため、テヘランにトルコ航空の特別機を1機出す。詳細はトルコ航空と連絡をとったら良い。日本の皆さんによろしく。
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それを聞いて、森永さんは驚くと同時に、体の芯から喜びが湧き上がるのを抑えきれなかった。

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トゥルグット・ベイ! 大変、大変、大変ありがとうございます。何も難しい質問をせず、私のお願いを聞き入れて頂き、ありがとうございます。

日本人の救出のために救援機を出して、後で政治問題になるかもしれないのに、リスクを取って大決断して頂き、ありがとうございます。どんなに感謝しても、感謝しきれません。

早速テヘランの日本人にこの大英断を伝えます。大変ありがとうございます。
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森永さんは電話を切ると、この朗報を直ちに東京経由でテヘランに伝えた。

しかし、テヘランの日本人は、その情報をにわかには信じられなかった。それまでどこの航空会社にも搭乗を拒否されて、絶望の淵にいたのだ。急にトルコ航空が特別機を出すと言っても、信じがたい思いだった。

そもそもテヘランには600人を優に超えるトルコ人ビジネスマンが滞在している。トルコ航空が特別機を出すと言っても、彼らを優先するのが当然なので、日本人まで席が回ってくるか、といぶかしく思ったのである。

  • >>1011

    「日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」

    事件当時、イランに駐在していた野村豊大使は、当時をこう振り返って、こう語っている。
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    さて、フセイン大統領の言うタイム・リミットの前日の18日夕方、ビルセル大使(駐イラン・トルコ大使)から、「明日、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」という電話が来ました。

    その頃は大分空襲が激しくなっていたので、在留邦人は郊外の温泉地のホテルや、テヘラン市内の高級ホテルの地下室等に避難していました。大使館員は翌19日の明け方までかけて手分けして邦人の居所を探し、希望を募りました。

    そして19日の晩に2機、一つは19時15分、もう一機は直前の20時頃飛び立ったのです。
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    野村大使はビルセル大使と家族ぐるみの付き合いをしており、それが、こういう際にもスムーズに連絡をとれた一因であろう。

    ちなみに邦人が脱出した後も、野村大使と大使館員49名は現地に残った。


    「この任務を皆、喜んで引き受けました」

    同じく、前日の夜、トルコ航空では日本人救出機の飛行準備を進めていた。機長のスヨルジョ氏は語る。

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    このフライトの飛行命令が出たのは、前日の夜でした。翌朝に飛行ルートを決定し、準備をしてアンカラに飛び、アンカラで最新情報の取得や給油などを済ませ、現地へ向かうということでした。
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    救援機に乗り込んだ客室乗務員でもっとも若かったキョプルルさんは、「イラク爆撃の話を聞いて恐怖心はありませんでしたか?」と聞かれて、こう答えている。
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    私にとっては予定外の仕事で緊張しましたが、怖くはありませんでしたし、非常に有意義な業務であるため、興奮したことを覚えています。

    当社では職務上の命令でも、危険な業務であると自分が判断した場合は拒否することもできますが、私たちは非常に規律ある組織だったので、各人が業務の内容を理解し、また、人間として他者を助けるということが大切ですので、この任務を皆、喜んで引き受けました。
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    キョプルルさんはこの任務のことを夫には伝えたが、父母には心配させたくなかったので、話さなかったという。