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任天堂(株)【7974】の掲示板 2021/09/22〜2021/09/28

人類が誕生してから何万年も経ち、そのほとんどの期間は闘争の世界でした。その世界を三つの期間に分けることができます。一つめは、狩猟採集の時代であり、二つめは、農耕の時代であり、三つ目は、最近の飢えの無い時代です。

狩猟採集の時代は、人々は小さな集団を作り、動物と戦い暮らしていました。人口は少なく、集団はまばらに住んでいて、人類が互いに戦争することはありませんでした。集権的な宗教はなく、精霊信仰の時代でした。

ところが農耕の時代になると、労働力という概念が生まれ、生産性が高まり、部族同士の戦いにより収穫物の奪い合いが始まり、被征服民は奴隷労働者とされ、身分制が発生しました。その中で、宗教は国家的な力を持ち覇権的になり、その時代は戦後まで続いてきました。

第二次世界大戦後は、機械工業技術が発展し機械農機具が作られ、化学技術が発展し肥料が量産され、穀物が安く大量生産され、奴隷的な農業労働が意味を持たなくなり消え去りました。

ビデオゲームは、二つの空間を基盤にしていて、一つは農耕の時代の戦争を基盤とした世界の娯楽化を実現するゲームです。

そしてもう一つは、穀物が大量生産されるようになって戦争は意味を持たなくなった現代の娯楽に対応したゲームです。

高画質を求めるゲームというものは、この戦争の時代の記憶が濃厚な世界に対応するものであり、任天堂が開発しているゲームは、飢餓が無くなった世界に対応したゲームです。

飢餓が無くなった世界では、領土の争奪戦争は起こりませんし、敵の集団を征服して奴隷化する戦争も起こりません。宗教も次第に戦争的な機能は消え去ります。

もちろん今はまだ過渡期であり、飢えも完全になくなてはいませんし、民族間の戦争も残っています。

しかし、それが継続している地域というのは生産性が低い地域に限られています。生産性が高い地域では、そんなことをしても得られるものは僅かであり、現代的な情報価値の方がはるかに重要になっています。

先進国で、小麦やコーンの袋を争うことはありません。そんなものは家畜の餌でしかありません。それを命懸けで争うことは無意味であることを誰もが知っています。