投稿一覧に戻る 三菱重工業(株)【7011】の掲示板 2017/12/24〜2018/01/23 31 kod***** 2017年12月24日 17:49 >>28 >1、新田次郎の孤高の人 という小説を読みました。モデルは、加藤文太郎。昭和初期の >三菱造船の技師だった人です。デイーゼルエンジンの改良に貢献しました >三菱の技師というと、三菱航空の技師で、ゼロ戦を開発した技師(堀口二郎?) >を想像しますが、いろいろな技師がいたものです > >2、三菱の技術をもってすれば、アメリカのボーイングを凌駕する、高性能の戦闘機や >旅客機が作れるとおもうのですが、そうでもないのでしょうか? >昭和初期は、設計は、欧米を追い抜いた。しかし、エンジンの製造は、工作機器が >欧米に追い付かず、2,000馬力のエンジンを作ることが、できませんでした。 >その結果、2,000馬力のエンジンをもつ、グラマンF6Fに、ゼロ戦は駆逐されました > >現在でも、アメリカのような馬力のあるエンジンを作ることができず、 >F3(=心神?)は、日本製とは、いかないと思いますが、MRJの開発など、 >三菱重工には頑張ってほしいものです。がんばれ、三菱重工 Re:疾風や紫電改など日本の戦闘機には2000馬力クラスのエンジンが登載されていました。 ただ誉エンジンは高オクタンガソリンの使用を前提に設計されていたため、鉛不足によりオクタン価の低いガソリンの使用を余儀なくされた戦争末期には充分な性能を発揮することができなかった。 戦後アメリカで疾風や紫電改に100オクタン価ガソリンを使用して試験を行った結果、疾風は683㎞、紫電改は660㎞以上の最高速を記録しました。 これにより疾風、紫電改は6000m以下の高度では速度、上昇力においてアメリカの戦闘機を凌ぐと米軍は結論付けました。 (また戦後アメリカで紫電改を使って模擬戦闘を行った結果、どのアメリカ軍機も紫電改に勝てなかったという関係者の証言もある) 因みに日本側(大戦中)の記録では、疾風620㎞、紫電改580㎞です。 こちらはアメリカ海軍国立航空博物館に展示される紫電改、写真 その存在感たるや、後上方のFー4Uコルセアがわき役に見える。 (紫電改のためにあえてその様な展示を行ってくれたのかも知れない) そう思う2 そう思わない4 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する 証券取引等監視委員会に情報提供する ツイート 投稿一覧に戻る
kod***** 2017年12月24日 17:49
>>28
>1、新田次郎の孤高の人 という小説を読みました。モデルは、加藤文太郎。昭和初期の
>三菱造船の技師だった人です。デイーゼルエンジンの改良に貢献しました
>三菱の技師というと、三菱航空の技師で、ゼロ戦を開発した技師(堀口二郎?)
>を想像しますが、いろいろな技師がいたものです
>
>2、三菱の技術をもってすれば、アメリカのボーイングを凌駕する、高性能の戦闘機や
>旅客機が作れるとおもうのですが、そうでもないのでしょうか?
>昭和初期は、設計は、欧米を追い抜いた。しかし、エンジンの製造は、工作機器が
>欧米に追い付かず、2,000馬力のエンジンを作ることが、できませんでした。
>その結果、2,000馬力のエンジンをもつ、グラマンF6Fに、ゼロ戦は駆逐されました
>
>現在でも、アメリカのような馬力のあるエンジンを作ることができず、
>F3(=心神?)は、日本製とは、いかないと思いますが、MRJの開発など、
>三菱重工には頑張ってほしいものです。がんばれ、三菱重工
Re:疾風や紫電改など日本の戦闘機には2000馬力クラスのエンジンが登載されていました。
ただ誉エンジンは高オクタンガソリンの使用を前提に設計されていたため、鉛不足によりオクタン価の低いガソリンの使用を余儀なくされた戦争末期には充分な性能を発揮することができなかった。
戦後アメリカで疾風や紫電改に100オクタン価ガソリンを使用して試験を行った結果、疾風は683㎞、紫電改は660㎞以上の最高速を記録しました。
これにより疾風、紫電改は6000m以下の高度では速度、上昇力においてアメリカの戦闘機を凌ぐと米軍は結論付けました。
(また戦後アメリカで紫電改を使って模擬戦闘を行った結果、どのアメリカ軍機も紫電改に勝てなかったという関係者の証言もある)
因みに日本側(大戦中)の記録では、疾風620㎞、紫電改580㎞です。
こちらはアメリカ海軍国立航空博物館に展示される紫電改、写真
その存在感たるや、後上方のFー4Uコルセアがわき役に見える。
(紫電改のためにあえてその様な展示を行ってくれたのかも知れない)