投稿一覧に戻る (株)サクラダ【5917】の掲示板 22955 rokku_de_go 2018年5月6日 09:03 「昧」というのは、あやふやな、とか、くらい、とかの意味ですが、 「不昧」といえば、あやふやではない、とか、くらくはない、とかの意味になる。 端的に言えば、 不昧因果とは、道理にくらくない。→道理に明るい。という意味になる。 ここのとこが重要で、百丈野狐のポイント。 不落因果は、因果に落ちない、という意味ですが、 これは中論における戯論に該当する。 戯論というのは二項対立のことで、 いうならば論理というのは、二項対立においてその論理の整合性を追求される学問ですが、 そのすべては戯論という論法に終始する。 これが中論におけるコアな部分ですが、 この論法は中論において一貫性を維持する。 ナーガールジュナは、一時期、自分はゴータマ・ブッダを越えたと自負したらしい、。 (この意味も私は納得する) しかしながら、ジュナは最終的にゴータマ・ブッダを「崇拝奉る」と記しているように、 ブッダへの畏敬の念が強かったがうかがわれる。 ※私は数多くの僧侶と交流をもってきたけど、その一人の僧侶は 同じことを何度も何度も繰り返すことによって、少しづつ分かってくる、と言ってた。 「少しづつ」というのぱ、勿論謙遜の意味で、それが頓悟なのだ。 返信する そう思う1 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する 証券取引等監視委員会に情報提供する ツイート 投稿一覧に戻る
rokku_de_go 2018年5月6日 09:03
「昧」というのは、あやふやな、とか、くらい、とかの意味ですが、
「不昧」といえば、あやふやではない、とか、くらくはない、とかの意味になる。
端的に言えば、
不昧因果とは、道理にくらくない。→道理に明るい。という意味になる。
ここのとこが重要で、百丈野狐のポイント。
不落因果は、因果に落ちない、という意味ですが、
これは中論における戯論に該当する。
戯論というのは二項対立のことで、
いうならば論理というのは、二項対立においてその論理の整合性を追求される学問ですが、
そのすべては戯論という論法に終始する。
これが中論におけるコアな部分ですが、
この論法は中論において一貫性を維持する。
ナーガールジュナは、一時期、自分はゴータマ・ブッダを越えたと自負したらしい、。
(この意味も私は納得する)
しかしながら、ジュナは最終的にゴータマ・ブッダを「崇拝奉る」と記しているように、
ブッダへの畏敬の念が強かったがうかがわれる。
※私は数多くの僧侶と交流をもってきたけど、その一人の僧侶は
同じことを何度も何度も繰り返すことによって、少しづつ分かってくる、と言ってた。
「少しづつ」というのぱ、勿論謙遜の意味で、それが頓悟なのだ。