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(株)串カツ田中ホールディングス【3547】の掲示板 2018/06/22〜2018/07/17
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>>22
なるほど…
高級外車に乗りたいために起業したのか
それなら目標はすでに達成できているでしょ
次元の低い目標だから成長しないのだ
その程度の器では将来性は限られている
社長は変わった方がいい
これまで運があっただけのこと
外車のコレクターだけにはなるなよ
そんな企業に投資はできない
社員がかわいそうだ
もっとでかい夢を抱いて努力しないと衰退していく -
>>22
近大くらいは出とけよ
旧制日本大学 大阪専門学校
アホが行った学校や
近大OBの方には申し訳ありませんが否定はしないでしょ
今は受験者数が多いが所詮アホの近大
cho***** 2018年6月23日 15:24
>>20
大学出ていません。
残念ながら。
少年時代の貫。
大阪府と京都府の境に三島郡があり、サントリー山崎工場がある。今回、ご登場いただく株式会社ノートの代表取締役社長、貫 啓二の生まれ故郷も、この三島郡。いまでも豊かな自然が残る街だ。大阪に生まれながらも「田舎者だ」というのは、この三島郡がなかなか都市化されなかったせいだろう。
父は町工場の、とびきり腕の立つ金型職人。母は編み物の先生をされていたそうだ。兄弟は2人。4歳離れた兄がいる。「父は真面目で、お酒も飲まない人です。夜8時くらいには帰宅していました。一方、母は口うるさい人で、とにかく『勉強しろ』といつもお尻を叩かれていました(笑)」と貫。貫自身は、兄の影響で小学校から硬式テニスを開始し、大会にも出場するなど運動神経のいい少年だった。
背も高く、中学2年生には181センチになっていた。母にはあいかわらず「勉強しろ」と言われたが、「バイクばかり乗り回していた」ということだ。
トヨタに就職。いつかはオレも。
大学には進学せず就職した。兄は警察官になったが、貫は郵便局とトヨタ自動車を受け、後者に就職する。平成元年の話である。
このトヨタ時代、貫は仕事に真摯に打ち込むとともに、起業家の片りんもみせはじめる。
「休日を利用してパーティやスノボーツアーを企画したんです。自分も楽しく、それでいてお金にもなるんですから、こういう仕事もいいなぁと、なんとなく起業することを考えはじめました」とのこと。
「そんなある日、ある人間が外車を乗ってきたんです。その時、いまのままじゃ一生こんな車に乗ることはできない。一回きりの人生、これでいいのかと思うようになったんです」。
いつか、オレも。起業が今まで以上に現実味を帯びてくる。27歳。10年勤めた会社を飛び出した。