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株式と投信の両方で生き残るの掲示板
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1353
>>1347
>大江広元の「守りよりも攻め」というのは、
>承久の乱の時「鎌倉を守るか京都を攻めるか」という時に
>積極策を強く主張した、ということですね。で政子もこれに賛同したと。
攻撃は最大の防御なりってことですか。
>手元の高校の日本史教科書(三省堂)では
三省堂で思い出すのは
三省堂って三回反省するってことから付けられてますよね(笑)
結構後から修正されること多いみたいですよね。
例えば的を射るって言葉も
的を得るも正解だとか書いててて
確かにこれは中国の言葉に【正鵠を得る】って言葉も有り
的を射る→的を得るになったとも。
又方言で的をいるが東北のなまりでえると発音してそれから的をえるになったとも
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-07-25-12-36
ryo***** 2022年3月2日 00:33
>>1343
> 頼朝亡き後承久の乱の折、尼の政子を助けましたよね。
> 政子にとって大変心強かったと思います。
大江広元の「守りよりも攻め」というのは、
承久の乱の時「鎌倉を守るか京都を攻めるか」という時に
積極策を強く主張した、ということですね。で政子もこれに賛同したと。
手元の高校の日本史教科書(三省堂)では
「13人」のうち、北条時政・義時、大江広元、梶原景時、比企能員、和田義盛、
の6人が本文に載ってました。時政だけ太字でした。