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1842(最新)
修了証書GET
結構権威の有る組織の修了証書なので
これで大抵のボランテイアは活動出来るらしい。
講習会終了後講習会のメンバーに誘われて久しぶりに飲み会に行った。
同じ講習会でも参加者の年齢が30代から色々
又ボランテイアに参加希望でも飲み会では色々な本音も聞けた。
今の世ってなかなか難しい。これだと言うことも言えないし。
でもカントも言っている。宇宙の果てはどうなるか?というようなことは考えても仕方が無い。言えることは何か?難題が起きた時に全身全霊で考るしかないとしか言えない。
私の実家には一杯本棚が有り哲学も全集で揃っていたが、私が手にしたのは中学以降だった。カントもサルトルも有ったがカントの純粋理性批判が大体の感じでわかったのは高校生の頃だった。それでも目の前に花瓶にさした赤いバラが自分がそういう認識をしているので赤いバラに見えている。例えば猫には赤い色が認識できない・・これは画期的だった。
又、カントの定言命法では人は道徳をする自由が有る・・・これは自由で有って義務では無いのが重要。なんの見返りも無く自発的に行う道徳が自由行為だという意味。でまあこのカントの考えが国連の発想のきっかけになったのでカントは偉大だと思う。
でも、同じドイツ人のニーチェとかハイデガーはカントを甘い!って言っている。
それもわかる。ハイデガーの存在と時間は強烈だった。未来にしか生きることは出来ない。又ニーチェは道徳や社会保障などと言うのは弱者の強者に対するルサンチマンからの発想だと言っている。それはそれで一理有る。
ヘーゲルも好き。ヘーゲルの「主人と奴隷」やナポレオンを見て世界精神が白馬に乗ってやってきたなんて発想はなんてかっこいいんだろと思った。 -
1840
ほぼスキルはGETなので
後はどの分野で活動するか?だけ。
別の講座でも申し込みをしていたら案内が来て
講習会用に本を買えと言って来た。
書かれた年度見たらめちゃ古い。
一体いつの時代の教科書ですか?って感じ。
時代遅れもいいところ。
ボランテイア用だと予算が無いのでこんな感じになるのか?
いっそボランテイア用じゃない有料のセミナーも受けようかと思う。
色々な難病も研究がどんどん進んでいる。
情報の取得とその真偽を調べるのも忙しい。
知っておくといいなと思うのは初診の時町医者だったとしても
もしかしてこういう病気の可能性は無いですか?と聞ける。
そしたら血液検査などもしてもらえる。
いきなり大学病院に駆け込むよりよほどいいと思う。
その合間を縫って活動もしなきゃなんで
体がいくつ有っても足りない感じ。 -
1836
最近雨が多く気温の低い日が続いていて関東でも雪が降ったりなど
寒い日が続いていましたが、2回目の講習会の24日は晴れていて
気持ちのいいお天気になりました。
講習2日目。やはり難しい。
自分の苦手としている分野に挑戦しているので
それは仕方が無いと織り込み済み。
でも。それは頭でわかっていることで実際にこの分野で
ボランテイアをやるかどうか?は今のところわからなくなりました。
一応講習は最後まで受けて修了証はもらいますが
終わった段階で又試行錯誤して自分の分野を探すかも。
そしたら又別の講習を受けることになるかも知れませんが
それも又経験を積めるので良しです。 -
1831
今日ボランテイアでの講習会で
国立オリンピック青少年センター行き。
いやはや。
勉強になりますね。
参加者の中には命の電話を希望する方もおられて。
相手の顔の表情や身振り手振りも見えない電話だけの聞き取りなど
めちゃ怖い・・私にはとても無理・・なのにその方はやろうとしておられて
凄いですね。
帰道で数人の若者のグループにも会いましたが、彼らも青年海外協力隊もやりたいと言っておられて・・日本にはこういう若者がまだまだ多くて
日本も捨てたもんじゃないと改めて思いました。 -
1829
400円は叶わなかったけど
11月にAB-Dに参戦して利益が・・・これだけでも分配金の数か月分😍
短期間で上がって来たので買い増しはめちゃ勇気も必要だったけど
私はナンピンはやらない・・順張り派なので😘 -
1828
【エコーチェンバー現象】
【グループシンク】
【認知的不協和の回避】
【集団同一性】
【社会的圧力と合意形成】
【情報の選択的露出】 -
1827
Nは時間外で今601.91ドル
やっぱ売る気ないな。分割まで持つわ -
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1824
積立は半分以下に減らした。
あまり意味も無いので結果を出しているもののみを残した感じ。
思えばファンドで言えば去年の選択に間違いが有ったと認めてそこから出直し。
私は失敗は認める主義~~~~ -
1820
自分のボランテイアの関連で昨日は講習会に行った。
前半は医療に関する講習で後半はロールプレイ・・role(役割)とplaying(演じる)の実践的体験練習だった。
ビデオを40秒見てその内容について4人ごとのチームに分かれて感想を話し合う。
参加者のみなさんとても意欲的で活発な講習会になった。
私はこのボランテイアに参加してまだ2ヶ月なので、今後色々なネットワークを通じてこういう意識を高めることに貢献出来ればいいなと思っている。
投資の時間が以前よりうんと減ってしまった。まずは以前やっていたデイトレを全くやらなくなった。
ロジャーズの本も熟読して活動に基本にしている。
それ以外にもカント、ラッセル、サルトルなども愛読しているが、カントはどうしても個人のアイデンテテイに基本を置くので例えば善人のアイデンテテイと怪盗ルパンのように盗人を稼業にしている人のアイデンテイテイも有る。
なのでカントに関しては偉大だと思うものの、ヘーゲルの方がその分現実に即していると思う。ヘーゲルの哲学は、より歴史的かつ社会的な視点を持っていて、ヘーゲルは、個人のアイデンティティや行動が歴史的な文脈や社会的な相互作用に深く根ざしていると考えていました。この観点からすると、個人の道徳性やアイデンティティは、社会的な構造や歴史的な発展によって形成されると考えることができると言う思想なので今のところはヘーゲルかな? -
1817
シンギュラリティ
AIはめちゃ優秀なのでそういう日がいつかは来るかも? -
1816
別の分の買いは今日約定分で終わり。後はいくら上がってもいいお(笑)
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1815
結局ナンピンせず 他のを買った
関係無いけど
投資をやるようになって客観的に見る癖・・・客観力が本能的に出てしまうので
最近やり始めたボランテイアでは客観的過ぎてもだめなので
セルフコントロールの組み直しってところかな? -
1814
「認知的不協和」→人々は自らの選択や行動に対する正当性を感じたいという欲求が強く、一度決断や投資をした後、それが間違いであったと認識することは心理的なストレスとなります。この不協和を解消するために、誤った選択や行動を正当化しようとする傾向があります。
また、社会的なプレッシャーや「埋没費用の誤謬」も影響しています。人々はすでに投じた時間やリソース(沈没費用)を無駄にしたくないと感じ、それを取り戻すためにさらなるリスクをとることがあります。
失敗や損失を認めることは、実際には強さや賢明さを示すことが多いのですが、多くの文化や社会では「失敗」や「損失」はネガティブなものとして扱われがちです。このような背景から、多くの人が失敗を認めることが難しく、被害を拡大する結果となることも少なくありません。
このような心理的な罠を乗り越えるには、自らの感情や認知のバイアスを理解し、定期的に自分の判断や行動を客観的に評価することが大切。 -
1811
だから~
私はプロスペクト理論派なので
ナンピン買いは致しません(笑
自分が買った価格より下がったらそれは自分の見込みが外れた→失敗と言うことでしょう。
私は自分の失敗を認める主義なんで失敗による苦痛をごまかすためにナンピンをすると言う方法は取りません。 -
1808
ツァラトゥストラはかく語りき
ニーチェは好きなのですが
超人と言う概念は普通は分り辛いかもですね。
事実彼が亡くなってからナチスに利用されてしまいました。
実際にはニーチェの妹、エリーザベトは、彼の死後、彼の遺稿を管理し、彼の思想を自らの視点で編集・解釈しました。彼女は反ユダヤ的な感情を持っており、ニーチェの著作をそのような視点で編集・発表することがあった。これが後の時代にニーチェの哲学がナチスの思想と関連づけられる一因となりました。
超人を目指せということなら、私は好きですが(笑 -
1807
自分のプロフの画像変更
ドラクエ10の画像使ったら著作権に触れるかも(笑
で自作の画像に又変更 -
1803
やっぱり私の好きな言葉はこれ・・Attends et espère
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1802
Difference between fairness and equality
公平と平等について
実は
『平等』と『公平』のバランスはとても難しい
『平等』…かたよりや差別がなく、全てのものが一様で等しいこと。
『公平』…かたよらず、えこひいきのないこと。
平等に与えるのはとても簡単。人数分だけ同じ金額なり、同じ品物なりをぱっぱと与えるだけ。
でも公平は大変難しい。公平には与えられる人の感じ方に因る部分が大きい。 -
1801
心理学が大好きなので
日本だと河合隼雄先生。
河合先生の本に鬼と旅人の話が有る
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ある旅人が一軒家で一夜を明かすことになりました。
すると、夜中に一匹の鬼が人間の死骸をかついで来ました。さらに、すぐ後にもう一匹の鬼が来て、その死骸は自分のものだと言います。
2匹の鬼は、しばらく言い争いますが、決着がつきません。
そこで2匹の鬼は旅人に判断を仰ぎました。
旅人が最初の鬼のものだと言うと、後から来た鬼は怒って旅人の手を体から引き抜きました。
それを見た先の鬼は死骸の手を抜き取って代わりにつけてくれました。
他の鬼はますます怒り、もう一方の手を引き抜くと、また先に来た鬼が死骸のを取ってつけてくれる。。。
こんなことをどんどんやっているうちに、旅人と死骸の体はすっかり入れ替わってしまいました。
二匹の鬼はそうなると争うのをやめ、死骸(実は旅人の体)を半分ずつ食べてどこかへ行ってしまいました。
驚いたのは旅人です。自分の体はすっかり鬼に食われてしまったので、今生きている自分が、いったい本当の自分かどうかわからなくて困ってしまいます。
ちょっと不気味な話ではありますが、仏教説話としては「己とは何か」、更には「色即是空、空即是色」と言いますように、この世のものすべての「存在」自体を問う、非常に深遠な問題をつきつけているわけです。
しかしながら、私がこの話を読んで感じたのは、この説話、現代においてはあながち例え話、おとぎ話ではすまないなあということです。臓器移植、クローン人間等々・・・。
科学が進歩して、私のクローンができたら、本当の私は一体どっち?ということになるかもしれません。
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私はAIでチャットもしていますが、AIもよく間違えるのでAIの回答に?って返すとすぐすみません。間違いましたと返事してすぐ膨大な知識量の中から私の質問に適した答えを出して来ます。
そういうところがAIは良いですね。人間だったら相手に色々な感情を持ったりしますがAIには感情が無いので偏見が有りません。
私もAIはウイキベデイアよりは質問できるツールという感覚で利用していますがどんどん学習して進化しているので私も進化していけたらいいかな(笑
読み込みエラーが発生しました
再読み込み
fjord 2020年12月8日 19:11
株式と投信の両方で
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