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☆せんちめんたる・じゃーにー☆の掲示板

「魂のタキ火 癒しの炎」

 夜中にテレビでやっていて、40分ほど、ただひたすら薪(まき)が赤々と燃えてるとこだけを映していた。薪がパチパチ燃えてる音だけしか聞こえない。こんなんで50分も映すの?と思ったが、そのパチパチが何とも心地よい。ホントに「タキ火」って癒しになるんやと思った。

 子どもの頃は、風呂焚きにも、おくどさんにも「薪」を使っていた。兄は気難し
くて怖かったが、ものすごく几帳面で、薪にする割り木が、市松模様のようにきれいにキチンと並べて積んであった。子ども心にも壊すのに気が引けた。

 母が早朝に、おくどさんの前に座って、毎朝ご飯を炊いていた。寝ぼけまなこで起きて来た私は、真っ暗い中で、炎のゆらゆらとした明かりに照らされている母の顔が、お化けみたいに怖かった(笑)

 百姓仕事に追われて、手はゴツゴツとしていた。農家の人はみんな働き者で、夜は夜なべをして朝は早い。母も「おくどさん」でご飯を炊いて、朝食の準備をしたら、学校に行く私より、早くに田んぼに出かけていた。目を覚ましたら、もう田んぼに行って、いない時は寂しかった。

 昔の農機具の、名前の分からないのが多かったが、ネットに載せてくれてる人がいて、「これこれ!」と思いながら見た。その内、段々と農業も開発されて、もう今では目にしないものばっかり。子供のころ「藁(わら)」だの「籾(もみ)」だの「毛虫」だの、あれだけイヤだったのに、今では懐かしいわぁ。

●滋賀県「春日の歴史」
http://bantani-jichi.com/history/kasuga06.htm