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任天堂(株)【7974】の掲示板 2021/05/01〜2021/05/06

>>86

この銘柄の従来の株価動向からすれば、という意味です。新型コロナがなければ、任天堂の株価は3万前後か、それ以下で推移していたはずです。

新型コロナ禍への配慮の言葉は、任天堂関係者の誰からも発せられていない。
一例としては、米国Amazonは、バイデン大統領が打ち出した法人税の増税に同意・納得しています。
それから、私は、あなた個人を非難してはいません。

任天堂Switchの爆売れが、コロナ特需であることは、否定できない事実です。
資本主義経済の国家では、どのようなことでも、業績向上に寄与することは有りです。ただ、口先だけの「そぶり」であっても、新型コロナ禍にある人々、とりわけ重症患者の方々、その人々の治療に当たる医療関係者への「配慮を感じさせるコメント」なるものが、任天堂のWebsiteに記されていれば、この企業に対する印象はmuch betterになったことでしょう。

それらに関する配慮が全くない同社の姿勢に対して、「ウハウハしている」との印象を抱くことになるわけです。世間一般の人々の無責任なインプレッションです。しかし、それらは任天堂にとりまして、無視できないネガティヴなものでもあります。

私は任天堂の役員でも社員でもありませんので、任天堂のために高額の寄付金を供与する立場にはありません。

任天堂がコロナとともにThe Endかどうかは、わかりませんが、現状の特需相場は、コロナ禍収束(はないと思います)、あるいは、コロナ後(これもないでしょう)、が、任天堂の主たるマーケットである米国と日本、人口3億超の市場で、すでに相当数のSwitchを売り切った任天堂が、今後も、限りなく従来のペースで、Switchが買われ続けることはないと思います。

  • >>94

    【見解】※長文失礼

    真摯な姿勢の文章に敬意を表し,昨晩の投稿の非礼をお詫びいたします。以下,当方の見解です。「たられば」の世界については検証のしようがありませんので平行線をたどるかと思いますがそこは仕方のないことですのでご容赦ください。

    まず「従来の株価動向」としてコロナ禍直前の株価動向を踏まえるならば,2020年初頭で3万円から4万円台で推移していましたので,その当時の織り込み材料とその後の商売の展開から推測するのが妥当かと思います。

    最近の任天堂の商売の評価については,大きく「Wiiに代表されるようなピークを持つビジネスであるはず」という立場と「Switch以降はプラットフォームを維持するビジネスに変化している」とする立場に分かれます。

    「3万円前後か、それ以下」であるという推測は前者を前提とした見解と推察します(文末の「売り切った」の表現からもその視点が読み取れます)。

    一方当方の見解は後者です。任天堂として永く使うプラットフォームの基盤を作りアカウントサービスも構築し直した上で,季節要因や個別のハード寿命に依存しない安定的な収益基盤を作ってきたと評価していますので,仮にコロナ禍がなかったとしてもその商売による収益で,現在と同等か,低く見積もっても株価5万円以上の価値はあるものと判断します。

    コロナ禍の「特需」の具体的な内容についても「そろそろピークアウトを迎えるはずだったものが延命された」とする意見と「需要の先食いでピークが前倒しになった」とする意見が多く聞かれますが,長期ホルダーの(というか少なくとも私の)見解はいずれでもなく「コロナ禍で顧客基盤の拡大が急速に前倒しされた」です。

    コロナ禍で特に話題になったのはどうぶつの森とリングフィットアドベンチャーです。両者ともコロナ禍がなければより穏やかな曲線で話題となり広まったであろうものが,状況の変化で急にその価値が広く認識されそれまで任天堂と縁が薄かった層からも求められることになった,という解釈です。

    どうぶつの森というソフト単体の視点で見れば確かに需要先食いの面もありますが,これによって任天堂IPに触れる層が拡大し,その層に任天堂エコシステムの住民票にあたるニンテンドーアカウントとその生活基盤たるSwitchを手にしてもらったことの意味は大きく,この先コロナが収束した後に向けた顧客基盤を整備できたことがここ1年の大きな成果だと判断しています。

    つまりホルダーが考える「特需」の中身は「それなしではもっと緩やかに普及が進むはずだった顧客層の拡大が一気に起こった」だけです。その先さらに長期的関係を築いて取引を続けていくことに変わりはなく,その意味ではここ数年で築いてきたビジネスの仕組みに大きな影響を与えるものではありません。

    また,感情的な側面で,コロナ禍を材料に業績を伸ばしたことには変わりないではないか,と言われるとその側面は確かにありますが,その業績伸長の理由は人々に求められ役立つものを提供した結果ですから,人の不幸に乗じて一儲けし「ウハウハしている」印象を持つというのはやはり言いがかりと言わざるを得ません。

    「コメント」については,メディアが必要以上に騒ぎ立てたり不適切な形で切り取ったりする経験が多いせいか,任天堂は慎重に言葉やタイミングを選ぶ傾向があります。結果として口数が少ないように言われてしまいますが,これには仕方ない面があろうかと思います。

    もし仮に古川社長個人の所感やウェブサイトのトップページへのコメントとして「コロナ禍で苦しんでおられる皆様にお見舞いを申し上げ,日々奮闘されている医療関係の皆様に敬意を表します」と書かれたらどんな反応があると思いますか?

    おそらく「コロナのおかげで儲けているくせに何言ってんだよ,むしろこの禍いが続いてほしいと思ってんだろ。こんな反社会的な会社,潰れてしまえ。」といった批判が噴出すると思います。

    個人的な主観で恐縮ではありますが,私の経験から申せば「配慮がない」と苦言を仰る方は,たいてい何をしても何を言っても屁理屈を見つけては文句を言います。理論的に考えた末の意見に感情を乗せるのではなく,抱いた感情に理屈を後付けしようとする順番で思考を巡らせるのでそうなります。

    また,これも主観かもしれませんが,任天堂は「社会」に対しては対話も行動も行いますが,「世間」に対してはニュートラルな姿勢を保っています。

    特に日本で特徴的に見られる災害下での整然とした行動や同調圧力,正義警察のような現象は「社会との契約」や「法の支配」よりも「世間の目・世間のしきたり」による力が強いことによって説明されます。「社会」では個性や自由競争が認められるはずなのに「世間」で悪目立ちすることは集団内(ウチ)の平等や調和を乱すものとして排除されるので「出る杭は打たれる」結果になりがちです。

    もし任天堂に対して「俺たちがひどい目にあってるのにあんたは商売繁盛でけしからん」という気持ちがある場合,それはまさに(「社会」ではなく)「世間」の一員として任天堂を見た場合のねたみそねみやっかみの類でしょう(投稿された文面でも,いみじくも「社会」ではなく「世間」一般の人々のインプレッションとありました)。「俺がひどい目にあっているんだからお前も同等の損をしろ」という,日本の「世間」独特の lose-lose 関係を求めているように私には見えます。

    その土俵に任天堂は乗りませんので結局「なんだてめー,無関心でいるんじゃねぇよ」と結局は非難されてしまいますが,何を言っても裏目に出るリスクがあるような状況では,これは仕方のないことだと思います。「世間の付き合い」のルールの視点で「感謝がない!」「感情がない!」と言われても(お気持ちは理解できますが)どうしようもありません。

    その代わり「社会的」責任(CSR)という視点では企業としてまっとうに活動していると評価できます。これも人によっては「結局それをやって宣伝につなげているんだろ,売名だろ」となるのでそれを言われてしまうとどうしようもありませんが,こうしたか活動によって恩恵を受ける人がいるならそれはそれでいいと思います。

    まずは(「世間」ではなく)「社会」に役立つ製品を作ることが企業として重要な使命であると思いますが,先に挙げたどうぶつの森やリングフィットアドベンチャーなどはまさに昨今の状況下でその視点で評価されてしかるべきものです。顧客の幸福に寄与しています。

    また,ソフトで言えば昨年はジャンプロープチャレンジの無料配布もありました。こうした取り組みは本業の範囲内で社会にどのように役立てるかを考えた結果であると評価できます。

    一方,会社が持つ資産や強みを直接的な販売以外で役立てる活動としては,例えばアメリカ任天堂が取り組んでいる「スターライトゲーミングプログラム」などがわかりやすいと思います。任天堂は「世間貢献」はあまりしない会社ですが「社会貢献」にはしっかり取り組んでいます。

    確かに岩田社長は「社会」に対しても「世間」に対しても卓越したコミュニケーション能力を持った方で,しかもコンピュータやマネジメントのスキルもコンピテンシーも高い稀有な方でした。そのカリスマと比べて……となると物足りなさを感じてしまうのも仕方ないところですが,一方で集団指導体制が確立されて昔のような博打みたいな商売をせずに強みを発揮しながら顧客の笑顔に貢献できるようになった姿は,色眼鏡なしで真っ当に評価されてしかるべきです。

    Switchは任天堂が考える価値ある娯楽を体験するためのツールの1つです。これ自体の,ある期間内での販売数がどうこうというのは任天堂に対する本質的な評価ではなく,このツールが普及したところでさらに恒久的に価値ある娯楽体験を提供し続け顧客の笑顔を保てるかどうかで真価が問われることになると思います。

    その意味において,Switchはピークアウトに近いのではなく,いよいよ舞台が整ってその中身に注目が移るフェーズに移るところに来た,と捉えるのが妥当だと思います。アホルダーは,その価値を先回りして評価し投資しています。