(株)ナイスクラップ【7598】の掲示板 2015/04/08〜
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<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”>①
日本でカジュアルウェアーが誕生したのは今を去ること62年前の
昭和29年(1954年)のことである。
このことはどの服飾史にも記述されていないが、紛れもない事実
ではある。
では、順を追って検証してみることにしましょう。
その前にわたしが33年前の昭和58年(1983年)に繊研新聞の投
書蘭に記述した”カジュアル”について再掲してみることにします。
「カジュアル言葉」
”カジュアルという言葉がある。昨今では、この言葉なしには情
報発信者の発信文が成立しないほどである。しかしこの言葉ほ
どあいまいに放置されているのも珍しい。
例えば、この言葉を「紳士服」で使うときは「ビジネスウエア」
との対比で狭義の意味(普段着、くつろぎ着)で使用する場合
が多く、「婦人服」で使うときには、広義の意味(服飾全般の
傾向)で使用する場合が多い。
このことについては、受信者側もある程度察知しているのだが、
最近ではその境界線さえ不明確になりつつある。 極端な場合、
同一紙・誌面において「カジュアル化傾向」と「カジュアル不振」
とが同居していることさえある。ましてや長期にわたって通読す
ると意味不明となることがしばしばある。”
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>>22
<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”㉑>
― 夢追い人・高田賢三の時代 ―
>高田氏が世に出た当初はまだ日本には「カジュアル」と
いう言葉さえ存在しなかったが・・・・。
この「日本のカジュアルウェアー誕生秘話」を書くきっかけ
は、このときに書いたとおり日経新聞で高田賢三氏の「私の
履歴書」がはじまったから。
そのときに冒頭のように書いたのだが、これは誤解を生むので
「<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”>
の第一回では以下のように正確に書いた。
”日本でカジュアルウェアーが誕生したのは今を去ること62年
前の昭和29年(1954年)のことである。
このことはどの服飾史にも記述されていないが、紛れもない事
実ではある。”
上記のことをこの掲示板に書いたのは2016年12月7日のこと。
その2日後の12月9日に「高田氏の”私の履歴書”」で、氏は以下
のように記述している。
”・・・心配していた就職も文化服装学院の小池千枝先生の紹介
で浅草橋にある「ミクラ」というアパレル会社に決まった。
松田光弘君も合格したので会社の同僚になった。
ミクラで担当したのはカジュアル衣料だった。”
ん?? この時代にミクラに”カジュアル衣料部”があった??
これ如何に?
まあ、これは以下のような理由で高田賢三氏の”カン違い”である
ものと思われる。
only_yasterday 2016年12月1日 21:40
― 夢追い人・高田賢三の時代 ―
日経新聞の「私の履歴書」は今日から高田賢三氏。
高田賢三氏は”日本のカジュアル・ファッション時代”の
申し子として登場し、一世を風靡した時代の寵児だった。
高田氏が世に出た当初はまだ日本には「カジュアル」と
いう言葉さえ存在しなかったが・・・・。
さて、その時代へ翻って見てみることにしましょう。