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(株)ナイスクラップ【7598】の掲示板 2015/04/08〜

>>22

<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”㉑>

   ― 夢追い人・高田賢三の時代 ―

>高田氏が世に出た当初はまだ日本には「カジュアル」と
いう言葉さえ存在しなかったが・・・・。

この「日本のカジュアルウェアー誕生秘話」を書くきっかけ
は、このときに書いたとおり日経新聞で高田賢三氏の「私の
履歴書」がはじまったから。

そのときに冒頭のように書いたのだが、これは誤解を生むので
「<only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”>
の第一回では以下のように正確に書いた。

”日本でカジュアルウェアーが誕生したのは今を去ること62年
前の昭和29年(1954年)のことである。
このことはどの服飾史にも記述されていないが、紛れもない事
実ではある。”

上記のことをこの掲示板に書いたのは2016年12月7日のこと。
その2日後の12月9日に「高田氏の”私の履歴書”」で、氏は以下
のように記述している。

”・・・心配していた就職も文化服装学院の小池千枝先生の紹介
で浅草橋にある「ミクラ」というアパレル会社に決まった。
松田光弘君も合格したので会社の同僚になった。
ミクラで担当したのはカジュアル衣料だった。”

ん?? この時代にミクラに”カジュアル衣料部”があった??
これ如何に?
まあ、これは以下のような理由で高田賢三氏の”カン違い”である
ものと思われる。

  • >>66

    <only_yasterdayの”日本のカジュアルウェアー誕生秘話”㉒>

    ― ファッション用語・アパレル / 高田賢三・時代混同の記憶 ―

    高田賢三氏曰く・・・

    >"・・浅草橋にある「ミクラ」というアパレル会社に決まった。
    ・・・・・ ミクラで担当したのはカジュアル衣料だった。”

    「夢追い人・高田賢三の時代」は文字通り高田賢三氏の履歴書で
    あり回顧談なので、”平凡パンチ1954”の著者・赤木洋一氏と同様
    に「時代の”混同の記憶”」だった可能性が高い。
    (このシリーズのNo.⑪=”平凡パンチ創刊号とカジュアル言葉”)

    赤木氏の「平凡パンチ創刊号」の逸話を語る回顧談では「カジュ
    アル言葉」がごく普通に当時も使用されていたようなニュアンス
    で記述されているから、この手の話は実に厄介だ。
    今回の「アパレル言葉」も同様なことが言える。

    では、まず「アパレル」のその生い立ちを改めて見てみることに。