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岩崎通信機(株)【6704】の掲示板 2023/03/08〜2024/03/30

■戦時体制下、杉並区移転と 岩崎学園昭和16年、太平洋戦争が始まり、陸軍より電波探知機(レーダー)の研究を他社と共に((株)日立製作所、日本電気(株)、岩崎通信機(株))命じられる。昭和14年に新設された世田谷区の烏山工場の生産が設備能力がいっぱいで、新しい電波兵器の開発が加わるとなるとどうしても本格的な大工場建設が必要だった。新しい本社・工場用地として、静岡県や栃木県も検討されたが、岩崎は久我山の広い畑地に目をつけ、建設予定地とした。当時の久我山は人家もまばらで玉川上水南側には民家が一軒もなかった。工場建設予定地の大部分は夏物野菜栽培の1級地であり、農林省からは防空緑地帯として指定されるほどで、電気水道の便が良く、さらに烏山工場に隣接という岩崎通信機にとって最良の立地条件だった。軍部の後押しもあって、半ば強引に土地を譲って頂き、本拠地とすることができた。この経緯があり、地域への感謝の念と恩義は現在の岩崎通信機の社員にも深く根付いている。ちょうどこのころ岩崎は、企業の発展に尽力する傍ら技術者育成の必要性を感じ、工員たちに敷地に用意した寮にすまわせ、仕事が終われば学校に通わせた。これが1944(昭和19)年、財団法人岩崎学園久我山中学校として開校。この学園が、のちの國學院久我山である。


ろくに営業努力もせずとっくに死に体の会社で、
本来なら全員リストラされるべき会社を
株式もろくにもたない経営陣の保身のために
歴史のある久我山の本社土地を切り売りして給料を出しているのが現状。