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小林製薬(株)【4967】の掲示板 2024/04/07〜2024/04/08

ごぼうの党【公式】

今回は日本三大タブーの一つとされる創価学会について初めて書きます

かなりリスキーな内容ですが宜しくお願いします

石原慎太郎にして「巨大な俗物」と言わしめた池田大作が死去しました

会員世帯数827万世帯とも言われる巨大宗教法人の成り立ちは闇金でした

闇金ウシジマくんの闇金です

ヤミ金融です

2代目会長の戸田城聖が大蔵商事という金融会社を営んでいたのです

社長は和泉覚(創価学会副会長)であり役員に池田大作や森重紀美子(戸田城聖の愛人)らが名を連ねて居ました

なぜヤミ金融と揶揄されるのかと言うと

金利が年利84%でした

生活に困っている学会員に金を貸し厳しい取り立てをしていたのです

昭和43年2月10日「社長会記録」の中で池田大作本人が

「大蔵商事時代は一番嫌な仕事をしていた」

「どうしてこんなに嫌な仕事をしなければいけないのかと(疑問に)思っていた」と語っています

創価学会は創価教育学会として1930年11月18日に初代会長である牧口常三郎と

二代目会長である戸田城聖により創立された教育団体ですが

1943年6月に日蓮正宗総本山より登山停止を言い渡され

7月に牧口常三郎と戸田城聖が逮捕されて

1946年5月3日に創価学会として改称します

そして翌年である1947年8月24日に池田大作が入信

1950年10月に先に述べた高利貸し(大蔵商事)に入社して営業部長として取り立てに明け暮れました

「嫌な仕事」と言いながらも少額高利貸し業に精を出した池田大作は

初任給が数千円という時代に給料が20万円を超えていました

高利貸し業(ヤミ金)でメキメキと頭角を現した池田大作は

創価学会二代目会長戸田城聖より幹部として大抜擢されて

1958年4月2日に戸田城聖が死去すると1960年5月3日に三代目会長に就任します

  • >>3181

    入信から13年で会長まで上り詰めたのです

    池田大作躍進の陰には塚本素山(つかもとそざん)なる人物が居ました

    秘密工作を仕掛ける各国の諜報機関が宗教を利用するのは常套手段です

    正しいか正しくないかではなく鶴の一声で組織や票を動かせるからです

    統一教会をKCIA(韓国のCIA)が組織したことはアメリカの公文書(フレイザー報告書)で明らかになっています

    池田大作が会長に就任した翌年である1961年に

    塚本素山(つかもとそざん)を創価学会顧問として迎え入れると

    塚本素山なるエージェントの力を借りて莫大な資金源を背景に

    創価学会は政界への影響力を強めていきます

    塚本素山が創価学会顧問に就任した二年後の1963年「東京都知事選挙」の際には

    創価学会票が欲しい自民党は副総裁である大野伴睦が

    塚本素山を通じて池田大作にコンタクトを取り

    「60万票を自民党に入れる」との池田大作の一筆書きを大野伴睦に「僕が届けた」と

    渡邊恒雄(読売新聞グループ代表取締役)が回顧録で語っています

    日本新聞協会の会長を歴任した渡邊恒雄が

    日本国憲法に定められた政教分離規定に違反したことを堂々と自慢話のように回顧録で語る

    うちわやボールペンに候補者の名前を書いて渡しただけで公職選挙法で逮捕されるのに

    日本国憲法を無視して宗教の信者の票を60万票も動かして新聞社のトップに君臨する

    全てグル
    全て一味

    何をしても逮捕されない連中

    いったい誰の為の政治なのか?

    自民党と創価学会(公明党)連立政権の礎を築いたのが塚本素山なるエージェントなのです

    銀座4丁目にある塚本素山ビル(プリマハムの大きな看板が有名)の竣工式(1960年6月1日)は異様な光景でした

    来賓として岸信介(第56-57代内閣総理大臣)

    池田勇人(第58-60代内閣総理大臣)

    大野伴睦(自民党副総裁)

    一万田尚登(日本銀行総裁)など

    政財界の実力者が1000人も列をなしたのです

    日本国憲法を無視して60万票の宗教信者の票を動かしても逮捕されないのが頷けます

    塚本素山ビルの竣工式の来賓に岸信介(安倍晋三の祖父)が居たと書きましたが