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NEXT NOTES 韓国KOSPI・ベアETN【2034】の掲示板 2019/11/01〜2020/01/10

低すぎる就学率


 次に、朝鮮総督府の用意したメニューである普通学校に適齢期児童のどれくらいが通ったのか見てみましょう。

 ところが実を言うと、朝鮮総督府という役所は正確な就学率を把握していませんでした。
朝鮮人学齢人口については『統計年報』に記載がないばかりでなく、総督府学務局が出した調査文書などにも実数は提示されておらず、「推定学齢人口」として朝鮮人全人口に一定の数値をかけて計算したものとなっている。例えば、総督府学務局『朝鮮人学齢児童就学ノ状況(併合年ヨリ昭和九年迄)』では、「推定学齢児童数ハ人口ノ一割三分五厘ヲ以テ計上ス」となっている。又、一九三三年より総督府学務課長の職にあった大野謙一の『朝鮮教育問題管見』(一九三六年)には次のような記述がある。
朝鮮に於いては、学齢児童数の推定に当り、従来総人口の千分の百三十五を以て算出しておったのでありま(すが──引用者)──最近大正十四年及び昭和五年に於ける、国勢調査の年齢別統計に基づき勘案致しますると、従来の千分の百三十五は見積もり過小に失し、少なくとも千分の百六十を以て推定率と為すを至当と認められます──。
即ち、学務局でも全国の朝鮮人児童の実数を把握しておらず推定しているのみでその推定値として使用した人口比率値も一九三六年時に、六年から十一年前の国勢調査の数値により修正されなければならないとしているような、杜撰なものであったことがわかる。
古川宣子 『植民地期朝鮮における初等教育』  日本史研究会 「日本史研究」 第370号(1993年6月)、P34-35

 そこで、近年デジタル化され入手が格段に容易になった統計を使って推定してみる事にします。

 右図は、普通学校普通科と書堂の生徒数推移です。
 1930年は国勢調査の数字があるので、この年の就学率を試算する事にします。
 といっても義務教育がない以上学齢の公式定義もありませんが、ここでは日本人とほぼ同等に7-12歳と仮置きします。すると学齢期児童数は2,859,832人となります。

 この年、朝鮮人向け初等学校である普通学校普通科(原則6年制)の生徒は490,001人です。書堂は私塾なので学校には含めません。
※ 書堂規則を制定して総督府が統制の手を伸ばすのは1918年です。これ以前は統計漏れの存在を想定したほうがよいかと思います。

 すると、1930年の朝鮮人の普通学校就学率は17.1%と算定できます。

   上に挙げた1993年の古川論文でも、諸々のデータから植民地期をほぼ通した就学率を推算しています。これをグラフにしたのが左図です。生徒数推移とも形が合います。

 併合最初の10年は就学率1ケタ台前半、そこからアクセルを踏んでようやく1割台半ばでした。上のグラフの形とも整合します。
 1930年の普通学校就学率は15.9%ですが、上記の国勢調査からの試算とも良く整合する水準であることがわかります。

 1930年代前半からようやくコンスタントに改善し始めますが、上述のように1938年の制度改正からほどなく朝鮮語科目が公立学校から消えてしまったので、これ以降(グラフの黒い折れ線部分)はいくら就学率が上がってもハングル識字率向上に寄与したとは認められません。