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伊藤忠商事(株)【8001】の掲示板 2022/05/04〜2022/06/04

>>558

<船場と伊藤忠>
船場についての紹介記事がありましたので下記紹介 伊藤忠 丸紅の発祥についての記載もあり 大変面白い記事だと思います 
(栄光綜合法律事務所 弁護士のエッセイより 一部省略)

船場には近隣各地から商人が進出してきましたが、いわゆる「近江商人」もその一部を占めます。
1810年(文化7)、本町通に近江五個荘出身の外村(とのむら)与左衛門が呉服織物問屋を開店し、同年、同じ本町通に稲西屋が開店、近江八幡の西川仁右衛門も彼らに続き、次々に本町通に軒を連ねるようになりました。呉服の扱いが多かったようです。

1871年(明治4)に小泉重助、1872に伊藤忠兵衛、1874年(明治7)に市田弥三郎、阿部市郎兵衛、翌1875年に外村与兵衛がそれぞれ大阪に店を出しています。
明治時代、近江商人は大阪で大きな存在感をもち、大阪の繊維業界を席巻しました。 

伊藤忠商事・丸紅
1872年(明治5)、初代伊藤忠兵衛が本町2丁目の本町通に呉服太物商(近江麻布)、「紅忠(べんちょう)」を開業しました。
呉服問屋といえばそれまで伏見町でしたが、忠兵衛は御堂さんに近く地価も安い本町に本拠を置きました。開店と同時に店法を定め、会議制度の導入や高等教育を受けた学卒社員の採用、保険制度の導入といった画期的な試みを次々と実施し、旧弊な商慣習を色濃く残す船場商人を驚かせました。

1874年(明治6)、「伊藤本店」と改称。京都に染呉服卸問屋「伊藤商店」、大阪に羅紗輸入の「伊藤西店」、綿糸卸商「伊藤糸店」などを開店、1908年(明治41)、2代目忠兵衛のとき、多角化した店を伊藤忠兵衛本部に統合、1918年(大正7)には、内地織物を扱う「伊藤忠商店」(本店・京都店)と貿易を扱う「伊藤忠商事」を設立するに至ります

1921年(大正10)、貿易部門と海外店を分離独立させ「大同貿易」を設立。伊藤忠商店は本家の伊藤長兵衛商店を合併して「丸紅商店」としました。

1941年(昭和16)、戦争が進み、企業統合が強制され、丸紅商店、伊藤忠商事、鉄鋼商社の岸本商店が合併し、「三興」となり、1944年(昭和19さらに呉羽紡績などを合わせて「大建産業」になりました。

戦後これが解体され、「丸紅」、「伊藤忠商事」、「呉羽紡績」などが分立することになります。