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(株)サクラダ【5917】の掲示板

「前後ありといへども、前後際断せり 」
について。


仏教は一如の法門でして、そもそも主客という概念はない。
ゆえに、主客対立に依りてもたらされる「変化」そのものは、ありようがない。
(変化とは、主客における対立そのものだから)

主客がそもそも無いのであれば、西洋哲学的論理において、理論体系は無理なのだ。
(ここのところが非常に大事)

こういったことを念頭に、正法眼蔵を解釈していかねばならない。
というか、
ここが分からんと、そもそも正法眼蔵解釈は無理なのだ。
観念論とは違うから、。
あくまでも一如の法門であることを前提とせねばならない。