投稿一覧に戻る (株)サクラダ【5917】の掲示板 22947 rokku_de_go 2018年5月1日 06:33 >インド哲学はパラドックを秘めている、。 先ず言語学や論理学から話を進めてみようかと思います。 ①去るものは、去ることはない。 ②来るものは、来ることはない。 言語は二面性があって、相反する概念において成り立つ。 (去ることは、来るという概念において成り立つ) ①去るものは、既に去っているから、二度去ることはありえない。 ②来るものは、既に来ているのだから、二度来ることはありえない。 ①去るものは、既に現時において去っているから去ってはいない。 ②来るものは、既に現時において来るものだから来るわけはない。 説明方法はいろいろあって、どれが正解、という訳ではない。 ただ言語においての、その成り立ちだけ把握すれば、論点の主旨はつかめる。 過去・現時・未来、における思考の特徴だけ把握すれば、 ニーチェとか、解釈する切っ掛けにはなるかと。 ではまた、このつづきはまた後で。 返信する そう思う1 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する 証券取引等監視委員会に情報提供する ツイート 投稿一覧に戻る
rokku_de_go 2018年5月1日 06:33
>インド哲学はパラドックを秘めている、。
先ず言語学や論理学から話を進めてみようかと思います。
①去るものは、去ることはない。
②来るものは、来ることはない。
言語は二面性があって、相反する概念において成り立つ。
(去ることは、来るという概念において成り立つ)
①去るものは、既に去っているから、二度去ることはありえない。
②来るものは、既に来ているのだから、二度来ることはありえない。
①去るものは、既に現時において去っているから去ってはいない。
②来るものは、既に現時において来るものだから来るわけはない。
説明方法はいろいろあって、どれが正解、という訳ではない。
ただ言語においての、その成り立ちだけ把握すれば、論点の主旨はつかめる。
過去・現時・未来、における思考の特徴だけ把握すれば、
ニーチェとか、解釈する切っ掛けにはなるかと。
ではまた、このつづきはまた後で。