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NEXT NOTES 韓国KOSPI・ベアETN【2034】の掲示板 2019/11/01〜2020/01/10

おまけ:「日本(人)がハングルを広めた」という信仰について


 総督府がハングルの綴字法をなにがしか3回ほど規定したのは事実ですが、異民族の統治者だったから作らないと自分が理解できない→使えない→困る、というだけの話で、これでは全く面白くもなんともありません。
 しかも、それが普及したか、人様の役に立ったかどうか問題にせねばならず、一筋縄ではいかないのです。1回目の綴字法なぞ普通学校用に作ったのに教科書にすらろくに反映されていなかったそうですから(後述の三ツ井論文参照)、思わぬ落とし穴が開いています。
 日本語の文部省式ローマ字を思い出します。実用になっているのは圧倒的にヘボン式です。ウソだと思ったら「知人が小腸を手術した」って文部省式ローマ字で書いて外国人100人に読ませてみるべし。「てぃずぃんがすょーてょーをすゅずゅとぅすぃた」って読まれるのがオチでしょう。規定したから広まった、実用になったとは言えない身近な事例ですね。

 私が目にした限りの情報では、どうも総督府製綴字法の1回目(1912年)、2回目ともに世間で使われている綴字法と一致度が低く、3回目の1930年は在野の民族団体である朝鮮語研究会(のちの朝鮮語学会)に全面的に依存したようです。更に、現在の綴字法の基礎はその後の1933年に朝鮮語学会が発表したもの。
  専門家の見解(アウトラインですが)→論文審査要旨:三ツ井崇「植民地下朝鮮における言語支配の構造:朝鮮語規範化問題を中心に」

 「日本人が初めて朝鮮語の辞書を作った」と信仰している人も居るようですが、それって1920年に総督府が出した朝鮮語辞典の事ですかね? リンク先の実物を見れば一目瞭然、これは朝日(ちょう・にち)辞典であって、国語辞典の朝鮮語版じゃないですね。閲覧の手間を省くため、右に画像を貼りつけておきましょう。
 朝鮮語学会が編纂し、総督府に原稿を押収されながらも解放後回収して1947年出版した朝鮮語大辞典というのがありますが、これ以前に出版された本格的朝鮮語国語辞典があったら見せて欲しいな? そういえばイエズス会が編んだ日葡辞書より古い日本人自前の日本語辞書ってあるんだっけ?

 更にとどめを刺しておきます。
 外国語辞書としても、総督府の朝鮮語辞典は先駆者ではありません。
 これに先立つこと40年前、ハングルを用いた朝鮮語-フランス語辞書 『韓仏字典』 (装丁カラー画像) (内容画像) が1880年に出版されています。
 出版したのはフランスの朝鮮宣教師会 (Les missionnaires de Corée) 、印刷は横浜の Echo du Japon 印刷所だった、と朝鮮総督府図書館の雑誌 『文献報国』 1941年12月号に記されています。
 朝鮮からの正式な日本留学生第一号、兪吉濬が慶応義塾に来る前年のことです。



「釈譜詳節 19」の1ページ
(ハングル博物館画像より)
 ハングルという呼称の誕生は日本統治時代だ、といろんな所に書いてありますが、ハングルと名づけたのは周時経という韓国の学者さんだということで(李善英『植民地朝鮮における言語政策とナショナリズム』 2012年、P149 ほか)、総督府関係ないですね。2つ上の画像の通り、総督府の辞書に「ハングル」の文字は無かったようです。

 もっと痛いのになると、ハングルは15世紀の制定からほどなくして李氏朝鮮が一度捨てたのを日本が復活させたとか、漢字ハングル混合文は福沢諭吉が発明したとかいう大法螺までが巷を流通し信仰を集めていると風の便りに聞きましたが、捨てられていたはずの長い期間に少なくともこれだけのハングル文献が残されているし、左画像の如く既に15世紀には漢字ハングル混合文が登場しているしで、こんなすぐにわかるつまらないウソをついて何の得になるのか全く理解に苦しみます。
 福沢諭吉は、朝鮮の指導層が漢文一辺倒をやめハングルを使うよう背中を押しはしました。目的はハングル自体の普及ではなく、ハングルは読めるが漢文を解さない下層階級にも文物の情報を広く伝える事でした。しかし、実際に先例などを調査研究し、読みやすい文体を確立したのは、福沢門下の井上角五郎が教授を頼んだ朝鮮人儒学者にして朝鮮語学者の姜瑋でした。
 そして、それを官報である漢城周報に採用するには、井上の熱意のみならず、金允植から国王・高宗への働きかけ等、幾重もの努力がありました。特定の突出した人物が全てを成したのではありません(稲葉継雄『井上角五郎と『漢城旬報』『漢城周報』 : ハングル採用問題を中心に』参照)。
 ハングルを読めない外国人ヒーローが独りで新たな書法を発明、民衆に文字を教えて広く普及させたのとは全く話が違いますね。