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NEXT NOTES 韓国KOSPI・ベアETN【2034】の掲示板 2019/11/01〜2020/01/10

務教育メニューを用意しないなら、学校の教育内容を揃える必然性もありません。なのに私立各種学校に対し、学校査察までして職員の言動に神経を尖らせ、学校が減るのを心配するどころか逆に「学校の整理」に常に留意し、日本語を授業させる事にばかり関心が向いていた事がわかります。総督府は民心操縦のためなら教育の普及すら犠牲にした、と言われても仕方のない所業です。

 1922年の改正で、民族ではなく常用言語で学校を分ける建前になります(ほぼ同じ事ですが)。同時に、普通学校も4年制から6年制が原則になります。ただし原則は原則で、実際には1930年代に入ってもなお7~8割が4年制だったという指摘が総督府の資料に引用されています(朝鮮総督府警務局『朝鮮に於ける同盟休校の考察』1933年、P65)。
 この体制の末期、小学校(日本人向け)と普通学校(朝鮮人向け)に、どのようにリソースが配分されていたかを示すのが右の表です。
 一人あたり経費半分以下。朝鮮の子供達にはお金をかけなかったのが露骨に判ります。

 1938年の改正で、師範学校以外はすべて日本内地の学校制度にならうものとなりました。
 一見平等になったように見えますが、朝鮮民族固有の事情、言語を無視するという事でもあります。朝鮮語は任意科目となりましたが、朝鮮総督府施政年報を年度を追って見ていくと、1939年度まで設定のあった朝鮮語の教科書がその翌年には無くなっています。教科書がなければ授業もできません。この頃吹き荒れた国語(→日本語)常用運動に連なる流れの中で朝鮮語の授業がなくなっていった表われの一つでしょう。
 先生が授業で使う言語も日本語となり、『小学校などでは、日本語が下手な朝鮮人教師が、日本語がよくできる生徒に日本語で授業をするというような滑稽な事態があちこちで見られるようになった』 (趙景達「植民地朝鮮と日本」、P187) という事態を引き起こします。


低すぎる就学率


 次に、朝鮮総督府の用意したメニューである普通学校に適齢期児童のどれくらいが通ったのか見てみましょう。

 ところが実を言うと、朝鮮総督府という役所は正確な就学率を把握していませんでした。
朝鮮人学齢人口については『統計年報』に記載がないばかりでなく、総督府学務局が出した調査文書などにも実数は提示されておらず、「推定学齢人口」として朝鮮人全人口に一定の数値をかけて計算したものとなっている。例えば、総督府学務局『朝鮮人学齢児童就学ノ状況(併合年ヨリ昭和九年迄)』では、「推定学齢児童数ハ人口ノ一割三分五厘ヲ以テ計上ス」となっている。又、一九三三年より総督府学務課長の職にあった大野謙一の『朝鮮教育問題管見』(一九三六年)には次のような記述がある。
朝鮮に於いては、学齢児童数の推定に当り、従来総人口の千分の百三十五を以て算出しておったのでありま(すが──引用者)──最近大正十四年及び昭和五年に於ける、国勢調査の年齢別統計に基づき勘案致しますると、従来の千分の百三十五は見積もり過小に失し、少なくとも千分の百六十を以て推定率と為すを至当と認められます──。
即ち、学務局でも全国の朝鮮人児童の実数を把握しておらず推定しているのみでその推定値として使用した人口比率値も一九三六年時に、六年から十一年前の国勢調査の数値により修正されなければならないとしているような、杜撰なものであったことがわかる。
古川宣子 『植民地期朝鮮における初等教育』  日本史研究会 「日本史研究」 第370号(1993年6月)、P34-35

 そこで、近年デジタル化され入手が格段に容易になった統計を使って推定してみる事にします。