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猫に札束
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猫に札束の掲示板

羽生結弦

平昌五輪
男子フリーが行われ、羽生結弦がディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。
冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。
宇野昌磨は202・73点、合計306・90点で銀メダル。

右足首をさすり、氷を3度叩いた。
ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。
本当に右足が頑張ってくれた。
連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。

「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。
挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。
跳びたいとか跳びたくないとかいう以前に、何より『勝ちたい』だった。
勝たないと意味がないので、この試合は。
これからの人生でずっとつきまとう結果。
本当に大事に、大事に結果を取りにいった。
作戦は奏功した。
映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。
ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、この日は8本のジャンプすべてを着氷。
最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた右足でこらえ
「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、今回は何より自分に勝てた」
故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。

昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。
この1か月は痛み止めを服用しながらギリギリの調整を続けていた。
韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。
戦いを終え、口にした。
「本当に大変だったので。思ったよりも」
最初の診断は靱帯損傷。
1か月後には腱と骨にも炎症があることが発覚した。
氷上へ戻ったのは年明けだった。
最初の日はスケート靴を履いて氷の上に立っただけ。
翌日は軽く滑っただけ。
もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。

2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。
スケート靴のまま、泣きながらはって外に逃げた。
自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。
リンクが復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。
「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」
たくさんの応援に触れた。
だから自身のスケートはいつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。

猫に札束 羽生結弦  平昌五輪 男子フリーが行われ、羽生結弦がディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。 冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。 宇野昌磨は202・73点、合計306・90点で銀メダル。  右足首をさすり、氷を3度叩いた。 ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。 本当に右足が頑張ってくれた。 連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。  「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。 挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。 跳びたいとか跳びたくないとかいう以前に、何より『勝ちたい』だった。 勝たないと意味がないので、この試合は。 これからの人生でずっとつきまとう結果。 本当に大事に、大事に結果を取りにいった。 作戦は奏功した。 映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。 ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、この日は8本のジャンプすべてを着氷。 最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた右足でこらえ 「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、今回は何より自分に勝てた」 故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。  昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。 この1か月は痛み止めを服用しながらギリギリの調整を続けていた。 韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。 戦いを終え、口にした。 「本当に大変だったので。思ったよりも」 最初の診断は靱帯損傷。 1か月後には腱と骨にも炎症があることが発覚した。 氷上へ戻ったのは年明けだった。 最初の日はスケート靴を履いて氷の上に立っただけ。 翌日は軽く滑っただけ。 もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。  2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。 スケート靴のまま、泣きながらはって外に逃げた。 自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。 リンクが復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。 「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」 たくさんの応援に触れた。 だから自身のスケートはいつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。