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株式と投信の両方で生き残るの掲示板

>>1345

遼さんおはようございます

>義経との争いは単純にスタンダート戦術と常識破りの戦法の対立、
>ということだと思います。結局嵐の中、屋島に向かってますね

戦の勝敗は結果論ですしね。
勝つためにゲリラ戦を強いていても勝つか負けるかは終わって見ないとわかりませんし(笑)

従軍していた当事者としては色々な思惑は有ったでしょうね。

しかし景時のこの時の報告が頼朝の義経感に繋がっているとは思います。

場合によっては規律を守らず単独で行動する男という見方をするようになったと思いますね。

その後平家を倒してからも後白河法皇から判官の位を授かっています。
武家政権の統領を目指す頼朝にとっては部下に位を授けるのも自分の裁量の筈でしたし。

そこらあたりで頼朝は義経の扱いには戸惑ったでしょうね。

【狡兎死して走狗烹らる】
という諺が史記に有りますが

義経と比較するのが楚漢戦争の折の韓信ですね。

韓信は明らかに劉邦から疎まれて自分亡き後韓信が武力で漢を倒すかも知れないという危惧は抱いたいたと思います。

でも義経は頼朝がもっとよく話し合っていればあのような悲惨なことにはなっていなかったと思いますね。

少なくとも義経には源氏の世を乱すつもりは無かったと。
戦後一度も話し合いの機会も弁解の場も設けなかった。

その辺り頼朝にはやはり義経に対する扱いが悪かったと思います。

そこの部分を今回のドラマでどう描くか?見ものですね(笑)

  • >>1352

    > しかし景時のこの時の報告が頼朝の義経感に繋がっているとは思います。
    >
    > 場合によっては規律を守らず単独で行動する男
    >という見方をするようになったと思いますね。
    >
    > その後平家を倒してからも後白河法皇から判官の位を授かっています。
    > 武家政権の統領を目指す頼朝にとっては部下に位を授けるのも
    > 自分の裁量の筈でしたし。

    景時はドラマでも義経の問題行動を、早くも報告してますね(笑)
    あれは多分創作だと思いますが、景時には「讒言癖」があって、
    これが後の失脚の一因になったようです。

    > 【狡兎死して走狗烹らる】
    > という諺が史記に有りますが
    >
    > 義経と比較するのが楚漢戦争の折の韓信ですね。
    >
    > 韓信は明らかに劉邦から疎まれて自分亡き後韓信が武力で漢を倒すかも知れない>という危惧は抱いたいたと思います。

    「軍事的才能の持ち主が、敵が居なくなって価値が下がる」
    というのはよくあるパターンですね。全国統一後の黒田官兵衛とか。

    明智光秀も「今後は自分のような、大きすぎる道具は要らなくなる」
    という言葉が司馬先生の小説の中にあったと記憶します。(国盗り物語)

    > でも義経は頼朝がもっとよく話し合っていればあのような悲惨なことにはなっていなかったと思いますね。
    >
    > 少なくとも義経には源氏の世を乱すつもりは無かったと。
    > 戦後一度も話し合いの機会も弁解の場も設けなかった。

    頼朝を演じた中井貴一が、「あの時代に携帯があったらね」と
    右手で電話の形を作りながらコメントしてました(笑)

    ただ兄弟というのは、ああいう階層だと本質的に「敵」の要素があって、
    歴史上の悲劇は枚挙にいとまが無いですね。

  • >>1352

    > その辺り頼朝にはやはり義経に対する扱いが悪かったと思います。
    >
    > そこの部分を今回のドラマでどう描くか?見ものですね(笑)

    今回の描かれ方だと、あれはもう「粛清されて当然」という感じですね(笑)
    ネットでは「サイコパス義経」というコメントも出てるそうです。

    以前コメントした「獲物の兎をめぐる汚い策略」、
    その後の「兄弟を陥れる詐術」、「平泉と鎌倉を比較してのKYコメント」など、
    あれはちょっとリミットを超えてる感じです。

    三谷氏の義経像という物が彼の頭の中にあり、
    これを説明するためのエピソードを勝手に創作してる感じですね。
    「ドラマや小説とはそういう物だ」と言えばそれまでですが、
    あれを史実だと受け取る人達も多いと思います。