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株式と投信の両方で生き残るの掲示板

>>1341

Haydéeさん、こんばんは^^

> 頼朝を助けた時からしていかにも恩を売る辺り景時は癖のある人物ですし、
> 義経もその辺り嫌っていて景時の言うことを無視して
> 単独行動をしたんですかね?

頼朝を見逃した時の景時が、ドラマではまったく無表情でそれが不気味、
という描き方でした(笑)

中村獅童は舞台で見たことがあります。
徳川信康の役で、父家康は平幹二朗でした。
獅童さんも名優ですね。2004年の新選組に出てました。
あの時の役者が数多く出てますね。

要は頼朝側が優勢になった時に備えて保険を掛けていた、
ということだと思います。したたかな人物ですね。

義経との争いは単純にスタンダート戦術と常識破りの戦法の対立、
ということだと思います。結局嵐の中、屋島に向かってますね。

  • >>1345

    前回の義経はとんでもない卑怯なやり方で相手を殺してましたね(笑)
    あれがホントだと「判官びいき」なんか誰も居なくなりますね。

    ただ壇ノ浦の戦いでは禁じ手である漕ぎ手を狙ってるので、
    平家方はあれに近い衝撃を受けたのかもしれません。
    これがベースになった創作だと思います。

  • >>1345

    遼さんおはようございます

    >義経との争いは単純にスタンダート戦術と常識破りの戦法の対立、
    >ということだと思います。結局嵐の中、屋島に向かってますね

    戦の勝敗は結果論ですしね。
    勝つためにゲリラ戦を強いていても勝つか負けるかは終わって見ないとわかりませんし(笑)

    従軍していた当事者としては色々な思惑は有ったでしょうね。

    しかし景時のこの時の報告が頼朝の義経感に繋がっているとは思います。

    場合によっては規律を守らず単独で行動する男という見方をするようになったと思いますね。

    その後平家を倒してからも後白河法皇から判官の位を授かっています。
    武家政権の統領を目指す頼朝にとっては部下に位を授けるのも自分の裁量の筈でしたし。

    そこらあたりで頼朝は義経の扱いには戸惑ったでしょうね。

    【狡兎死して走狗烹らる】
    という諺が史記に有りますが

    義経と比較するのが楚漢戦争の折の韓信ですね。

    韓信は明らかに劉邦から疎まれて自分亡き後韓信が武力で漢を倒すかも知れないという危惧は抱いたいたと思います。

    でも義経は頼朝がもっとよく話し合っていればあのような悲惨なことにはなっていなかったと思いますね。

    少なくとも義経には源氏の世を乱すつもりは無かったと。
    戦後一度も話し合いの機会も弁解の場も設けなかった。

    その辺り頼朝にはやはり義経に対する扱いが悪かったと思います。

    そこの部分を今回のドラマでどう描くか?見ものですね(笑)