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やさしい株の談話室の掲示板

台風が和歌山県の潮岬付近に上陸したみたいだ。これから、近畿地方を抜けるみたいだから、lalaさん、ksさん、気を付けて下さいね。今後、鉄道や商業施設などが、運休・休業を決めているみたいだ。お盆の帰省・Uターン、そして旅行で移動している人は、大変な一日になりそうだねえ。大きな被害が出ないことを祈るだけだ。

昨日は、お盆の2日目。その中でびっくりしたのは・・・・朝の9時半、来客があった。朝早くから誰かなあ~と思ってた。まず最初に一番下の妹が玄関に出て、来客者を招き入れた(近所の人かな~と思ったらしい)その後、母親が出て、招き入れる。それから私が顔を出すと、母親がこそっと「あんたの友達?」と聞く。「いいんや」と言って、なんか3人で「誰かな・・・?」という顔で、来客者が線香をたてて手を合わせているのを見ていた。

その横顔を見て、私が大きな声で「あ!あっこ姉ちゃん」と叫んでしまった。なんと、何十年ぶりの再会だった。あっこ姉ちゃんというのは、私たちが学生だった頃(私が高校生)家に手伝いに来ていたお姉ちゃんだった。両親が商売で忙しかったので、その当時、住み込みでお手伝いに来てくれていたわけだ。そのあっこ姉ちゃんとの再会だった。そして私が話をしていると、「あの~、お母さんは?」と聞く。一緒だれのことを言っているのかと思った。母親は横に座っていたので、「ここにいるよ」というと、心底びっくりしていた。なんと母親を私達の3姉妹の一人と思って、母親はもっと歳をとっているだろうと思ったんだって。相当、母親を若く見たわけだ。

それから、懐かしい話で盛り上がった。ほんとこのあっこ姉ちゃんにはお世話になった。食事の準備からその当時の公衆浴場の手伝いとか、一緒に生活していたので、家族同然の関係だった。結婚して(その結婚式には両親が出た)埼玉県に旦那さんの関係で移り住んだわけだ。だから、それからぞっと会ってなかった。母親とは年賀状の付き合いだけはしていたらしい。今年の年賀状で「喪中」を知って、埼玉から来たと言っていた。旦那さんも一緒だったから、ゆっくり昔の話をすることができた。ほんと懐かしかったなあ。

一つ思ったことがあった。「喪中を知らせる年賀はがき」というのは、それなりに大事なんだなあと。母親が喪中を知らせていたから、こんな風に深い縁がある人が訪ねてきてくれたわけだ。有難い話だなあ~としみじみ思った。

さて、今日はお盆最後の日。今日あたりは、そんなに来客者はいないだろうと思っている。

  • >>1783

    ご無沙汰ばかりですのに、思い立ったらこうして、ちゃっかり登場してしまう非礼をお許しくださいませ。
    何かと時にかなって、お声がけをしていただいていますことも嬉しく、その度に一言でも、添えようかしら、と思うものの、、、
    ララさんの台風の進路へのご配慮嬉しく(台風の進路の東側が要注意となると日本海に出た後は、もろこちらを直撃しますが、その時には少しは勢力が弱まっているのでは、と安易に予測。特に準備も始めていません。)さらに、ksさんの変わらずご家族へのご奉仕ぶりがまぶしくて、怠惰な時間を重ねている私には耳が痛いです。
    そして、今朝のけいさんのお話、感じ入りました。
    半世紀くらいを経て、かつての旧交を忘れられず、初盆にお出ましなさった家族同様のお方。おかあさまを姉妹の一人に加えてしまわれたなんて、おかあさまのお元気維持のために本当に素敵!これが、おとうさまの初盆のお参りのためではなくて、お父さまご自身がお会い出来たらどんなにお慶びかと。
    でもそのおとうさまの喪中欠礼ハガキが結んでくれた絆再興、ですものね。やはり、お盆のご縁かとも思います。近頃こんな情に厚い話を聞いたことがありません。他人事なのにとっても胸が弾みました。けいさんご一家がどんなに人を大切にされる立派なご家庭かということを、あらためて思い知った次第です。

    長くなりました。私のことも少しだけお話しておきます。台風の心配もあり、昨日中に、三か所の墓参を終えました。5月6日に四十九日のところ、10日ほど先取りして形だけの法事が行われ、その日に納骨されました。このお話をここでしたかどうか記憶が曖昧ですが、長兄享年78歳のことです。70歳まで東京駅八重洲口に小さな商社を経営していましたが、両親の眠る場所の近くで余生は過ごしたいと、マンションを購入、夫婦二人で拙宅から1キロほど離れたところに住んでいました。優しい兄で、一度も怒りを表したのを見たことがありませんが、熟年離婚のあとの、今の奥さんは、私には不可解なあまりお付き合いしたくないタイプの人でした。それでも兄とは多少の行き来もして、まさか、桜もそろそろか、という春のある日の久しぶりの電話が、訃報になるとは思ってもみませんでした。幸い、兄の眠るところは両親のみが眠っている大きな静かなお寺の一角です。やっといつでも、兄に話に行くことができるようになったわけです。初盆というのに、特にそれを意識する案内もなく、お経ひとつあげられない、罰当たりの感がどうしてもしてしまう・・・墓参に同行した家人が、いくら嫁に行った身だといっても、だれも何もしないのなら、自分がお寺にお願いして、自分の気の住むようにおにいさんのために法要を営んで差し上げたらいいのでは?来月のお彼岸にでも、と言ってくれました。ちょっと目の前が明るくなった心地です。
    ・・・とこんな情けない話を朝から申し訳ございません。

    皆さまのお声がけをいつも感謝しております。また登場させてください。
    台風の影響があまりありませんように。