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やさしい株の談話室の掲示板

>>1783

ご無沙汰ばかりですのに、思い立ったらこうして、ちゃっかり登場してしまう非礼をお許しくださいませ。
何かと時にかなって、お声がけをしていただいていますことも嬉しく、その度に一言でも、添えようかしら、と思うものの、、、
ララさんの台風の進路へのご配慮嬉しく(台風の進路の東側が要注意となると日本海に出た後は、もろこちらを直撃しますが、その時には少しは勢力が弱まっているのでは、と安易に予測。特に準備も始めていません。)さらに、ksさんの変わらずご家族へのご奉仕ぶりがまぶしくて、怠惰な時間を重ねている私には耳が痛いです。
そして、今朝のけいさんのお話、感じ入りました。
半世紀くらいを経て、かつての旧交を忘れられず、初盆にお出ましなさった家族同様のお方。おかあさまを姉妹の一人に加えてしまわれたなんて、おかあさまのお元気維持のために本当に素敵!これが、おとうさまの初盆のお参りのためではなくて、お父さまご自身がお会い出来たらどんなにお慶びかと。
でもそのおとうさまの喪中欠礼ハガキが結んでくれた絆再興、ですものね。やはり、お盆のご縁かとも思います。近頃こんな情に厚い話を聞いたことがありません。他人事なのにとっても胸が弾みました。けいさんご一家がどんなに人を大切にされる立派なご家庭かということを、あらためて思い知った次第です。

長くなりました。私のことも少しだけお話しておきます。台風の心配もあり、昨日中に、三か所の墓参を終えました。5月6日に四十九日のところ、10日ほど先取りして形だけの法事が行われ、その日に納骨されました。このお話をここでしたかどうか記憶が曖昧ですが、長兄享年78歳のことです。70歳まで東京駅八重洲口に小さな商社を経営していましたが、両親の眠る場所の近くで余生は過ごしたいと、マンションを購入、夫婦二人で拙宅から1キロほど離れたところに住んでいました。優しい兄で、一度も怒りを表したのを見たことがありませんが、熟年離婚のあとの、今の奥さんは、私には不可解なあまりお付き合いしたくないタイプの人でした。それでも兄とは多少の行き来もして、まさか、桜もそろそろか、という春のある日の久しぶりの電話が、訃報になるとは思ってもみませんでした。幸い、兄の眠るところは両親のみが眠っている大きな静かなお寺の一角です。やっといつでも、兄に話に行くことができるようになったわけです。初盆というのに、特にそれを意識する案内もなく、お経ひとつあげられない、罰当たりの感がどうしてもしてしまう・・・墓参に同行した家人が、いくら嫁に行った身だといっても、だれも何もしないのなら、自分がお寺にお願いして、自分の気の住むようにおにいさんのために法要を営んで差し上げたらいいのでは?来月のお彼岸にでも、と言ってくれました。ちょっと目の前が明るくなった心地です。
・・・とこんな情けない話を朝から申し訳ございません。

皆さまのお声がけをいつも感謝しております。また登場させてください。
台風の影響があまりありませんように。