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投稿コメント一覧 (35コメント)

  • ksさん、
    昨夜の思いがけない地震の影響が少ないことを念じております。
    地理勘に疎いだけでなく、そもそも、お住まいのところについて、しかとした記憶がございませんので、案じているだけで、いたしかたなく、、、
    お小さい方からご高齢のお方までご一緒にお住いのすばらしい環境下にあって、恐らく、お互いに励ましあって大事なくお過ごしであろうと、再度、お見舞いかたがたお伺いまで。くれぐれもご自愛くださいませ。何事もありませんように!

  • >>No. 2743

    コインランドリー、未踏の地です。
    歩いても2分くらいのところに10年位前からあります。そこはかつて、古書店だったので、その時は週に2,3回はぶらり、と入っていました。
    コインランドリーに入っても使い方などわからなくて右往左往する私でしょう。
    自宅では、この20年以上、ドラム式を使っていますが、コインランドリーもよく似たものかしら?
    梅雨時と真冬はドラム式に依存しています。
    それ以外は、ドラム式の乾燥機の直前まで、脱水?の設定で、外で(屋根付きなので雨天もOK)干すようにはしています。

    先日、ママ友4名で5年以上ぶりに集まりました。一人は半年前に未亡人になられたばかりでしたが、お元気そうでほっとしました。年金のこと、どこそこの胃カメラや大腸カメラが上手、下手など私たちの年代に相応しい話題もありましたが、やはり、これからの時間をどのように過ごしたらいいのか、について熱心な言葉のやりとりをいたしました。
    未亡人になりたての方は、ご主人は退職公務員で、家業が呉服屋さん。だいぶ前に鬼籍に入られた義母さんと彼女とが商売の担い手でした。義父さんは、信用金庫だったかを定年退職されて、幼稚園のクリスマス会にはサンタ役でご協力いただいた・・・脳系の病気でお倒れの後、当時(20年以上前)は、退院後は自宅介護でしたね。ママ友ご夫婦のために離れが建ててあり、ご主人亡き後、その30坪の離れを売ることができた、と喜んでいらっしゃった。嫁入り5点セットの家具がほぼ新しいままあったのも全部つぶした形で売られていった、商売の呉服の反物は少しのお金には代えられた、との話題をみんなしてよかった、よかった、身軽になれて、と拍手喝采でした。
    嫁入り道具、布団に総桐たんす、家具5点セット、どの引き出しにも詰まっていた和服の数々、、、私の世代では、当たり前のことでした。次代の者が喜びはしませんので、出来たら私の手で整理、それがかなわないときは、業者に家と一緒に一掃してもらう、ってことになるのでしょう。
    嫁入り道具の中でずっと実用として役立っているのは、カリモクのソファ、テーブルとの6点セット、ソファベッドも持ってきましたが、ずいぶん役立ちました。
    今も現役です。捨てるには惜しいのですが、ムスコたちはきっと、絶対、喜びませんから潔く、捨ててしまわないと、と決心しています。

  • >>No. 2686

    記者会見は見ませんでした。
    今までの経緯は特に知りたくはないのですが、大谷選手の今と今後を心配してしまいます。ネットニュースで、警察に委ねたいと大谷選手自身が話しているのを読み、何ら落ち度もやましい点もないこの「日本だけでなく世界の希望の星」の大選手が、早く憂えなくバットを手にして活躍する「日常」が戻ってほしい、と切に願います。この事件が大谷選手に与えた精神的なダメージは、圭さんの仰るように軽々しく口にできない ということです。
    心配するも、話題にできない。

  • おはようございます。
    女子会の中の会話のように、お三方から、暖かいお声を寄せていただいて、感じ入っております。
    コロナ以来の人間不信でもないですが、人混み恐怖症❓からなかなか脱却が叶わず、その前に生来の出不精も重なって、どなたかに会いに出かけることが全くありませんでした。
    ただ、細々と続けている仕事が徒歩15分くらいのところに立地していることと、何かご縁があるのか、この数年くらいクビにもならずに、続けられていること、しかも働いているなんて自分から言えないくらいのわずかな時間しか拘束がありません。45分授業が2単位、それを週2日午前のみです。公立高校の非常勤講師の時給は2810円で、この二十年くらいかわっていないようです。
    私は週4時間という勘定(あまり本気で勘定したことは今までなし)で、年間8か月くらいが実労働でしょうか。所得税は申告すると戻ってくるので、一応源泉表は、申告の際にどこかに添付したような記憶。わずかな収入よりも、社会参加による刺激の方がずっと得るものが大きいのです。
    2024年度も同じ条件で依頼がありました。
    四月を待っての教科会議で、新しい教科書をもらい、時間割と担当クラスが決まります。やるきまるでなしよ、と自虐してきた私ですが、こうして活動できることがどんなに嬉しいかを思うにつけ、話すときは、何のために何を言いたくて言葉を口にするのか前もって考えてから言おう、と前向き姿勢を余儀なくされています。
    それは、ここでの会話(書き込み)にも通じることですね。勝手に思いのまま書きまくるのではなく、今日はこの思いを伝えたくて、とか、このことでどなたかに助言を求めたい、とか、書こうとすることの意図を明確にしないと、と思うものです。
    ダラダラ書くだけの私には相当ハードルが高いことですが、ウオーキングや散歩など外でできる挑戦は、もっとはるか彼方にある感がしますので、とりあえずは、ちょっとでも考えを整理してからお示しする姿勢を意識することから始めたいのです。ってまた長くなりましたね(^_^;)汗

  • 「ハルさんのカフェ」何かの折りに見ることがあります。ksさんのお近くのお豆腐のカフェも偶然見ることができました。些細なことでも、行きたいな、食べたいな、見たいな、と思ったら、記録するようにしています。いつでも行けそう、と思ったところが意外と難しいこともありますね。

    ご無沙汰ばかりですが、みなさまの闊達な会話を楽しみに拝読は欠かしません。
    辛い検査を終えて私の心臓の状態がほぼ、診断されて、反って肝がすわりました。現代医学のおかげで、一病息災は真実味を帯びる言葉です。
    長いフライトを要する海外旅行は無理でも、大概のことはまずは、その意欲から、とあらためて自分を奮い立たせています。北陸新幹線の延線も明るい話題です。

    メジャーリーグで活躍のヒーロー大谷さんが、素晴らしい伴侶を世界にご披露され、韓国での開幕戦でも十二分にファンを沸かせられましたのに、思いがけない事件?が、信頼しきっていたはずの人によって白日の下に晒されることになった・・・大谷さんに何ら問題がないのに、大変なストレスです。

    今日は、大相撲春場所(大阪場所)の千秋楽です。二人の若武者が、平幕、幕尻でぐんぐん白星を伸ばし、ひょっとすると、幕尻力士が優勝、その間際で、大変なアクシデントが待っていました。
    私は、TAKERU富士に対戦した(こちらも何かと物議をかもした元大関ですが)力士の長らくのファンなので、恐らく、国内の多くのTAKERU富士ファンを敵に回し(オーバーですが)ましたね!(^^)! 
    さらに、あの地震で被災するもその存在のおかげで、能登地方に元気をもたらす、といわれる平幕Oの里にもそこそこ近いところに居住していますので、そちらも応援していますし。。。まあ、普段は好きではないHしょう龍に勝ってもらって、自動的に負傷したTAKERU富士に優勝旗が、のほうがいいかも、とも。

    水泳のパリオリンピック出場権をかけた最後の選考、カーリング、フィギュアスケート、いつでもその気になれば、楽しめるいい世の中だと、素直に喜んでいます。
    こちらの皆さまは、ご自身もスポーツがお出来になったり、何よりサッカーにお詳しい。
    運動音痴の私には、羨ましい限りですが、こうして、元気に、たとえテレビとはいえ、私なりに楽しめるのが幸せな時代のおかげです。

    とりとめもなく失礼しました。

  • >>No. 2496

    ご主人さまのご快癒をお祈りするばかりです。
    何事にも丁寧に理性的に判断され行動されるララさんの、ご心労と並外れたお疲れを案じております。
    ララさんご自身もどうぞお大事になさってください。

    私も最近主治医から、心臓の状態の悪化を指摘され、今週末に24時間のさまざまな検査を受けます。それで死期が決まるわけでもなかろうと、主治医の言葉を愛の鞭と受け留めています。
    ニトロを常時持っていることと、躊躇しないで救急車が呼べるか、その時、一人なのか家族がいるのか、何処で起きるのかなど、運次第だと思います。

    ララさんのご主人さまは、その点、安心でした。
    毎日ゆっくり休んでララさんご自身のの体力維持を優先してくださいね。

  • >>No. 2334

    2時、2時半と珠洲が震源地で5+のがありました。当地では3です。津波の心配もなしとのこと。能登では、1,2分おきに震度2とか3の地震が発生しているとNHK金沢局の方が言っていました。
    ソファに座っていても食卓についていても、お雑煮を仕込むため、レンジの前にたっていても、いつも身体のどこかがふわふわと揺れる感じがしてしまいます。PTSDなんて言ったら、本当にご苦労されている被災者の方々に申し訳ないのですが、極限の恐怖を身体に覚えたら、なかなか消えないものですね。
    何とか少しでも身体を休めないと、と思うものの、耳の奥にがたがた、と地震発生直前の不気味な音までしてきて寝つけません。
    おひとり暮らしのお年寄りを思うと甘い私です。

    珠洲市長さんが、4,5千人の市民は最早、自宅に戻って生活できない状態と仰っていました。平均年齢の高い独居老人が多い地方です。避難所で不足している必要物資を調達、届けることを真剣に考えないといけないのですが、道路の隆起、寸断、土砂崩れのために陸の孤島化している実情。
    自分の恐怖より、より困った人たちのために動かないと、と考えては焦ります。

    昨夜の飛行機事故のうち海上保安庁のは、救援のため、能登に向けてだったのですね。
    ますます暗澹たる思いです。命がけで働いてくださったのに敢無く、、、

    遅くに度々ごめんなさい。独り言です。
    能登の方々のために祈ります。

  • みなさま、明けましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    昨年末年賀状はもちろん両面印刷で、ほんのちょっとだけ、
    自筆で今年への思いを添えました。

    平穏な日常が大切なことを思い知りました。
    日々を大切にすごせますように。
    お元気で楽しくお過ごしください。

    何故か心からそう願って書き記して、迎えた新年。
    その初日から「何気ない毎日」を望めない イレギュラー過ぎる現実が待っていました。
    とはいえ、自然のなせる業なので、いくら防ぎたくても来るものは来ました。

    まだ一日ちょっとしか時間が経っていませんが、何日も辛抱してきたみたいな心地です。
    幸い、拙宅の居住しているところは震度5強とはいえ、電気ガス水道の供給は変わりなく、ちょっと肩身が狭いほどですが、棚から本一冊落ちていません。グラスやお皿、人形も微動だにせず、つまり、被害はほぼなし、でした。それどころか、年末に床の間とかちょっとした棚の上に活けたお正月花10数か所、どこも落ちずに壊れずに、活けたままです。お正月向けのお供え餅の上のみかんと干し柿が落ちていました。
    それでも昨夜は、余震、能登では5強から6くらい、当地では4くらいのが頻繁におこりましたので、恐怖で当然ながら眠ることはできませんでした。
    今夜も余震の繰り返しは避けられません。熊本地震がそうであったように、もしかして、もっと大きいのがいつ来ても仕方ない、そう思うと身が縮まります。なるべくこのまま収束していってほしい。。。
    暫くの間は、寝るときも洋服を着たままで、と思っています。

    実際は被害らしきものにもあわなかったことを喜ばないと、皆さまにも報告しておかないと、と登場しました。
    そうそう、庭の灯篭が倒れました。そこに誰もいなかったですし、倒れたために家のどこかを損傷したわけでもありません。確実に揺れた、大きく横揺れした、家がこのままつぶれ落ちるのでは、と思うほどでしたこと、忘れられません。
    あっ、今も小ぶりの余震です。震源地の石川県志賀町で震度3、この町は原発問題でもともと不安材料の的になっているところ。その分、誠実にしっかり調査追跡して、次代に役立たせてほしいです。輪島市、珠洲市の被害が実態が悲惨過ぎて、言葉になりません。もう少し落ち着きましたら何か自分にできることがあったら、しなければいけない、と考える夜更けです。
    元気に過ごしていますのでそれだけお伝えしました。

    皆さまのお声がけ、心に染み入りました。ありがとうございます。

  • >人間って勝手ですね。
    >過ぎてしまったから懐かしいだけです。

    おはようございます。
    今日は今から、大学の後輩(20歳くらい年下)が、県東北部の病院での受診後、金沢の実家に戻る途中で私に会うために途中下車するのを駅の出口で待ち受けるため、出かけます。
    昨夜のアメリカ株が気になってPCを開けましたら、ララさんのお言葉が入っていました。
    冒頭の言葉です。釘付けになりました。
    全くその通りでございます。

    親戚の類も、自身の交友関係もあんまり丁寧なのは好まず、ここまできましたら、すっかり「孤独」の立場におりました。望むところだったはずなのに、人間己の孤独を認識しない人とは付き合えない、と群れることへの強い抵抗があったはずなのに、どうやら、弱い自身と対峙するこれからになりそうです。。。

    今日私に会いに立ち寄る後輩は、10年近く前に石川の大学県人会で共通の同窓生を通じ知り合いました。昨夏、大腸がんの手術を受けて以後、ご主人(皮肉にも癌系統のドクターです)を一人にして、遅く授かった幼稚園生のお子さまと一緒に実家のある金沢へ。この夏にも、ご主人のもとへ帰り元の幼稚園にお子さまを通わせる予定が、思わぬ再発(転移ではないようです)で徹底的に疑わしい病巣をつぶすために実家近くの大学病院で暑い夏に放射線治療と予防対策治療を終えました。
    その間、何かと彼女の慟哭ともいえる辛い声を聞いてきました。
    40歳近くの結婚、それから数年後の出産、子育ての最中も、必ずしも彼女ら大人同士がうまくいくことばかりではない、、、、ぞのたびに聞き役に徹しましたが、病後のしばらくは、かける言葉も失っていました。

    今日はどんな顔をしてどんな声で私の前に現れるでしょうか。
    冒頭の言葉をいただいて、ふっ切れるものを感じます。
    こんな私でも、訪ねてくれる人がいる、聞いてほしいことがある、と私の存在をあてにしてくれている。
    小さな小さな気づきですが、これからこそ、人との関りを正直に自分に問うて、大切にしていかないと、と思っています。

  • >>No. 2156

    Ksさん、お嬢さま、ご出産おめでとうございます!無事のおめでたで、本当によかったですね。私までホッとしました。嬉しいです。Ksさんにとっては、5人目のお孫さんになるのかしら。お義母さまにとっては、曾孫さんの誕生は、これからお元気にお過ごしになるののモティベーションになりますね。
    常々思うところなのですが、かつては、ごく当たり前だったかもしれない親類付き合い、子や孫とのふれあい、など、どんどん、見かけなくなりました。
    そんな点でも、けいさんの周囲もいつも微笑みと喜びが満ち溢れています。お年寄りの往来も頻繁で、微笑ましい限りです。
    身内との付き合いを義理を欠かない程度に仕方なくしていた私は今頃になって「つけ」が生じたようです。親世代を見送ったあとは、次代、つまり従姉妹世代ですね、との交流が全くなく、かつての思い出を語る場を失くしてしまいました。コロナ禍の影響もあったのも否めませんが、何回忌などの法要をはじめ、葬儀への参列さえも省略化が見られて、香典、献花、供物などすべて、業者を通じて送るだけ、満中陰志、粗供養などもお返しとして、業者から送られるのを受け取り、そこから品物を選ぶ(ほしいものは何もないので、私はいつも、南高梅の梅干か、虎屋の一口羊羹詰め合わせに決めています)何の感慨もなく憂き世の付き合いもここまでか、の心境です。
    それが、自分の兄弟にさえ、あてはまるのは、悲しい極みですね。元気?今度また一緒に何か食べようよ、という一言がかけてもらえず、こちらからも同罪です(:_;)
    しいて言うと、連れ合い側の二組の兄姉夫婦だけが、帰省(お墓参り)の折に年一度声をかけてくれるのが、嬉しいです。かつては面倒くさかった人たちですが、どちらも八十代、一回一回が最後になるかもしれないから、と小さな宴を設定してくれます。

    長くなりました。
    Ksさん、けいさんの慶事をお祝いするだけ、のつもりが、私のないものねだりの繰り言にとなりましたね。
    いつものことといえ、どうぞ、お見逃しくださいますよう。

  • 「生産性のある生活」って、さすがに、この談話室に集われる賢婦人の仰るセリフですね。
    みなさま、それぞれ、これではいけない、と自制心旺盛で、懸命に前向きに日々をお過ごしになっていらっしゃる、生産性のある生活そのものですねぇ、と敬意を覚えます。
    まさしく怠惰に尽きる自らの日々の場合は「生産性のある生活」はよろこびを感じられる時間を過ごす、という風に置き換えられるかもしれません。
    あるいは、誠意ある生活でしょうか。たったひとりの家族に笑顔で接することができたら、それだけで、私の中のものさしでは、百点満点以上です。あとは、時々美味しい季節の果物を心行くまで味わったりするだけでもニコリ、というレベルの低さ!!)
    現実は、喜び薄く、不平不満たらたら(よく考えてみると、この自分に対しての不満とか後悔ばかり。敵は自分の中に。)
    私はとにかく、出不精というデブ症に通じる生活習慣から逃れられないのが、マイナス点の基盤にあります。だいぶ涼しくなってきましたので、少しでも散歩を心がけ、習慣にしたいとあらためて今朝、自分に言い聞かせています。
    クルマもこの前ガソリンを入れたのはいつだったか、思い出せないほど。週に100キロも走るか走らないか、程度です。

    ・・・と愚痴らないで、まずは、みなさまの「生産性のある生活」にまつわる発想豊かなそれぞれのお言葉に触れた今朝は、喜びに通じるものがありました。
    自分中心の思いを並べましたが、今後とも呆れられずにお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

  • >>No. 1909

    孔雀草
    ああなんと懐かしい響き,感触のすることばでしょう。
    私も大好きな、この時期ですと最も好きなお花になります。
    地植えを考えたことがなくて、いつも花屋さんで胸元いっぱいに買ってその都度幸せ感に浸ります。
    紫の方が私も好きです。白いのもですけれど。
    何も考えないで、壺とか、備前焼の花入れに投げ入れします。ちょっとした枝もの、庭に繁茂しているフジバカマとか矢筈薄とか、ミズヒキそう、桔梗、トルコキキョウなども一緒に入れることも多いです。
    群生していたのが、記憶のある限りでは、石川県の県民公園、津幡駅だったか、倶利伽羅駅だったかのすぐ近くに見渡す限り、孔雀草のところがありました。母の生前だったか、どうか記憶がありません。
    熨斗蘭は仰せの通り、別名もあります。同じものらしいです。こちらは、ちょっとした贈り物をするときにでも、水引でおしるしだけ敬意を示すことがまだあります。押絵(中に綿をいれるあれ ですね)で作った大きめの熨斗もまだ探せば土蔵のお重箱の中にでもあるかもしれません。日常生活で意外に身近ですので、その名前で覚えました。普通にヤブランなどと同じ品種のようです。
    私はけち臭い故かもしれませんが、お花は、今でこそお茶花とか、山野草とか趣味のいいくくり方をされていますけれど、私は幼い時から、お金のかからないその辺で静かに咲いては朽ちてゆく庭の片隅の花が好きです。今は秋海棠と熨斗蘭とがどの部屋にもひっそりいてくれています。

  • >>No. 1899

    ksさん、おはようございます。
    いつもお気にかけてくださって有難いです。
    それにしましても、孫は来て嬉し、帰って嬉し だと世の中で言われ、周辺でもよくこのフレーズを耳にもします。
    そんな折に、ksさんのエネルギッシュな様子を伺うとただ脱帽するのみ。内孫さんだから、ご子息さまご夫婦が同業に奉職されている故の理解があるから、と私ではとても想像できない献身ぶりの理由を想像するも、そうそう、こうしてお嬢さんの方のお世話もひとかたならぬものがあるんだった、と、慈悲深いksさんに思いを馳せるものです。
    私が申し上げても虚しいですが、どうぞ、いつもご自愛の上、いくつもの役割を全うなさってくださいませ。

    この16日は亡き母の19回めの祥月命日、18日が義父の同じく19回目の祥月命日、実兄の半年目の命日・・・庭の片隅に真っ白の熨斗蘭が咲き始めました。ちょうど母が逝ったその日に最初の一輪が咲いたので、いつもそこに母がいてくれるように思います。実家の庭にある親鸞聖人修業姿の立像の傍らに植わっていたのを母が手なりに根っこから摘んでくれて私にくれたそれから十年以上して初めて開花したのが母の告別式の日。母の化身の様に思ってしまいます。

    ksさんばかりでなく、みなさま、お互いに何とか元気を死守しましょうね。今日も一日お気をつけられて、、、
    私は単位制の前後期二期制の高校に(今年こそ最後の年にしたいです)勤務している関係から、今月は、入試(全日制高校からの進路変更など)の月で、授業がうんと削減されています。夏休みからそのまま秋休みに移行している感覚でよけいに、さぼり癖がひどくなっています
    月末の小さな旅行を終えたらそろそろウオームアップしませんとね。

  • >>No. 1898

    ララさん、
    いつもお声がけをありがとうございます。
    そう、定宿という言葉がありましたね。
    それほど常連さんでもないですが、一度に3,4泊して間に季節に応じた小さなハイキングを提供してもらえます。今月末に駒ヶ岳ロープ-ウェイの一日がありましたが、すでに満席でした。で、佐久市や牧場のコスモス巡りを選び、残りは温泉近隣のさびれた風景を歩いて楽しむつもりです。かわり映えしない景色や、ホテルの中のちょっと暗い図書室なんかが懐かしい4年ぶりです。10回目くらいでしょうか。。。
    やっと予約を入れました。少し楽しい気持ちを覚え始めています。

  • >>No. 1900

    おはようございます。
    けいさん、
    強く同感を覚えます。
    今さら、どうってこともないから、特に相手(この場合には、お嬢さん)に何も期待されないけいさんのお気持ち、お察しします。
    ただね、そこに思わず出てしまう笑顔みたいのが全くないのが情けないです。
    帰郷して実母と同居したら、何となく、安心、心のやすらぎが表情にも出てきそうなもの。そっと会釈するとか、ね。今までお世話になってきました○○の娘です。またよろしく の気持ちが全く伝わってこないのね。何だか無味乾燥な母娘の間柄を勝手に想像しました。90歳近くになって、年長者(母)が、娘にむしろ気を遣っているのかしら。。。余計な邪推かもしれません(←私が意地悪ななだけ?)

    こちらで、何気なく見受けるけいさん母娘の関係がいつも、自然体で互いの思いやりが溢れているので、それを傍から見られることが他人の私にも幸せのもとになっています。
    九州の方はあったかいんだなぁ、と変に思い込んでいた私です。短絡的なことを認めますが(笑)

  • >>No. 1891

    そういえば、実は、私たち二人とも、パスポートの有効期限は失効していることをただいま確認しました。
    もう一度くらいは、東欧辺りをゆっくり旅したい、とかねがね思っていたのですが、きっとそれもそんなに無念に思わずに忘れることでしょう。
    日ごとに自分の脚や膝などに不安がと募ることと、どうしても、との強い動機がそれほどないこと、からでしょうか。
    そろそろ歩き始めないと、と自分を奮い立たせる昨今の朝方の涼感です。せめて国内で新幹線利用で行けるところくらいは、旅心を失いたくないですしね。

  • >>No. 1890

    ご無沙汰しております。
    とはいえ、ちゃっかり者の私は、ほぼ毎日、けいさん、ララさん、KSさんの動向(!)をここで確認して、それぞれの概ね健やかに活動していらっしゃるさまを確認しています。
    今朝も一度、けいさんのご投稿に触れたものの、今日はもうあれでおしまいか、と気になり、こうして再度拝見に参りました。
    旅行、、、いよいよ解禁(と安直に申し上げていいのかどうかは別として)の感もありますね。
    私も多少迷ってはおります。
    ①同行する人 できたら、レベルアップして計画段階から自立して一人旅は憧れます
    ⓶手段 長いフライトが体力的に自信がありません けいさんの今朝のお話にあったように、豪華客船は、国内外でいくつか寄港して旅する+船上の非日常を楽しむ で最近、人気があるようです。
        あとは、JR(無意味に続けているジパング俱楽部の利用もできます)
        かつては、一日800キロくらいは移動したマイカー
    ③行先と目的 これから決定すべきなのでしょうね

    家人は、私の代わりに日々の買い物も当たり前に引き受けてくれ、マイカーでの用事はフットワークが軽いのですが、こうして観察していますと、
    特に気になる友人はいないこと、計画を立てるのを楽しむほど旅への憧憬がないこと、できたら、面倒なことは避けたい、終日、囲碁や海外のミステリー番組を見たり、ゲームをしたり、気になる政治経済の記事をネットで読みふけり、で、全く蟄居はノープロブレム、むしろ楽しんでいるのが分かります。

    私との旅行は、面倒くさくないことに入るようです。
    で、コロナ前は、ジパング俱楽部が有効な100キロをちょっと超える信州の温泉地に3,4泊して過ごす、逗留先のホテルが提案してくれる小さなバスハイク、軽井沢だったり、小布施だったり、美術館巡りだったり、のプランに申し込む、ランチも出先でお蕎麦とかフレンチとか それ以外は全く湯治を決め込む、週末がかかっていると、ロビーの小さなコンサートも夜には楽しめる とほぼ活動はホテル任せの家にいるのとそう変わらない時間が流れる
    上記のようにして平成の終わりから令和のはじめにかけて10回近く足を運びました。
    テレビが自在に見られないことのマイナス面を考慮すると、その旅行は家人にはそんなに嬉しいことでもないでしょうね。
    今月末に「キノコ狩り」のキャッチフレーズに惹かれて、出かける予定です。
    ひょっとすると11月くらいには、「紅葉狩り」がそれにとって代わって再訪になるかもしれません。

    未知のところへ行くドキドキ感を味わえるのもこの先そんなに時間が残されているわけではありませんが、まるで「翁」の世界のように、静かな変わらぬ時間を求めているらしい連れ合いとの時間を楽しむ方向に自分が納得できればそれもよし、、、大人しい団塊の世代の老後の過ごし方です。

  • >>No. 1783

    ご無沙汰ばかりですのに、思い立ったらこうして、ちゃっかり登場してしまう非礼をお許しくださいませ。
    何かと時にかなって、お声がけをしていただいていますことも嬉しく、その度に一言でも、添えようかしら、と思うものの、、、
    ララさんの台風の進路へのご配慮嬉しく(台風の進路の東側が要注意となると日本海に出た後は、もろこちらを直撃しますが、その時には少しは勢力が弱まっているのでは、と安易に予測。特に準備も始めていません。)さらに、ksさんの変わらずご家族へのご奉仕ぶりがまぶしくて、怠惰な時間を重ねている私には耳が痛いです。
    そして、今朝のけいさんのお話、感じ入りました。
    半世紀くらいを経て、かつての旧交を忘れられず、初盆にお出ましなさった家族同様のお方。おかあさまを姉妹の一人に加えてしまわれたなんて、おかあさまのお元気維持のために本当に素敵!これが、おとうさまの初盆のお参りのためではなくて、お父さまご自身がお会い出来たらどんなにお慶びかと。
    でもそのおとうさまの喪中欠礼ハガキが結んでくれた絆再興、ですものね。やはり、お盆のご縁かとも思います。近頃こんな情に厚い話を聞いたことがありません。他人事なのにとっても胸が弾みました。けいさんご一家がどんなに人を大切にされる立派なご家庭かということを、あらためて思い知った次第です。

    長くなりました。私のことも少しだけお話しておきます。台風の心配もあり、昨日中に、三か所の墓参を終えました。5月6日に四十九日のところ、10日ほど先取りして形だけの法事が行われ、その日に納骨されました。このお話をここでしたかどうか記憶が曖昧ですが、長兄享年78歳のことです。70歳まで東京駅八重洲口に小さな商社を経営していましたが、両親の眠る場所の近くで余生は過ごしたいと、マンションを購入、夫婦二人で拙宅から1キロほど離れたところに住んでいました。優しい兄で、一度も怒りを表したのを見たことがありませんが、熟年離婚のあとの、今の奥さんは、私には不可解なあまりお付き合いしたくないタイプの人でした。それでも兄とは多少の行き来もして、まさか、桜もそろそろか、という春のある日の久しぶりの電話が、訃報になるとは思ってもみませんでした。幸い、兄の眠るところは両親のみが眠っている大きな静かなお寺の一角です。やっといつでも、兄に話に行くことができるようになったわけです。初盆というのに、特にそれを意識する案内もなく、お経ひとつあげられない、罰当たりの感がどうしてもしてしまう・・・墓参に同行した家人が、いくら嫁に行った身だといっても、だれも何もしないのなら、自分がお寺にお願いして、自分の気の住むようにおにいさんのために法要を営んで差し上げたらいいのでは?来月のお彼岸にでも、と言ってくれました。ちょっと目の前が明るくなった心地です。
    ・・・とこんな情けない話を朝から申し訳ございません。

    皆さまのお声がけをいつも感謝しております。また登場させてください。
    台風の影響があまりありませんように。

  • 皆々さま、ご心配いただき、心から感謝申し上げます。
    お見舞いのお言葉がどんなに嬉しかったか、、、
    その思いを含めて、先ほど、そこそこ長々とここに昨日の様子など書き込みました。ちょっとどこかに触れたのか、一瞬の間に、全て消え果て、こうして、もう一回書き込む気力もなく、言い訳三昧となります(:_;)
    昨日のその時、私は石川県立音楽堂のコンサートホールで、オーケストラを鑑賞中でした。体調不良でめまいでも起きたかな?と思ったのと、指揮者の表情が変わり、棒を下ろされたのと同時でした。私はS席の前から2列目にいましたので、よく見えました(笑)春の音楽祭という金沢ではもうだいぶ定着している春の音楽祭の実行委員長である池辺晋一郎氏がすぐ登壇されて、「5分待ちましょう」と一声。そして数分後「再開します。安全が確かめられました」とのことで始まりました。三楽章の途中から。
    公の建物ですから、耐震性も不安がないものだと思いましたが、かなり揺れたのは事実です。演奏後、帰宅も考えましたが、自宅とは連絡が取れ、異常なしとのことでしたので、そのあとのコンサート二つ鑑賞することにしました。
    能楽堂で行われた、ウィーンフィルメンバーのチェロとフルートのアンサンブルは圧巻でした。最後まで残って聞いてよかった!と満足感いっぱいで、金沢駅へむかいましたら、鉄道ダイヤがようやく復旧したばかりで、これもラッキー。
    到着した電車に乗れたのはよかったのですが、降りる駅を一つ手前の駅と間違えてしまいました。連絡してそこまで車で迎えにはきてもらったものの、一日、騒動と音楽する楽しみといろいろ混じっていて、やはり、相当疲れていたのも確かです。

    油断大敵、余震もありますし、大雨も予報されています。
    皆さまのお気遣いに感謝するばかりです。
    ありがとうございました。走り書きまで。消えないうちに読み返さないで送信しますね。

  • 画像が希望通りのが出てくるか不安いっぱい

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