投稿一覧に戻る (仮)メンタル編 個人投資家 Step up スレの掲示板 8 Thanks 2020年2月22日 11:13 【 利確 と 損切 】 買いポジの売買の場合、買いに始まり売りに終わることは誰でも知っている。 多くの方は、買った時に買えたと喜びはするが、 売った時に売れたと喜ぶことは少ない。 その理由は、「 売ったのではなく売らされた 」から … 。 ポルノグラフィティさんのアゲハ蝶の歌詞の中に、こんな一節が出てくる。 ♪ 終わりなどは無いさ 終わらせることはできるけど 始まりを買う時とするなら、終わりとは売る時。 売ろうとする時、 多くの方が『そのタイミングを外に求めて』しまう。 それは自身の確固たる意志を消滅させ、 「流される」という選択をしていることに他ならない。 そうして下した決断は自己の意思とは異なるため、 後々の価格の上下を気にすることとなり、メンタルダメージを増幅させてしまう。 昨今、終活と言うワードがトレンドになっているが、 終活とは日々の暮らしにそのものであって、決して特別なものではない。 なぜなら、「死」があるのは「生」の延長線上であるから、 言い換えれば生の一部が死ということになる。 生と死を相対する真逆のものではないのだ。 株式の話に戻るが、 買い無き売りも無ければ、売り無き買いもあり得ない。 買えたことに喜ぶのは結構だが、 その時点から「(株取引の)終活」は始まっている。 損した得したは後から見る結果論であって、 一つの取引を終了したという視点ではどちらも同じことなのだ。 ( 勝って学び、負けてなお学ぶ ) プロの投資家と呼ばれる方々が、 一つの(一銘柄の)取引にこころ乱すことはあり得ない。 大事な場面で三振をして泣いていいのは高校野球まで、 プロは三振の中に次の糧を見出している。 損切りでも、利確でも反省点はあるだろう。 その反省点が次につながる投資こそが、本当の投資の姿なのかもしれない。 一つのけじめとしての利確、損切 … 流されることなくしっかりすることが、 「買ったもの」の権利と義務ということになるだろう。 返信する そう思う2 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
Thanks 2020年2月22日 11:13
【 利確 と 損切 】
買いポジの売買の場合、買いに始まり売りに終わることは誰でも知っている。
多くの方は、買った時に買えたと喜びはするが、
売った時に売れたと喜ぶことは少ない。
その理由は、「 売ったのではなく売らされた 」から … 。
ポルノグラフィティさんのアゲハ蝶の歌詞の中に、こんな一節が出てくる。
♪ 終わりなどは無いさ 終わらせることはできるけど
始まりを買う時とするなら、終わりとは売る時。
売ろうとする時、
多くの方が『そのタイミングを外に求めて』しまう。
それは自身の確固たる意志を消滅させ、
「流される」という選択をしていることに他ならない。
そうして下した決断は自己の意思とは異なるため、
後々の価格の上下を気にすることとなり、メンタルダメージを増幅させてしまう。
昨今、終活と言うワードがトレンドになっているが、
終活とは日々の暮らしにそのものであって、決して特別なものではない。
なぜなら、「死」があるのは「生」の延長線上であるから、
言い換えれば生の一部が死ということになる。
生と死を相対する真逆のものではないのだ。
株式の話に戻るが、
買い無き売りも無ければ、売り無き買いもあり得ない。
買えたことに喜ぶのは結構だが、
その時点から「(株取引の)終活」は始まっている。
損した得したは後から見る結果論であって、
一つの取引を終了したという視点ではどちらも同じことなのだ。
( 勝って学び、負けてなお学ぶ )
プロの投資家と呼ばれる方々が、
一つの(一銘柄の)取引にこころ乱すことはあり得ない。
大事な場面で三振をして泣いていいのは高校野球まで、
プロは三振の中に次の糧を見出している。
損切りでも、利確でも反省点はあるだろう。
その反省点が次につながる投資こそが、本当の投資の姿なのかもしれない。
一つのけじめとしての利確、損切 …
流されることなくしっかりすることが、
「買ったもの」の権利と義務ということになるだろう。