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(仮)メンタル編 個人投資家 Step up  スレ
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(仮)メンタル編 個人投資家 Step up スレの掲示板

【 利確 と 損切 】
 
買いポジの売買の場合、買いに始まり売りに終わることは誰でも知っている。
 
多くの方は、買った時に買えたと喜びはするが、
売った時に売れたと喜ぶことは少ない。
 
その理由は、「 売ったのではなく売らされた 」から … 。
 
ポルノグラフィティさんのアゲハ蝶の歌詞の中に、こんな一節が出てくる。
 
♪ 終わりなどは無いさ 終わらせることはできるけど
 
始まりを買う時とするなら、終わりとは売る時。
 
売ろうとする時、
多くの方が『そのタイミングを外に求めて』しまう。
 
それは自身の確固たる意志を消滅させ、
「流される」という選択をしていることに他ならない。
 
そうして下した決断は自己の意思とは異なるため、
後々の価格の上下を気にすることとなり、メンタルダメージを増幅させてしまう。
 
昨今、終活と言うワードがトレンドになっているが、
終活とは日々の暮らしにそのものであって、決して特別なものではない。
 
なぜなら、「死」があるのは「生」の延長線上であるから、
言い換えれば生の一部が死ということになる。
 
生と死を相対する真逆のものではないのだ。
 
株式の話に戻るが、
買い無き売りも無ければ、売り無き買いもあり得ない。
 
買えたことに喜ぶのは結構だが、
その時点から「(株取引の)終活」は始まっている。
 
損した得したは後から見る結果論であって、
一つの取引を終了したという視点ではどちらも同じことなのだ。
( 勝って学び、負けてなお学ぶ )
 
プロの投資家と呼ばれる方々が、
一つの(一銘柄の)取引にこころ乱すことはあり得ない。
 
大事な場面で三振をして泣いていいのは高校野球まで、
プロは三振の中に次の糧を見出している。
 
損切りでも、利確でも反省点はあるだろう。
 
その反省点が次につながる投資こそが、本当の投資の姿なのかもしれない。
 
一つのけじめとしての利確、損切 …
流されることなくしっかりすることが、
「買ったもの」の権利と義務ということになるだろう。