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70歳代のバソコン
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 〇風月抄 「日本最初の珈琲店」4月13日

  ♪「一杯のコヒーから」
  
  一杯の コヒーから
  夢のわきでることもある
  街のテラスの夕暮れに
  二人の胸の灯が
  ちらりほらりと
  つきました・・

 日本で、コーヒー店の元祖と言われる「可否茶館」が明治22年の今日「4月13日」に、東京・上野西黒門町に開店しています。

 その主人は、長崎唐通詞(*通訳)の名家「鄭家」の流れをくむ「鄭永愛」で、彼は欧米に留学中に見聞したニューヨークやロンドンで見聞したような、上品な憩いの場を造ろうとしたのです。
 この店には、入るとすぐに「玉突き場」があり、二階が喫茶店になっていて、そこでは洋酒も日本酒も注文すればすぐに出るようになっていました。その店内には、トランプやクリケット、碁、将棋も出来るし、内外の雑誌も取り揃えてあるという、至れり尽くせりのサービスぶりでした。

 しかし、一銭五厘で、蕎麦が二杯食べられた時代に、一杯のコーヒーが、同じ一銭五厘では割高過ぎて、この店はすぐに閉店してしまいました。
 当時の明治21年4月13日付けの新聞には、その「可否茶館」の広告が載っています。

 〇「可否茶館開業報条」
 ・・遠かば鉄道馬車に乗って来給へ。近くば歩いてちょっと寄って一杯を喫したまへ。そのカヒーの美味なること、思わずアゴを外さんこと疑いなし。館内には、更衣室があり、文房具から内外の雑誌、新聞も取りそろえ,その廉価なることただよりも安し!?。。
 来る十四、十五、十六の三日間、開業、定価カヒー、一椀、一銭半、同じく牛乳入りは金二銭也」・・

70歳代のバソコン  〇風月抄 「日本最初の珈琲店」4月13日    ♪「一杯のコヒーから」      一杯の コヒーから   夢のわきでることもある   街のテラスの夕暮れに   二人の胸の灯が   ちらりほらりと   つきました・・   日本で、コーヒー店の元祖と言われる「可否茶館」が明治22年の今日「4月13日」に、東京・上野西黒門町に開店しています。   その主人は、長崎唐通詞(*通訳)の名家「鄭家」の流れをくむ「鄭永愛」で、彼は欧米に留学中に見聞したニューヨークやロンドンで見聞したような、上品な憩いの場を造ろうとしたのです。  この店には、入るとすぐに「玉突き場」があり、二階が喫茶店になっていて、そこでは洋酒も日本酒も注文すればすぐに出るようになっていました。その店内には、トランプやクリケット、碁、将棋も出来るし、内外の雑誌も取り揃えてあるという、至れり尽くせりのサービスぶりでした。   しかし、一銭五厘で、蕎麦が二杯食べられた時代に、一杯のコーヒーが、同じ一銭五厘では割高過ぎて、この店はすぐに閉店してしまいました。  当時の明治21年4月13日付けの新聞には、その「可否茶館」の広告が載っています。   〇「可否茶館開業報条」  ・・遠かば鉄道馬車に乗って来給へ。近くば歩いてちょっと寄って一杯を喫したまへ。そのカヒーの美味なること、思わずアゴを外さんこと疑いなし。館内には、更衣室があり、文房具から内外の雑誌、新聞も取りそろえ,その廉価なることただよりも安し!?。。  来る十四、十五、十六の三日間、開業、定価カヒー、一椀、一銭半、同じく牛乳入りは金二銭也」・・