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「小正月の尻叩き」    
 尻叩きと言えば、一般には子供のしつけのための罰の一種で、お尻ペンペン‥などと言って、子供相手のものですが、昔は、大人の女性同士の小正月(正月15日)の行事としての「尻叩き」も行われていました。
  佐賀地方では、14日のモグラ打ちの際に、所によっては新婚のお嫁さんの家に行って、「お嫁さんの尻打たせんかい」という「尻叩き」の風習がありました。
この「尻叩き」の行事は佐賀県の北部では明治40年ごろまで行われていたようで、当時の「佐賀・・伊万里歳時記」によれば、正月の14日に子供たちがカシの木で作った直径5㌢、長さ30㌢の「尻打ち棒」で、その年に部落に嫁入りした(初嫁)のお尻を叩く、という正月行事でした。

 子供たちは「嫁御・よめごの尻うたせんかい」といって初嫁の家に行き、「餅だすか、酒出すか、出さんにおいては、嫁ごの尻打ち、ポカーンショ」と言って尻を叩いたそうです。
 この15日の「尻叩き」の行事は、いずれも女性の多産を願った小正月の行事ですが、佐賀県の北部の唐津藩で主に行われ、佐賀南部の佐賀藩では主に「もぐら打ち」が行われていたようです。江戸時代の藩政区分の影響で、同じ県内でも行事や風習には色々と違いがあったのでしょう。
 この尻たたきの由来は、平安中期の清少納言の随筆「枕の草紙」に載っています。
 昔の宮中では正月15日に望粥(もちがゆ)という小豆粥を食べる風習がありました。
 この日、宮中の女性たちは「粥の木」を隠し持って、お互いにお尻を叩こう、叩かれまい、とひそかに伺いながら、誰かが打ち叩かれるとみんな大喜びで笑い興じていたと言いいます。この「粥の木」は十五日の(望粥・もちがゆ)を煮た時に使った棒で「粥杖・かゆづえ」と言い、これで女性の腰を打つと男の子が生まれると言う、言い伝えがありました。
 そこで宮中では、官女同士が粥杖を持ってお互いに追っかけ回して、お尻を叩き合っていたと「源氏物語」や「枕草子」にも書いてあります。

               しらん

70歳代のバソコン 「小正月の尻叩き」      尻叩きと言えば、一般には子供のしつけのための罰の一種で、お尻ペンペン‥などと言って、子供相手のものですが、昔は、大人の女性同士の小正月(正月15日)の行事としての「尻叩き」も行われていました。   佐賀地方では、14日のモグラ打ちの際に、所によっては新婚のお嫁さんの家に行って、「お嫁さんの尻打たせんかい」という「尻叩き」の風習がありました。 この「尻叩き」の行事は佐賀県の北部では明治40年ごろまで行われていたようで、当時の「佐賀・・伊万里歳時記」によれば、正月の14日に子供たちがカシの木で作った直径5㌢、長さ30㌢の「尻打ち棒」で、その年に部落に嫁入りした(初嫁)のお尻を叩く、という正月行事でした。    子供たちは「嫁御・よめごの尻うたせんかい」といって初嫁の家に行き、「餅だすか、酒出すか、出さんにおいては、嫁ごの尻打ち、ポカーンショ」と言って尻を叩いたそうです。  この15日の「尻叩き」の行事は、いずれも女性の多産を願った小正月の行事ですが、佐賀県の北部の唐津藩で主に行われ、佐賀南部の佐賀藩では主に「もぐら打ち」が行われていたようです。江戸時代の藩政区分の影響で、同じ県内でも行事や風習には色々と違いがあったのでしょう。  この尻たたきの由来は、平安中期の清少納言の随筆「枕の草紙」に載っています。  昔の宮中では正月15日に望粥(もちがゆ)という小豆粥を食べる風習がありました。  この日、宮中の女性たちは「粥の木」を隠し持って、お互いにお尻を叩こう、叩かれまい、とひそかに伺いながら、誰かが打ち叩かれるとみんな大喜びで笑い興じていたと言いいます。この「粥の木」は十五日の(望粥・もちがゆ)を煮た時に使った棒で「粥杖・かゆづえ」と言い、これで女性の腰を打つと男の子が生まれると言う、言い伝えがありました。  そこで宮中では、官女同士が粥杖を持ってお互いに追っかけ回して、お尻を叩き合っていたと「源氏物語」や「枕草子」にも書いてあります。                 しらん