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中国『共同富裕』の理念の下での企業・国民への統制強化と経済リスク
9/3(金) 9:28配信

NRI研究員の時事解説

統制強化は中国の歴史的な転換となるか

中国政府は昨年から大手IT企業に対する統制強化を進めてきたが、足もとではその対象が多くの分野の民間企業、そして国民にまで直接及ぶようになってきている。それは思想統制の色彩を強めているようにも見える。

政治的には、来年10月の党大会を視野に、共産党の体制強化を図る狙いがあるのだろう。また経済的には、バイデン米政権の下で米国及び先進国全体との対立の構図が強まる中、40年にわたる開放改革路線、先進国市場への接近を図る戦略を大きく見直し、独自の経済体制、独自の市場を作る方向へと、中国は大きく舵を切り始めたように感じられる。現在、中国政府が進めている統制強化の動きは、中国の歴史的な大きな転換につながる可能性もあるのではないか。

習近平国家主席が「共同富裕(ともに豊かになる)」を提唱
8月17日に開かれた党中央財経委員会では、「共同富裕(ともに豊かになる)」の実現のため、富の配分を強化するという方針が確認された。習近平国家主席が提唱するこの「共同富裕」の実現の名のもとに、民間企業や富裕者層は、寄付を強いられている。

中国政府は企業による社会への寄付を意味する「3次分配」を強調しており、企業はやむなくこれに従って資金を提供している。香港明報によると、過去1年間にアリババ、テンセント、バイトダンス、メイタンなど中国の6大巨大IT企業が支払った寄付金は総額で2,000億香港ドル(約2兆8,000億円)に達しているという。

また企業の間では、習近平国家主席が掲げる「共同富裕」の理念を受け入れていることを対外的に明らかにする企業が増えてきている。中国の保険最大手、中国平安保険(集団)やフードデリバリーの美団、国有の中国銀行など少なくとも73社が、8月31日までの2週間で、上場先の香港や上海、深センの証券取引所に提出した株主向けの資料で共同富裕に触れたという。

国民生活にも及ぶ統制強化
統制の対象となっているのは、企業ばかりではない。芸能人もその標的となっている。上海市税務局は8月27日に、中国の女優、鄭爽氏の脱税を摘発し、追徴課税・罰金処分を科すと発表した。「共同富裕」の理念のもと、富裕層の違法な所得や行動を許さないという党の公正さを国民に広く示すため、芸能人がスケープゴートとされた、との指摘もある。

個人レベルでは、教育分野への統制強化が目立つ。先日は学習塾など民間教育業に対して強い規制を講じた。これも、「共同富裕」の理念と関わる。そうした産業が激しい学歴競争と格差社会を助長し、また教育費の増加を通じて庶民の生活を圧迫している、との説明だ。

教育分野では、「学校の試験禁止」措置が導入された。小学校1~2年生は筆記テストが実施できないようにしたという。小学校高学年や中学生は試験を実施できるが、順位付けや成績公開をしてはならない。勉強のできる子だけ集めた優等クラスの編成も禁止した。教育の場で、競争を排することで「共同富裕」の実現を図るということだろうか。

9月の新学期から、愛国心の高揚と習氏への称賛を促す「習近平思想」の履修が小学校から大学まで全国統一の教育課程として義務付けられた。かつての毛沢東への個人崇拝を想起させる、との指摘もある。習近平思想の授業は小学3年生以上を対象に、全国共通の教科書を使って週1回行われる。期間は1学期(半年)で高校生、大学生、大学院生にも履修が義務付けられるという。

中国経済の奇跡の成長の源泉を自ら損ねることにならないか
それ以外にも、政府は子供のゲーム時間の制限策まで打ち出している。国民の私生活にまで深く踏み込んで一挙手一投足に干渉し始めたのである。これは、「乳母国家(Nanny State)」戦略とも呼ばれる。来年10月に3期続投が決まれば毛沢東以来最も強い権力を握る可能性が高い習主席としては「大衆からの支持」が何としても必要である。これが「共同富裕」の狙いとされる。

しかし現在打ち出されるいる施策は、必ずしも国民に支持されるものではないようにも思える。やはり真の狙いは、共産党体制の強化であり、それに適合するように国民の考え方や行動にも修正を求める、思想統制的な傾向が強まっているのではないか。

ただし政府の統制強化もすべての企業が対象ではない。政府の統制が既に行き届いている国有企業は対象となっていないようだ。また、国有企業には共産党員が多く配置されており、彼らの富は脅かされていないとの指摘もある。そうであれば、真の意味での「共同富裕」を目指した政策とはなっていない。

2000年代初頭以降の中国の成長を支えてきたのは、民間(民営)企業である。そうした民間企業のビジネスへの規制を強化し、儲からない体制に変えていくことは、イノベーションを削ぎ、中国経済の生産性上昇率、成長率を今後低下させてしまう可能性があるのではないか。民間企業を国営企業の傘下に統合する動きも進められているが、国有企業は、規模は大ききが、生産性、収益性は概して低いのである。そうした政策の下、経済の効率は低下していくのではないか。

中国経済の奇跡の高成長が実現されたのは、共産党支配と改革開放路線のもとでの市場原理の微妙なバランスではなかったか。米国などの先進国との対立のもと、習近平国家主席が、教育レベルから競争原理を排除し、利益を求める企業行動を強く規制していき、共産党体制を強化していくことは、中国経済の成功の芽を自ら摘んでしまいかねない危うさを感じる。習近平国家主席のもとで、中国も大きな曲がり角を迎えている。

(参考資料)
“Chinese Firms Rush to Embrace Xi’s ‘Common Prosperity’ Slogan“, Bloomberg, September 2, 2021
「中国、貧富差の縮小に本腰 芸能界に一斉締め付け」、2021年9月2日、日本経済新聞電子版
「「共同富裕」と格差是正を掲げた習近平だが、身内は例外というまやかし」、2021年9月1日、ニューズウィーク日本版
「規制乱発の習近平主席が露骨な指示「企業は党に服従せよ」」、2021年9月1日、朝鮮日報
「「習思想」教育強化に戸惑う中国の保護者たち」、2021年8月31日、フィナンシャル・タイムズ

木内登英(野村総合研究所 エグゼクティブ・エコノミスト)