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東京電力ホールディングス(株)【9501】の掲示板 2016/08/16〜2016/08/18

1530

hij***** 強く売りたい 2016年8月18日 19:31

>>1526


福島第一原発のトラブル一覧

1973年6月25日 放射性廃液漏洩事故
発生時刻は16時32分で、原因は作業員のミスであった。この際東京電力は汚染土を除去し、残りの廃液を含んだ水を処理したが、従事した作業員の被曝量は安全基準を超えるものではなかったとされる。しかし、大熊町への連絡は何も無く、6月26日16時に共同通信記者からコメントを求められて初めて知った。東京電力は26日14時10分に報告していたが、その時点で事故から22時間経過していたことを大熊町は強く批判し、「地元をないがしろにし、場合によってはその信用を失ってもやむをえない」と述懐している[8]。
1976年4月2日 2号機事故
構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一朗に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一か月後東京電力は事故の発生を認めた。東京電力は「溶接の火花が掃除用布に燃え移った」と説明したが、実際にはパワープラントのケーブルが発火し、偽装のため東京電力社員がダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた[9]。同型のブラウンズフェリー(en)でケーブル火災による全交流電源喪失事故を起こした直後だったこともあり、東京電力はこの火災後、建屋内全域でケーブル類に耐火塗装工事を実施した。森江信は公式発表と実際の乖離例としてこの件を批判している。

  • 1533

    hij***** 強く売りたい 2016年8月18日 19:32

    >>1530


    福島第一原発のトラブル一覧

    1977年 墜落災害による死亡事故
    森江信によれば、1977年にはタンク室で墜落災害による死亡事故が発生しているという。しかもこの時、救出された被災者は病院への搬送前にホールボディカウンターの検査を通すことになり、作業員への取材によれば搬送は数時間後のことだったが、東京電力は直後に搬送したと発表したとしている[11]。
    1978年11月2日 3号機事故
    日本で最初の臨界事故とされるが、公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。2007年頃、東京電力は当時相次いでいた不祥事の洗い出しをするため、過去の記録の再調査を行っていた。3月21日夜、東芝から東京電力に3号機炉心の中性子の計測記録に問題があった旨連絡が入った。報告によると、1978年11月、同記録の計測限界を示す状態が約7時間半続いていたことが記されており、当時の3号機当直員(東京電力社員)は「朝出勤したら制御棒が抜けていたので入れなおすように指示した。中性子の数値が上がっていたように思う」と証言した。原因は制御棒の水圧を調節する戻り弁の操作ミスで、1978年11月の事件の3ヵ月後に5号機、7ヶ月後には2号機で同様の制御棒脱落が起きていた。11月の事故が起きた時点で情報を水平展開していれば後の事故は防げた可能性を日本経済新聞は指摘している。