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(株)スターフライヤー【9206】の掲示板 2016/01/30〜2016/04/14

■「新しい航空会社で世の中を変えてやる」 出資に込められた地域の願い

 「今までの航空会社とは違う新しいスタイルを始めたい。午前5時30分から翌日午前1時15分まで運航します。足を組んでも苦にならない座席間隔です」

 平成18年1月16日、品川プリンスホテル(東京都港区)で、北九州空港を拠点とするスターフライヤーの航空券発売の記者会見が開かれた。就航まで残り2カ月。創業社長の堀高明(67)は、既存の航空会社との違いを強調した。

 堀の説明は、驚きをもって受け止められた。

 シートは全席本革製。電源コンセントに液晶モニター、足置きが備えられた。座席間隔は、他社の機体に比べて10~20センチ広い。空港の搭乗待合室や受け付けカウンターに至るまで、機体と同じ黒色で統一した。

 しかも運賃は大手航空会社より2割程度、安く設定した。

 その秘密はシャトル運航にある。3機で1日計12便運航することで、1便当たりの空港従業員の人件費など固定費の負担を減らし、低価格を実現した。

 記者会見中、堀はふと、目の前に飾った航空機の模型に目を落とした。

 「大手の寡占に一石を投じる」

 そんな野心とともに、北九州という街への感謝の念がわいた。「地元の思いを大事にした経営をしなければならない」

 スターフライヤーは、地元企業の支援なくしては存在しなかった。TOTOや安川電機など有名企業から、資本金が1千万円に満たない110以上の中小・零細企業まで、計43億円を出資した。そこには、北九州活性化への願いが込められていた。

                 × × ×

 8年11月、旅行代理業「エイチ・アイ・エス」創業社長、沢田秀雄(65)=現会長=が、新規航空会社「スカイマークエアラインズ」(現スカイマーク)を設立した。定期旅客便を飛ばす航空会社の新設は、実に35年ぶりだった。

 北海道国際航空(現エア・ドゥ)やスカイネットアジア航空(現ソラシドエア)も名乗りを挙げた。

 背景には規制緩和があった。日本では戦後、航空産業の発展を目的に、国主導の航空業界の再編と、厳しい規制があった。例えば、ある路線につき運航事業者を「最大3社」と制限していた。

 このため航空業界は全日本空輸、日本航空、日本エアシステム(18年に日本航空に吸収合併)の3社による寡占が長く続いた。航空産業は大きくなったが半面、航空運賃は高止まりし、サービスもマンネリ化した。

 政府は、規制緩和を求める国内外の声に押され、こうした制限の撤廃に着手した。羽田空港の発着枠も優先的に新興航空会社に与える優遇策を打ち出した。

 新興航空会社は優遇策を追い風にした。ただ、各社とも就航時の保有機体は少なく、知名度の低さに苦しむ。大手の値下げもあって、新規参入組の業績は悪化した。

 管制の仕組み、機材の発注、予約決済システム、許認可権をもつ国との折衝など、航空業界の専門的なノウハウにも欠けていた。

 堀は、この“低空飛行”をもどかしい思いで見ていた。

 堀は業界3番手の日本エアシステムに勤めていた。自治体や国との折衝を担い、業界の人脈もある。

 「これからは、個性のある新しい航空会社が必要なんだ。俺たちなら、他社と同じ轍(てつ)は踏まない」

 13年夏、創業を決意した。堀は当初、17年度の開港を控えた神戸空港での参入を考えた。52歳だった。

 14年12月17日、「神戸航空会社」を創業した。ライト兄弟が人類史上初めてとされる飛行機を飛ばした日からちょうど100年目。航空業界にとって特別な日だった。

 ただ、神戸空港を本拠にという構想は、頓挫した。空港管理者の神戸市の目は、大手2社に向けられていた上、別の新興航空会社の就航も決まっていた。堀が望んだ24時間運用も実現しない。

 失意の堀の目に、北九州沖に建設中の空港が映った。


 北九州市企画政策室長の片山憲一(63)=現北九州エアターミナル社長=は同じ頃、一抹の不安を感じていた。

 北九州市長の末吉興一(81)=現アジア成長研究所理事長=は昭和62年の初出馬以来、地域経済浮揚のカギとして、新空港整備を掲げた。

 その新空港が17年度、周防灘を埋め立てた人工島についに開港する。

 だが、全日空や日航は、保有する羽田空港の発着枠を北九州路線に振り分ける考えはないようだった。

 地方と羽田を結ぶ東京線は航空会社にとってドル箱路線だ。だが、羽田空港の発着枠は各航空会社に割り振られている。数に限りがある。この発着枠を、これまで空港がなく、市場規模も見えない北九州に振り分ける余裕はない。