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(株)サクラダ【5917】の掲示板

言語は、赤ちゃんの頃から母によって耳から入る。
そして言語を理解するようになって、自我が芽生えてくる。

言語と自我というのは密接な繋がりがある。
言語の脆弱性において、人は錯誤を経験していくのだが、
それは先ず、自分が錯誤である、ということは気づくことはない。

言語は意思伝達には都合は良いが、思考にはそれほど完璧なツールではない。

幼少期からの自分の思考のクセを、今から考えてもどうにもなるまい。
そう考えるのは自由だ。
そんなことを考えても、自分の生活が豊かになるもんでもないしな。

しかし私はそうは思わない。
私は知的欲求を、今までずっと追い続けてきた。
そして少しづつ、分かってきたことがある。
研究は、生きている限り続けたいと思う、。

ナーガールジュナの中論は良い。
私は前記したとおり、そもそもインドには哲学・宗教・思想の枠組みはない。
そういう概念を取っ払って、
中論を少し学ぶと、人生観とか世界観も変わってくるだろう?

ちなみにこの中論は、僧籍のある坊主は必ず学ぶものだ、。
その解釈においては非常に難しい。
僧籍のある坊主でも、その宗派においては解釈もバラバラだ。
何処の宗派が正しい、ということはない。
自分なりに咀嚼していくのが一番イイ。

つまり宗教というよりも、人間とは何か?という観点で読んだら良い。