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韓国 総合【^KS11】の掲示板 2019/08/08〜2019/08/19

>>915

三跪九叩頭の礼を求められた[日本]の対応

1873年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。

明治6(1873)年、台湾出兵の処理や日清修好条規の批准書交換などのため清国に赴いた特命全権大使の副島は、旧習を墨守する清国の傲岸不遜な応対を目の当たりにする。

清国では諸外国に対していまだ皇帝への土下座のごとき三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼を強要。さらには大使・公使・代理公使の順位をまったく考慮せず、着任順で席次を決めるという、国際儀礼無視も甚だしい慣行が続いていたのである。

当然、副島も屈辱的な跪拝を要求され、大使の立場にもかかわらず、先着の外国公使の下に席を置かれた。副島はこうした無礼な扱いに毅然(きぜん)たる態度で是正を求めた。

まず聖徳太子の国書をめぐる故事を引きつつ、冊封関係を意味する跪拝の礼をとらせることがいかに国際間の礼儀と信義に反するか、舌鋒(ぜっぽう)するどく指摘。談判は1カ月余に及んだが、副島は一歩も引かなかった。ついには謁見を拒否して帰国する決意まで示す。これには清国側も狼狽(ろうばい)し、「謁見の事はすべて日本大使意見の如くすべし」と返答。しかも謁見はまず大使である副島が立礼で行い、次いでロシア、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスという順序が決定を見る。

各国公使らは安堵(あんど)の胸をなで下ろしたことだろう。例えば、米国公使ローはフィッシュ国務長官宛ての報告書に事の顛末(てんまつ)を記し、副島の気概を絶賛してやまなかった。

かくて、副島がいよいよ帰国に向けて出航するとき、清国側は150本もの錦の旗を立て、21発の祝砲で見送ったという。ライバルながら天晴(あっぱ)れと評価したからである。

これが真実。日本人が三跪九叩頭の礼をしたとは寡聞にして知らない(大爆笑)。