ここから本文です
Yahoo!ファイナンス
投稿一覧に戻る

日経平均株価【998407】の掲示板 2021/04/23

>>150

>天皇は行きたくても怖くて行けないのだ。
>長州と薩摩が悪いのだ。




アホ。

昭和天皇が崩御されてから17年が過ぎた平成18年のことだった。
7月20日付の日本経済新聞は、「A級戦犯合祀 昭和天皇が不快感」という見出しで、いわゆる「富田メモ」をスクープした。
この記者は昭和天皇のもとで宮内庁長官をつとめたことがある富田朝彦が亡くなった後、遺族から富田元長官の日記帳を借り出し、そこに昭和63年4月28日の日付のあるメモが貼り付けられているのを発見した。そのメモは次のようなものだった。
私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取(ママ)までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ。
私とは昭和天皇のことで、松岡とは、松岡洋右のことである。
白取とは、駐イタリア大使としてやはり三国同盟の締結に貢献した白鳥敏夫のことである。ともにA級戦犯として極東軍事裁判にかけられたが、松岡は裁判の途中で病死した。白鳥の方は終身禁固刑となり、服役中に病死した。
この富田メモは、昭和天皇が靖国神社への親拝を停止したのは、A級戦犯を合祀したことにあるとはっきり証明したものである。

また、その後、昭和天皇の侍従を22年間にわたってつとめた卜部亮吾の日記が平成19年に刊行され、その昭和63年4月28日の項目に、「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」と記されていた上、平成13年7月31日の日記にも、「朝日の岩井記者来……靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」などと記されていた(御厨貴・岩井克己監修『卜部亮吾侍従日記』全5巻、朝日新聞社)。
徳川義寛侍従長も、歌人の岡野弘彦に対して、「(A級戦犯)の人達の魂を靖国神社へ合祀せよという意見がおこってきた時、お上はそのことに反対の考えを持っておられました」と語っている